遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「せせこましい」(度量が狭くて余裕がない・狭苦しい)は共通語である。遠州ではどちらかというと狭いという意味で使われることが多い。
心持ちが「余裕がない」という使い方に関しては「きぜわしない」(落ち着きがない・急かされてうっとおしい)という表現が遠州では使われている。共通語では「せわしない」にあたる言葉であろうか。
従って「せせこましい」と「きぜわしない」は似たり寄ったりの言葉ではあるが同一では当然ない。
似たような言葉といえば全国的に使われてる方言「せせくる」(遠州では触る・弄るという意)があるが当然意味からして異なる全くの別物である。
まとめると遠州弁からみたニュアンスだと「せせこましい」は了見などが狭いという部分がメインな感じで、「きぜわしない」はあたふた・ちょこまか感がメインという感じで使い分けている。
例文
「どうよこの部屋。」
(どうだいこの部屋は。)
「なんかせせこましいなあやあ。家賃いくらしたよを。」
(なんか狭苦しい感じがするなあ。家賃いくらなの?)
「月○○万。」
「ん~高いだか安いだかなんとも言えんの。」
(う~ん高いのか安いのか微妙だね。)
「なにがあ。」
(どうしてだよ。)
「だってやあこれで荷物入れりゃあもっとせせこましくなるし、窓開けりゃ直ぐ横居酒屋じゃん。きぜわしくて落ち着かんらあ。」
(だってさあ。これで荷物搬入すればもっと狭くなるだろうし、窓開けると隣は居酒屋だろ。騒音ありそうで落ち着かないだろ。)
「荷物なんか元からありもしん。それんなんしょ寝えれりゃええだで窓閉めときゃ聞こえやへんでとんじゃかないわ。」
(元から荷物なんてないし、それにとにかく寝れればいいんだから窓閉めとけば聞こえないんだから気にしないよ。)
「まあ本人いいっちゅうならあれだけど。わしだったら躊躇するかもな。」
(まあ本人納得してるんなら言うとこはないけど俺だったら考えるな。)
まあ何度も書いている「だらだにだもんでほいほれやあ」
遠州弁の特徴を現したものであるといわれている。大雑把に訳すと以下となるがこれが全てではないのでただ闇雲に発言の最後に「だら・だに」をつければ遠州弁になるというものではない。
誤った使い方を例に挙げれれば分かりよいのであろうが慣れ親しみすぎて思いつかないものである。
だら=だろ
「よどんだらだらだら」(よだれがだらだらだろ)
だに=だよ
「そりゃ蚊ぁじゃななくてだにだに」(それは蚊じゃなくてダニだよ)
だもんで=だから・したがって
「だもんでさっきいからゆってるらあ」(だからさっきからそういってるでしょ)
ほい=ちょっと・ちょい
「ほいほいほいほかいちゃかんにい」(ちょっとほいほい捨てちゃ駄目だよ)
ほれ=ほら・それ
「ほれみっせえ」(ほらみたことか)
やあ=おい・ねえ
「やあ勘弁しとくりょを」(おい勘弁してよ)
「づら」は駆逐されて遠州では死語となっているが、「だら」と「だに」の両方の使い方をしていてとても汎用な言葉であった。強引ではあるが最後に「づら」をつければそれらしく聞こえたのであるが、今は細分化しているのでやたらくしゃ「だら」・「だに」を使ってもらしくは聞こえない。
ただし正しくは「づら」=「だら」・「づらに」=「だに」であろうが。まあ「づら」でもなんとかね。
「り」を「し」にしたがるのが遠州弁か?んなわきゃないか。でもまあ多いということは地域性かもということで記載。
「がっちり」であろうが「がっくり」であろうが「がっかり」であろうが「どっきり」であろうが「まったり」であろうがすべて「り」が「し」に変わっても違和感を感じない。なんてことはさすがになく「まったり」は「まったし」とは言わないなあ。「もっさり」も「もっさし」にはならないし。
ケースバイケースなのだがなんか規則性でもあるんだろうか。
タイトルに載せた「ぴったし」は男女共用、「きっちし」はほぼ男言葉(女性はきっちりということが多い)、「やっぱし」は基本男女共用だが女性は「やっぱ」という言い方をする人が多い・・・かも。
例文
「ぴったしんなんないと気が済まんだいね。」
(ぴったりにならないと気が済まないんだよね。)
「そんなきっちしやらんくても誰も文句ゆやへんて。」
(そんなきっちりやらなくても誰も文句言わないって。)
「そうゆう問題じゃないだよ。やっぱし性分かのっ。」
(そういう問題じゃあないんだ。やっぱり性分なんだろうな。)
タイトル程大袈裟に違うわけではないという誇大表示ではあるが、それでもこの二つの言い方はそのニュアンスが異なる。
