遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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血を見るとかいう意味ではない。滲みるの変でもない。
「ちみくる」(つねる)の「くる」表現でないもの。まあ滅多に使われないので想像の域を出ないのであるが。
実用としては「ちみくる」で使われているのでこれで十分なのであるが。元の言葉はなんだろうという事を考えていくと「ちみくる」・「ちみくらかす」・「ちみきる」の元は「つみる」か「つむる」なのだろうかな「つみくる」・「つむくる」という言い方もある訳だからと思える次第。
元は多分そうではあろうが、しかしなところ「つみる・つむる」だと「つねる」と同じ意味で「ちみくる」という言い方とは少し差異が生じる。「つみくる」は「指でつまみねじる」で「ちみくる」は「爪でつまみねじる」という使い分けがなされているので「ちみくる」の元の元は「つみる」で元は「ちみる」と段階を踏んだ方が合点がいく。
おそらくは「ちみくる」の正しい訳は「つねってひねる」というものであり、「ちみむ」が「つまむに」に限りなく近い「つねる」であろうかと。
もっとも辞書には
「つねる」(抓る)爪や指の先で膚を強くつまんでねじる。
古語辞典には「つむ」(抓む)①指先でつまむ。②つねる。
とあるので古語のニュアンスは近そうだけれど共通語のニュアンスとは離れたものであるが。
遠州弁のニュアンスだと「ちみる」(つねる)は微細なもの(部分・箇所)などを爪で挟むようにして引っ張り上げるというもの。ひねりとかねじりが含まれてる訳ではないので「ちみむ」には懲らしめ的なニュアンスはない。
つまり「つねる」の細分化として指で挟むのを「つみる」で爪で挟むのを「ちみる」。「つまむ」においては指でつまむのはそのまま「つまむ」であるが爪でつまむのを「ちみむ」というということで。
じゃあ爪ではなくピンセットとかの道具を使っての小さいものを挟む場合「ピンセットでちみんない」(ピンセットで挟みなさい)とか言うかとなるとこれも微妙ではあるがこれは有りそう。
「洗濯ばさみでちみくられた」とかいう表現はあるから辞書の「つねる」とは違って指や爪でと限った表現ではないから道具であっても「ちみむ」という言い方があっても不思議じゃない気がする。
「ちみくられた」には故意を感じるが「ちみられた」となると結果そうなったという過失っぽい印象を受ける場合もある。
意識の強さでいうと
「ちみる」<「ちみくる」=「ちみきる」<「ちみくりまわす」
という感じか。どれをとっても「はさむ」というものではないのでされた方は痛いだろうなとは思う範囲でのお話しかと。
「ちみられたら痛いじゃん。」
「ちみんで持てばいいじゃん。」もしくは「ちみって持てばいいじゃん。」
という様な使い方であろうか。先にも書いたが今は大抵「ちみくる」という言い方をして「ちみる」は滅多に使われる表現ではないので想像上で書いてる部分が多分にあるので自信がある訳ではないのであしからず。