遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
女性言葉。正直正しくはどういうニュアンスなのか男からしたら理解できていない部分が多い。
驚いてることは確かであろうが。
例文
「いやあなによを。こんな散らかいてえ。なんでこんなことするよを。」
「・・・・・・・。」
「黙ってちゃ分からんにい。ちゃんと言いなさい。」
「・・・・・・・・。」
「ゆわんだったらゆうまでそこにいなさい。」
「なにしてるの」と急ぎで問うなら「ちょっとあんたなによを」・「あんたなにやってるよを」
「やめなさい」と制止するのなら「ちょとあんたあ」・「なにしてるよをおあんた」
「違うじゃないの」と意にそぐわないなら「いやあなに?」・「も~いやっ」・「ほいちょっとあんた」
「もうなにやってんのよ」とかなら「もうなによを」・「お~いなによを」とかいう風だろうなと想像出来るのであるが
「うわっなにこれ?」とか驚いているのなら「いやっなによっ」とかだろうし。
「いやあなによを」はこれらのどれともニュアンスが異なる風に思える。
男言葉の「いやあなんだよを」とは異なる。どこが異なるのかというと男言葉は思ってもみない様になっている事を嘆くというニュアンスなのであるが、この「いやあなによを」は嘆くという感じではないのである。かといって怒っているのでもない。こういうのを「ヒステリック」というのであろうか。
「~されるのが関の山 」・「~されてお終い」・「~されるのが落ち」とかいったニュアンス。
「まけてって粘っても粗品くれてよしだらあ。」
(まけてくれって粘っても粗品貰ってそれで終わりだろう。)
ネットで検索してみると「~といわれてよし頑張ろう」とか「~といわれてよっしゃあと喜んだ」とか「~してよろし」(行ってよし)みたいな使われ方をしているのが多く。うちらんとこの近辺で使われているような「~されるだけで無駄」という意味合いの使い方は少数であった。共通語で方言ではなかろうがもしかしたらよく使われることに地域性があるのかもと思って記載。男女共用。
例文
「なんとかならんだかいねえ。」
「なんともならんらあ。」
「班長にゆってみる?どうにかしとくりょーぅって。」
「てめえらでなんとかせろっつわれてよしだらあ。」
「所詮応えてくれない」・「なんの解決にもならない」などという諦めの言い草であるとともにやんわりとその案は却下と言っていることでも使える言い回しであろう。
古語辞典で「よし」を調べてみると「縦し」(不満足ではあるが、仕方がない・ままよ・どうなろうとも・やむを得ず)というのと「由無し」(無益である・効果がない)という遠州弁での使い方に近い意味使いの言葉があった。
「由無し」(よしなし)が意味としては一番近いので憶測で言えばこれがいつのまにか「よし」に化けた形になって今も使われてるという古い日本語の生き残りということなんだろうか。でも「よしなし」が「よし」にって随分原型を留めていなさ過ぎのような気がしないでもないので説得力は薄いよなあ。
とにかく遠州弁ということでは決してないであろうがこの言い回しが全国どこでも通用するものなのかが興味のあるところである。
「勝手」とは台所に関した事。「勝手口」なら台所の出入り口。
共通語であり別に遠州弁でもなんでもないところで「勝手」に「お」をつけるのもごく普通の共通語である。
しかしこれに「やる・する」がつくとなると途端に遠州弁っぽくなるところではないかと思えたので記載。
「お勝手やる・する」というのは食事の支度をしているつまり調理していると言っている。
まあ全国どこでも使う言い回しであって決して遠州独特という訳ではないだろうけど遠州でも使うよという事で。
例文1
「まいど~三河屋で~す。・・・・・。奥さ~んおいでる?」
「ほい悪いやあ。今お勝手やってていごけんもんでえ悪いだけど勝手口ん方廻ってくれん?」
例文2
「あれえもうこんな時間じゃん。お勝手やらんとかんで奥さんごめんねえ。」
