遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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これはどうみても全国区の言い方であろうと思うのであるが、「元はしぞ~かの言葉でピンクレディが口癖で発せられたものが全国に電波に乗って伝播したと言われている。」みたいな事がウィキの「静岡弁」という項目の説明の中にあった。
あくまで「と言われている」と書かれているので真偽のほどは定かではないという領域だがとにもかくにも初耳である。
遠州でも昔っから使われてる言葉なので自分達ではそれがホントなのかどうか分からない。元々は使っていなかったがピンクレディ登場によって使い始めたとかいう人の証言を集めるしかないよな本当かどうかは。でもなんかやっぱ嘘くさい気がする。
それはそうとで、この「やっぱ」。
置き換えの言葉としては「やはり」・「やっぱり」・「やっぱし」が考えられるのであるが「やっぱ」も含めてそれぞれニュアンスが異なっていて単純にこれらの短縮したものが「やっぱ」というわけにはいかないような気がする。
「やっぱそうだったじゃん」。思った(予測した)範囲の結果だと言っている。いくつか想定したものの一つという勢いで絶対的な確信ではなかったがという勢を感じる。
「やはりそうだったじゃん」。予想した通りの結果だと言っている。これは共通語で汎用的な使い方をされるので特に特徴はない。強いてあげれば醒めた勢いには遠州ではなる。
「やっぱりそうだったじゃん」。思ってた通りの結果だったなと言っている。「やっぱ」・「やはり」よりもこの結果になると確信してた勢いが強い。
「やっぱしそうだったじゃん」。思った通りの結果じゃないかと言っている。先に言ったのに(忠告したのに)という勢いもある。ほぼこの結果になると確信してたという勢いである。
「ゆるせくない」
自分は使わないので
参考参照レベル
「ゆるせくない」とは色んなサイトによると「忙しない」・「落ち着かない」と説明されてる。自分は使わない言葉なので会話の中でこれが出たら「は?」と聞き返す事になるだろうな。定かではない(勘違いかもしれない)が使われている地域は袋井・掛川以東が主のように思える。駿河弁が掛川辺りまで浸透してるのか掛川辺りが元祖なのかは定かではないが遠州に於いてはメッカは袋井・掛川辺りと言えそう。と勝手に想像している。違ってたらごめんなんしょ。
自分らのとこでは「忙しない」なら「ばたばたしてる」・「気忙しない」、「落ち着かない」だったら「落ち着かん」・ちょっとニュアンス違うが「いづようない」とかを使う。
「ゆるせくない」を分解するとどういうパーツで出来ているんだろう。「ゆるせく」+「ない」、「ゆる」+「せく」+「ない」、「ゆるせ」+「く」+「ない」などなど勘繰ると
「ゆるせくはない」としたら「「ゆるせく」+「ない」と考えるのが無難かなと思える。意味的に考えてくと「緩くは無い」と勘繰れそう。なんで「せ」が入るのかは見当もつかないし「緩くない」から「落ち着かない」という意味になる理由が説明できないが・・・。まあとにかく「ゆるせかない」という言い方が存在するのなら多分そういうことなのだろうけど。
「~っぽい」という意味の「しい」(例「嫌味ったらしい)が合わさった「ゆるせかしい」とかいう言い方とかもあるのかな?
