遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「田畑」と書いて「でんぱた」と読む風習は遠州にはないらしい。(遠州と言っても広いから全域にわたるかどうかは定かではないが)
「将来でんぱた耕してのんびりこんと暮らしたい。」
と、言っても遠州人には通じないことが多い。
「でんぱたって何?」
と大抵は聞き返される。これ私の実体験。どこの言葉なんでしょうかねえ。
私も生粋の遠州人ではあるが、耳で聞きかじったこの言葉を日常で使ってみると大抵意味が通じなくて往生する。
じゃあどう言えば理解して貰えるかというと「たんぼやはたけ」・「たはた」と言い換えれば通じる。
若干脱線話しになるが「畑」のイントネーションは共通語のアクセントでは「た」が強調されるが遠州では「は」を強く言う。
例文
「うちのでんぱた荒らしくさる奴いてホント怒れるだよ。」
「でんぱたってなによを。」
「なによをって通じんだけえ。たはたのこんでえ。」
「おめえそんな地所持ちだったけか。」
「田んぼはねえけどベランダで畑作ってるだあよ。」
「家庭菜園かあ。ほんじゃそりゃカラスだら。」
「多分な。」
「ペットボトルに水入れときゃ寄り付かんって聞いたにい。」
「そりゃ猫だらあ。」
「CDつるくいときゃいいとも聞いたやあ。」
「ほんとけえ。」
「よくは知らんが試しにやってみい。」
「をたこいてるじゃないらなあ。」
1「やっちゃっていいだかいねえ。」
(始めちゃうのはいいのかなあ。)
「ええらあ。」
(いいんじゃないの?)
2「やっちゃっていいだかねえ。」
(始めちゃっていいのかなあ。)
「ええじゃないの?」
(いいんじゃないかな。)
3「やっちゃっていいかいねえ。」
(始めていいの?)
「ええよを。」
(もちろん。)
1と2はOKの断を下すのは別の人で会話の相手に許可の権限がないことが多く、3は「いい」と言った人が権限を有していてOKを出してることが多い使い方。
「だ」と断定してるような表現が含まれていてもそうでもないところが味噌か。
4「やっちゃっていいだ?」
(始めていいのか?)
「ええだ。」
(いいさ。)
この場合両者共にどちらとも取れる。つまり了承を得ているのか同調を求めてるのか。答えた方も同様に了承してるのか同調してるのかどっちにも取れる。
辞書だと「しつこい」しか載っていないので、「ひつこい」は方言ということになるのだろうか。遠州では個人差がありどちらが多く使われるかとかいうのは判断できないが「しつこい」の使い手の方がうちの集落では多い気がする。
使うとなれば「ひつこくせまる」(執念深く迫る)などという風に使うのであるが「ひつようにせまる」の場合(必要に迫る・執拗に迫る)とどっちにもとれるのがちとめんどくさい。ま、「ひ」が「し」に訛っても同じことだが、遠州では「日傘」を「しがさ」という人はあまり聞いた事ないので「ひ」が「し」へと訛ることは多分個人的にはそうないであろうと思っている。
例文
「もうおんなし事ばっかだで飽いた。ホント馬鹿ひつこいで厭。」
(もう反復ばかりで飽きた。しつこくてもう厭になった。)
「まあそういわすとお。習うに高い金払ってんだから憶わんと損じゃん。」
(まあまあそんな事言わないで。習うためにせっかく高いお金払ってるんだから覚えないともったいないでしょ。)
「だからっつって基本ばっかさすなら部活と変わりもしんに。」
(だからといって基本ばかりやらせるなら部活と変わりないじゃないか。)
「応用ばっかじゃ上手くなりゃせんだもんで我慢しない。」
(応用ばっかりじゃ上手くはなれないんだから我慢しなさい。)
みてくれ・みばは共通語だし特に遠州独特の意味使いをしている訳ではないのだが、遠州弁での使い方ではどう使われているかということで。
「みてくれよをせんと」という言い方は殆どしない。
「みてくれよくしんと」・「みばよくせんと」・「みこよくしんと」これらはどう違うかというと。
「みてくれ」はとりあえずな一時的な表面上の取り繕いという印象の度合いがより強い。
「みば」は「見映え」(実質に関わりなく見た目によく見えること)と似た意味使いの場合と「見場」(見た瞬間に人に与える印象)という意味使いの場合の二通り考えられるので厳密には一概にこうだとは言い切れないのだが、「みてくれ」よりは一時的な印象は薄くなる。どちらも外見を指す場合が多い。
「みこ」は気に入られる・好感度が高いとかいった本人の内面的な資質の問題なので見た目の印象だけではない部分を指す。
例文
「あんたねえ、街出るにそんななりで行くだか?ちったあみばよくしんと恥ずかしいにい。」
(ちょっとぉ。そんな格好して街中に行くの?少しはおしゃれしてかないと恥かいちゃうよ。)
「みてくればっかよくしたってしょんないじゃん。」
(変に気張ってもしょうがないでしょ。)
「だからっつって野良仕事のまんま みたいなじゃ かんらあ。」
(だからって畑仕事してきたみたいな装いじゃあどうかと思うけど。)
「失礼こいちゃうやあ。よそいきだに一応。」
(酷いこと言うなあ。これでも一応外出着なんだけど。)
「そうけえ。いつもと変わらんくめえるけどやあ。」
(そうなの?普段と変わらないように見えるんだけど。)
「悪かったやあひんしょったくてえ。」
(根がみすぼらしいんで紛らわしくてすいませんね。)
滅茶をめっちゃ→めっさと読んで無茶をむっちゃ→むっさとでも読むようになったということなのであろうか。
発祥の地や何でどうやって広まったのかは知らないが、色々なブログを徘徊してて若い衆の中にこれは遠州弁ですよ~とか謳っていて批判する訳じゃあないんですが、個人的な意見として「そりゃ違うらあ」と思わず突っ込みをいれたついでに記事としました。
滅茶苦茶・無茶苦茶とか物凄くとかやたらととか言う意味なんだろな多分。若い衆は使っているらしいが大人衆は使わない。これは今のところ遠州弁ではなく流行の若者言葉であろう。
これが遠州弁になるには「づら・づらに」が衰退して「だら・だに」に変わったように世代交代が不可欠であろう。その為には他の地域が死語として使わなくなり、じじばばから子供まであらゆる世代が遠州だけで使い続けることが必要であろう。今の若い衆がじじばばになるためにはあと50年くらいはかかるだろうから現在では流行の言葉でしかないであろうて。
比較的広い地域に広まっている表現らしいが私ではニュアンスを含め使いどころが分からない。
例えば「物凄い」というのを遠州弁では「どすごい」・「ばかすごい」・「がんこすごい」・「もんのすごい」とか表現してる訳であるが個人差はあれど凄さの度合いがそれぞれ異なるので凄さの程度に応じて使い分けしている。では「めっさすごい」・「むっさすごい」というのはどのくらいすごいのかというのが分からないということである。