遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
「アキバ」
という言い方は「秋葉原」の略したものであろうが、共通語的な考え方と遠州弁的な考え方に違いはあるかという勘繰り。
共通語としては「秋葉原」は「あきはばら」で通っているのだが、標準語では「あきばはら」と読むものだとどこぞに書いてあったような気が。なのでここでは珍しく「標準語」という言葉を用いる。
標準語的には
「秋葉」だけだと「あきは」であるが「秋葉」+「α」(例えば川とか山とか)の場合には「あきば」といった変化となるそうな
「秋葉原」の場合「秋葉」を「あきば」と読むからそのまま略さず用い「原」をまるまる省いたのが「アキバ」
というものだとしたら、遠州弁的解釈とは異なる。
遠州弁的だと
「秋葉」は「あきは」で「は」が省かれ「原」は「ばら」の「ら」を省いての「あき」+「ば」で「アキバ」
なのだろうと考えてしまう。
「秋葉」は「あきは」で「あきば」と決して言わないのが遠州弁だからである。「秋葉山」は「あきはさん」・「秋葉神社」は「あきはじんじゃ」
標準語では「あきばさん」・「あきばじんじゃ」と言う風になるそうな。
このように標準語と遠州弁では理屈が異なる。
ちなみに以前にも書いたが「秋葉原」を遠州弁読みすると「あきはっぱら」となる。
標準語では「あきばはら」
共通語では「あきはばら」
遠州弁では「あきはっぱら」
無論地名なのだからして「あきはばら」が正解というものであろうや。
「上司に対する暴言」(例えば「そんなの無理だろ」)は駄目だが
「上司に対する方言」(例えば「そんなあ無理だら」)は可となりうるか。
遠州弁は「きつい」とよく言われるが、これだとけっこう和らいだ(角がたたない)言い方にみえるのは気のせいか?
他の例を挙げてみる
「課長でしょ?しっかりしてくださいよ」
「課長だら?なにやってるよう」
このように。遠州弁ならけっこう「上司に対する方言」はアリなのかと思えたりなんかして。
ところで他の方言だとどうなるんだろな。遠州弁でもこうなんだから他の方言もアリなんだろうかな。
遠州弁関連
最近「つういったあ」とかで「遠州弁」検索すると
「づら」は遠州弁じゃあない
というコメントをたまあに目にする。
ふんだだこたねえら
というお話し。
確かに最近の遠州人は「づら」を使わなくなった。自分もしかり。
しかして明治・大正生まれ世代の遠州人は「づら」・「つら」を普通に使っていた。
昭和生まれから使わなくなり始めたと、うちんとこらへんは言える。(地区によってずれがあろうから。)
一例として
「どこにやったんだろ」→「どこやったづらや」
「どこにやったんだろね」→「どこんさあやっつらやあ」
ちなみに今は
「どこやっただいや」
「どこやっただいね」
とかになる。
繰り返しになるが「づら」は遠州でも使われる言葉である。正しくは「使われた」に近づいているが。
「づら」は絶滅危惧種の遠州弁というのが正しい筈である。
「づら」は遠州弁じゃない
ではなく
「づら」は昔遠州弁でも使っていた
というのが正しい。
こういう初歩的なことをと思うのだが、最早「歴史」のお話しになってしまうのかとちょっと感慨な面持ちといった気分になる。
これを遠州弁で表わすと
「やいやいだの、ほんとにけ」
遠州弁関連
遠州弁は気の合う仲間内の言葉であって打ち解けていない衆に遠州弁を使うというのはなんだかなあというお話し。
異動で来た奴がはなから遠州弁丸出しで仕事の会話をしてくる。
はっきり言って「なんだこいつホント馴れ馴れしい。」と不快に思う。
共通語は不得手で遠州弁の使い手ん十年の自分でもそう思える。
「礼儀」というものが存在するのであれば、遠州弁は親しくなってから使うものでそこに至るまではよそよそしくても共通語もどきを使うべきというのが遠州で生きる上での「マナー」であろう。
テレビとかの街頭インタビューとかで、遠州弁丸出しという人にはまずお目にかかれない。抑揚はともかく共通語たらんと皆するものである。それが「マナー」であるから。方言が出るのが恥ずかしいと思うからではなく、馴れ馴れしい(ずうずうしい)と思われたくないからである。
それはたとえこういったブログやツイッターとかで知るに至った遠州弁繋がりの人に対してであっても共通語もどきを使うもので決して遠州弁全開という訳にはいかない。
遠州人同士でもそういう「礼儀」はあるものである。
手っ取り早く遠州弁を聞きたいというのであれば凧揚げ会場に行けば好い。そこで交わされる会話は同じ町内のうちうち同士の傍目を気にせずただ凧を揚げることに集中した会話であるから。
普通であれば始めに書いた「ばかっつら」みたいなのは例外として、遠州弁が出始めたら親密度が増した証しと言える。逆にいつまでたっても共通語もどきのままだとよそよそしいままということになる。
使い分けしてこその遠州弁であって所構わず発したらそれはやはり「ばかっつら」の領域といえようか。
遠州弁関連
えせ遠州弁と聞こえる言い回し
例えば「晴れだらで」
レベル 超個人的意見
最近遠州弁ネタを探しにネットを散策するを頻繁としてるのだが。関西の人がえせ関西弁使われるとイラッとするという気持ちが分かるようになった。
まあもちろん正しい遠州弁なんて存在しないのであくまで自分がざらつくだけであって他の衆らがそう思うかまではとんじゃかないのであしからずな超個人的意見。屁理屈からいくとおかしいというものではなく理屈じゃ説明できないけど感覚的にざらつくというものである。
とにかくですなあ、何を言ってるのかはおおよそは判るのだが、結局は何を言いたいのかが分からないのである。実際から例を挙げるのはどうかと思うので多少脚色して例を挙げると
「明日は晴れだら」
これなら「明日の天気は晴れだろ」で違和感はない。しかし
「明日は晴れだらで」
とかになると「明日は晴れだろうから」とか言ってるのかなと推測できるのだが(直訳だと「明日は晴れだろので」と聞こえる。)そういう場合は
「明日は多分晴れだで」もしくは「明日晴れだら。だで云々。」
とかになるのが普通である。
これが「づら」であるなら「晴れづらで」となって違和感はない。「づら」と「だら」を混同してるとこうなるのか、それとも「だら」は「だろ」に置き換えられるということで共通語を単語ごとに単純に変換するとこうなるのか。
次に「やったんだら」。これも間違いではないのかもだがやっぱ変。推測・憶測というニュアンスで「やったのだろ」と言いたいのであろうと推測できるのだが
「誰かがやったんだろ」という場合には
「誰かやっただら」
というのが普通であって「誰かやったんだら」では違和感がある。
他には「だら」ではないが「だに」
「ごはんするだに」
これは「ごはんにするだに」というな普通は。
てにをは抜きは遠州弁の特徴のひとつでもあるが、この場合とかは「に」抜きするとざらつきを感じる。
これが例えば「宴会するだに」だと「宴会するだよ」で違和感はないし返って「宴会をするだに」ではざらつきを覚える。「宴会」と「ごはん」の違いはなんぞやと問われても応えに窮するものだが、なんしょそうだあれ。そうなってるだ。
きりが無いのでまた気が付いたらその2として。