大抵は「らんごくない」も「らんごかない」も同じように「雑然としてる・散らかり放題」みたいな意味使いをしているが無茶苦茶という意味合いで使われることもありその意味使いでの場合「らんごくない」は「無茶苦茶なことする」と訳せ、「らんごかない」だと「無茶苦茶でどうしようもない」と訳すのが自然であろう。
つまりあくまで個人的な印象であるが
「らんごかない」だともうどうしようもないみたいな見捨てた印象を与える。やれやれという感じ。
「らんごくない」だと無茶苦茶だと驚いている印象を与える。おいおいという感じ。
「らんごかない」の「か」は「くは」の変形とも想像されるのだがそれにしてはそこはかとなくイメージが変わるものである。
ところで「らんごく」が「ない」という「らんごく」ってなんだろう。
「ない」というのが打消しならば「らんごく」は意味使いから想像すると理路整然という風になるのだがそんな言葉は国語辞典にも古語辞典にもない。「らんごい」・「らんご」とかで調べても出てこない。
ネットで調べると「乱雑」という言葉の変化とされているところが多いのだけど、それだと「らんごくない」→「乱雑ない」ってことになり意味が変ではなかろうかと思ったりもする。
駿河の方でも「らんごく」は使われるらしいが駿河の使い方例を挙げると
「部屋ん中らんごくで座る場所んない」(部屋が乱雑で座る場所が無い)
という使い方をするそうで「らんごくない」という一塊で使う遠州の使い方とは異なる。ちなみにこの例文を遠州弁にすると
「部屋ど散らかってて座るとこんなくてらんごかねえ」
みたいになる。遠州弁では「らんごく」で使うことはまずもって聞かない。
別のところで「乱飛乱外」(らっぴらんがい)という言葉があってそこの「乱外」(らんがい)から来ているのではないかというところもあった。また別のところでは「乱飛乱国」(らっぴらんごく)というのもあって「外」でも「国」でも意味は大体同じらしい。
「乱雑」・「乱国」どちらにせよ「らんごく」の元はそこはかとなくそこいらへんから来てるらしい気がしてきたけれど、なんで遠州弁では「ない」という打消しの言葉がつくんだろうという疑問の解決にまでは至っていない。
すんげえ強引に考えれば、「らんごくてほんとしょんない」が詰まって訛って「らんごかない」になったくらいしか思いつかない。
説明できる方がおられるならご教授願いたい謎な表現である。
というのも「ず」は「ず」(ぬ・ないの文語形)といった打消し・否定の表現というイメージが強くどうもという感覚があるからという感情的な理由からきている。「ず」は気に入らないから「づ」を選ぶと言うなんの説得力もない根拠からなので普通の人は「ずら」の方が普及しているからそれでいいのであろうて。でも私は「づら」でいく。
ところで、単に語尾につければ昔の遠州弁の出来上がりという安易なものではなく、実はもっとバリエーションがあったという薄ら仄かな記憶がある。なにせもう当の昔に使われなくなっているので確かな事を言える訳ではないのだが。
「づら・づらあ・づらに・づらろ・づらで・づらよ・づらか・づらけ・づらさ・づらて・づらと・づらな・づらね・づらの・づらや」などなど。
「そう」を例にして今の遠州弁と共通語を較べてみると(尚、使っていないのであくまで想像)。ちなみに「そう」の前に「やっぱ」(やはり)を置くと判り易いか。それぞれの使用頻度についてはよく分かりません。あっただろうと思われるものも想像で書いてます。
「そうづら」→「そうだら」→「そうだろ」
「そうづらあ」→「そうだらあ」→「そうだろう」
「そうづらに」→「そうだに」→「そうじゃないか」
「そうづらか」→「そうだか」→「そうなのか」
「そうづらで」→「そうだもんで(だで)」→「そうなのだから」
「そうづらよ」→「そうだわあ」→「そうなんだよ」
「そうづらけ」→「そうけえ」→「そうなのかい」
「そうづらさ」→「そうさあ・そうだよを」→「そうだわさ」(自信なし)
「そうづらて」→「そうだって」→「そうだろうて」
「そうづらん」→「そうかいやあ」→「そうかしらん」
「そうづらと」→「そうだってって」→「そうだと」
「そうづらな」→「そうだらな」→「そうだろうな」
「そうづらね」→「そうだらね・そうだいね」→「そうだろうね」
「そうづらの」→「そうでえの」→「そうだろうよ」
「そうづらや」→「そうだら?」→「そうなんだろ」
「そうづらが」→「そうだん・そうだけが」→「そうだけど」
ってな感じかな。間違いあったら訂正しておくんなまし。
づらら・づらもという言い方があっても不思議ではないがなんか違和感を感じる。
「づら」は遠州弁では死語なので日常会話では使っておらずリアルな例文は書けないので略します。