遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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辞書には「わ」は女性語で自分の主張(判断)などを相手に納得させたり自分で確認したりする気持ちを表わす。「知らないわ・存じませんわ」。何かに感動した気持ちを表わす。「まあ綺麗だわ」。驚き呆れる気持ちを表わす。「雨は降るわ家には入れんわでもう大変」。みたいな例が書かれてあったが、遠州弁の「わ」はそれらには当てはまらない男女共用の表現である。
だがそれを説明するとなるとはたと困る次第で。
「それくらい出来るわい」
「それくらい出来るわ!」
「それくらい出来るわあ」
「それくらい出来るに」(それくらい出来るよ)
「それくらい出来るにい」(それくらい出来るよう)
「それくらい出来るら」(それくらいは出来るだろ?)
「それくらい出来るらあ」(それくらいは出来るだろう)
「それくらい出来るもんで」(それくらい出来るので)
「それくらい出来るたあ」(それくらい出来るとは)
「それくらい出来るでえ」(それくらい出来るから)
といった具合で他は訳せるが「わ・わい・わあ」」は訳すに困る。
これらに「だ」をつけるとややこしくなるので省くが「だわい」・「だわ」とかもある。
「そうだわい」・「わしの知ったこっちゃないだわ」みたいな。
ネットの辞書では、「わい」終助詞「わ」+終助詞「い」、活用語の終止形に付く。感動・詠嘆の意を表す。「ちと飲みすぎた―」「見てはおられん―」
い〔終助〕「わい」は現在では主に高齢の男性に用いられる。の二種類となっている。
遠州では「だわい」はじいさが使うと限定されることが多いが「わい」に関しては
「やってられんわい」くらいは誰でも使っている。
「わ」については、念を押したり相手に呼びかけしたりする意を表わす。とある。
で、古語辞典では、「わ」終助詞、感動の意を表わす。・・・・・よ。
「わい」終助詞、感動の意を表わす。・・・・・よ。とあった。
つまり、古語辞典の「わ・わい」が一番ニュアンスとしては遠州弁は近いのでそれぞれ強弱のついた「よ」ということにすればいいのであろうか。
だとすると「にい」と被るな。でも実際のところそのニュアンスとしては被ることはない。あまりに微妙な違い過ぎて説明しようがないんだろうか。まあ想像だけどおそらくは遠州弁の中でも「わ・わい」は古い言い回しで今は「にい」が取って代わっているということなのかしらん。