遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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なにで見ただか記憶んないだけが、「そうだら?」とかの「ら」は古語の「らむ」だにいという旨を述べている書き物を見た覚えがなんかしらんがあるだよ。
ホントかや?と思ったもんで、だで無い頭で検討してみすかあっつうこんにしただよ。
(共通語に直すと、何で見たのか記憶が定かではないのだが、「そうだら」などの「ら」は古語の「らむ」に起因しているという趣旨の事を述べている文章を読んだ事がある。そうなのか?とふと疑問に思ったので不肖ながらも検討してみることにする。)
何かは失念すれども遠州弁の「ら」は古語の「らむ」の変なりとの説を読みたり。然れども幾分の疑問これあり。よって検討せんと欲す。
まず「らむ」ってなんぞやというこんで辞書ひくだあれ。の。
「らむ」{助動詞}①現在の事実について、想像・推量する意を表す。他にも説明があるがとにかく想像・推量を表わすということが書かれてあった。
他には完了の助動詞「り」の未然形に、推量の助動詞「む」の付いたもの。ともある。
「らむ」→「らん」→「らう」と変化してきているとも書かれてありおそらくは「らう」→「ろう」と流れで繋がってきているのであろう。
遠州弁って他の方言と違って大抵は辞書か古語辞典引くと近い言葉が引き出せるんで結構屁理屈こねるに楽っちゃあ楽なんだわぁ。っつうこんで「ら」。
「ら」完了の助動詞「り」の未然形。ということで
「り」{助動詞ラ行変格活用型}①ある動作の完了した意を表す。②完了した動作が現在にまで行われている継続・存在の意を表す。とある。
つまりは、「り」の未然形ということの「ら」だけで遠州弁の「ら」を説明できてしまうような気がしないでもない。それと変化として撥音便を好む傾向にある遠州弁からして「らむ」であるのなら「らん」と言うのが「ら」よりも自然な流れのようにも思えてくる。
例えば「明日は雨だろ」は遠州弁だと「あした雨だら」となる。
「雨だろう」なら「雨だらあ」という次第。「雨だらん」とは言わないとこである。
想像・推量という事で「雨が降るらしいよ」を
「雨ん降るらむ」とは言わず普通は「雨ん降るみたいだに」と言う。「雨ん降りそうだら」だと「雨が降りそうだよ」・「雨降るら」だと「雨降るだろ」
つまり言葉の綾かもしれないが遠州弁の「ら」は憶測(推測)・予想を表わすものであって想像・推量を表わすものではないのかもしれない。
想像・推量であるならむしろ「らあ」という事になる気がする。
よって遠州弁の「ら」は「り」の未然形の「ら」であって「らあ」が古語の「らむ」と同じなのではなかろうかと邪推してしまう今日この頃。