ま、私にとっては想像の域を出ない分からない言葉でありますな「ゆるせくない」というのは。遠州といっても広いわな。
例文は使いどころが分からないので略します。
例「おやいた」
別記事で挙げた「わかりやいた」(分かりました)という使い方の「やいた」とは別物の「やいた」。
例えば「燃やした」を「もやいた」と言うもの。この場合は単に「し」がい音便化したものと勘繰れるものであるが、他には
「燃やいた」・「かやいた」(返した)・「けやいた」(消した)・「おやいた」(壊した)
などいうものがある。
い音便化しなければ「もやした」・「かやした」・「けやした」。「おやした」となるものである。この時点で「燃やした」のように共通語になるものもあれば「消やした」は方言のままというものもある。(ちなみに「けやした」は関西とかでも使われる言い回しだそうな。)
味噌な部分はおそらく「や」の存在であろうか。
「燃やした」を「燃した」とすると方言と呼ばれ
「消やした」を「消した」とすると共通語になるという統一性(法則)の無さ。
「見やいた」なら「見やる」とか「見やれば」とかと同じ言い回しからで「見やり」+「した」=「みやりした」→「みやりいた」→「みやいた」と変化(強引だが)したのかなと云う妄想が湧き立つところであるが。
しかも先に述べた「されました」という意の「やいた」との混同具合が余計話しをややこしくしている。
例えば「行きやいた」と言う場合、「行かれました」で疑いようがないのだが
「眠る」において「眠りやいた」の変で「ねむらいた」となると、「眠らした」(眠らせた)なのか「眠られた」のどっちか微妙である。
ちなみにこの違いは「や」のイントネーションが異なるので実際耳にすればどっちの意で使われてるのかややこしいという事はない。
「やいた」に限らず「開かいた」・「動かいた」・「持ってかいた」とかいう「かいた」という種類もある。「かいた」の場合には「かした」(かせた)と訳せ「けやかいた」(消しさせた)という言い方が成立するので別物ではあるが。
話しを広げても余計ややこしくなるが、まあ狭めてもややこしいことに変わりは無く、これ(付くものと付かないもの)を整理(理屈で説明)出来たらある意味「発見」の部類に属するだろうかな。私には無理だろうけど。
「ゆうこん」。訳さば「言う事」。「言ってる事」だと「ゆってるこん」。
「あんなやつのゆうこん信じちゃかんにい。」
「言う」を「ゆう」・「事」を「こん」という合わせ技であり
単純だがやはり「こん」を使うと遠州弁らしく聞こえる。
例文
A「なんかさああの人んゆってるこんおかしかない?」
B「つうかよく分からんやあ。」
C「あ~いいだよただの独り言だでいちいちゆうこん気にしんで。いつものこんだで。」
A「だってこっち向いてゆってくるだにい。」
C「目え悪いもんで めえてるようで見えちゃいんだで。」
B「にしちゃあ返事求めてるみたいに聞こえるやあ。」
C「自問自答してるだらあ。」
A「ホントにけえ、めんどくさい人だやあ。」
C「仕事はでける人だで我慢してやって。」
B「こっちんペースが狂うわっ。」
例文音声はこちら
「やあ」は「なあ」と訳せばいいのかどうか
もしかしたら「よう」?
個人的意見です。
感嘆という意味使いの「やあ」は別物として
「そうだと思うやあ。」の「やあ」は共通語に変換する際「なあ」と訳せばすべて丸く収まるのかどうか。
「そうだと思うやあ。」は「そうだと思うなあ。」でしっくりはまる。
「さっき出てったで行ってる思うけどやあ。」でも「さっき出て行ったから行っていると思うけどなあ。」ではまる。
「そうゆうけどやあおんしゃ。」で「そういうけどなああんた。」もはまる。
ここまでは「やあ」=「なあ」で違和感はない。
「見てくっでやああんたここにいない。」だと「見てくるからなあ、あんたはここにいなよ。」ではまりはするが「見てくるからさあ、あんたはここにいなよ。」と言う方がしっくりくる。
「こっちむいてやあ。」だと「こっち向いてなあ。」というよりも「こっちむいてよう。」とするのが自然であろう。
で、ふと思ったのだが、「やあ」=「よう」とした方がよりすっきりするんじゃないのかと。
「そうだと思うやあ。」→「そうだと思うよう。」
「行ってる思うけどやあ。」→「行ってると思うけどよう。」
「そうゆうけどやあ。」→「そう言うけどよう。」
「見てくっでやあ。」→「見てくるからよう。」
「こっち向いてやあ。」→「こっち向いてよう。」
と一部無理はあるが大抵はまりそうである。「やあ」は「よう」だが「や」となれば「や」の置き換えは「よ」になるという形も違和感がない。
「よう」といえば名古屋近辺でよく使われる言い回しでもあり名古屋弁の「よう」は遠州では「やあ」がそれにあたると言えそうでもある。
つまるところ「やあ」を「なあ」としても間違いではないが「なあ」より「よう」としたほうが合点が行く事が多いような気がする。
もっとも「よう」・「よ」の連呼は共通語の中に於いてあまりいい言い方ではなかろうから、「やあ」を一旦「よう」に直してそこから「なあ」とか「さあ」・「ねえ」とかに状況に応じて代えるという作業は必要ではあろうが。