遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
「られる」と「れる」
例えば「見られる」
先輩が答えを見られた
自分が答えを見られた
自分は答えを見られた
遠州人にはどれも「丁寧に言ってる」のか「盗み見された」のか「見る事が出来た」なのか判別しづらいところである。
遠州弁だと
先輩が答え見んさった。(丁寧に言ってる)
自分が答え見られた。(盗み見された)
自分は答え見れた(もしくは見れれた)。(見ることが出来た)
となって区別がはっきりしていて迷うことは無い。
ところで、なんでもかんでもこういうパターンになるかというと
「煽る」(あおる)で
「煽られる」を「煽れる」とするかというと、そうことは無い。
「扇ぐ」(あおぐ)で
「扇げれる」というのは有り。
「使う」で
「使えられる」を「使えれる」とは言う。
「死ぬ」
「死ねられる」ではなく「死ねる」だろうがこれを「死ねれる」という。これについては「ら」抜きでは無く「れ」足すということになろうか。
「着る」
「着られる」を「着れる」と言う。
「狩る」・「刈る」
「かられる」という言い方を共通語がするのかはあれだが「かれる」と言う(まあ普通は「かれれる」だけど)。「今日から解禁日だから狩れるぞ。」というのは共通語でも使う言い回しであろう。
まあだらだらと長くなるのでそんなこんなでなんでもかんでも「られる」は「れる」になるという事ではなさそうである。というか「ら」抜き言葉ではなく「れ」足す言葉という考え方も無きにしも非ずや。
「れ」の意味するものは「~することが出来る」・「可能だ」とかいう意味合いのものである。