とかいって井戸端会議を抜ける口実となすこといと多かりき。
「お勝手」という言い方そのものが都会では死語化しつつあるようにも感じられるところであるがこれは家の作りによるものだろうかな。
昔は「男子厨房に入らず」みたいなもんで家の中で女性が唯一自由に動き回れる場所が台所ということで「勝手気まま」的な意味から「お勝手」とかになったんだろうか(あくまで勝手な推測です)。にしちゃあお姑さんと嫁の間で火花散っていそうな雰囲気が存在したやもしれず真の「勝手」だったかどうなのかは疑わしい気がしないでもないところであるが。
遠州人がよく使う身内の呼び方。以前の記事で個別に書いたところであるがもう一度今度は取りまとめたものを記事とする。基本は本人に声を掛けるのではなく他人に家族(身内)の事を話す際に使われる表現。もちろんこれが全てではない。
父→おっとさ・おとっさ・おやじ・父親・おとおちゃん
母→おっかさ・おふくろ・母親・おかあちゃん
夫→だんな・つれ・亭主・うちの
妻→つれ・おっかさ・女房・(「かかあ」の使い手は存在するが少数である)・うちんの
姉→あんねえ・あねえ・ねえさ・ねえちゃ・上んの・姉貴・ねえさま
兄→あんにい・にいさ・にいちゃ・上んの・兄貴
自分(本人)→わし(実際にはボクとかわたし・俺等であるが遠州弁の基本はわしなので)
妹→いもおと・下んの
弟→おとおと・舎弟・舎っ弟・下んの
我が子→ちび・ちびすけ・がき・がきんちょ・うちの子・こぞう・こんぞう 複数の場合は ちびら・がきら・うちの子ら
祖父→じいじ・じいさ・じいさま・じいちゃ・じっちゃあ・じっちゃま・おじいちゃん
祖母→ばあば・ばあさ・ばあさま・ばあちゃ・ばっちゃあ・ばっちゃま・おばあちゃん
叔父→おじさん・(おんじい)
叔母→おばさん・(おんばあ)
義理の兄弟などの場合は「義理の~」という言い方になる。ただし「上んの・下んの」については義理の関係の場合には使わないことが多い。「うえんのの義理の兄貴」といえば「上の姉の旦那さん」ということである。
親に対してよく付加される「馬鹿・クソ」については「おやじ」にしか付かないのが普通であろう。「おっかさ」に「馬鹿・クソ」が付く言い方を聞いた事がない。「おっかさ馬鹿だもんで」という言い方はよくあるが「馬鹿おっかさだもんで」という言い方は普通はしないということである。
「おんじい・おんばあ」は私らんとこではほとんど使わない言い回しであるがそういうところもあるらしいということで参考として記載。
最近はどうか知らないけれど、ちょっと前なら「パパ・ママ」は小学生までで中学辺りになると周りから「まだママかよ」って囃されたりして自然消滅していったものであるが今はどうなんでしょ。もっと前なら「パパ・ママ」なんぞはおだいさま(金持ち)のセリフであって庶民が使うなんてことはなかった。そんな感覚で生きてきただけにドラマとかで高校生・大学生辺りが「パパ・ママ」というのには違和感があったし大人が発すると背筋が痒くなるのである。昭和人としてはええ歳こいて何甘えてるとつい思ってしまう、浜松はそういう風土だと思っている。
「パパさん・ママさん」だったら比国辺りの就労者が発する言葉としてインプットされてるんで違和感ないんですけどね。
「凄く頭に来る」と言っている。ただし遠州弁での怒りのレベルでは「プンプン」に毛が生えた程度のものであろうか。むしろ「あたまくる」・「あったあきた」(頭にきた)の方が「カチンときた」クラスという怒りレベルが高いのは不思議なところではある。当然個人差もあろうが。
まあ「どえらいわあ」(とてもしんどいよお)と「えらいわあ」(しんどいんだ)みたいなもので大袈裟に聞こえる分うそ臭くなるというところの妙であろうか。
「ど」ではなく「ばか」を使う「ばかあたまくる」。どう違うのかというと、大して変わらない。どっちを使うかは人それぞれであろうしその強弱についても人それぞれであろうか。
強いて違いを探せば「どあたまくる」は「むかつくなあ」という不満で「ばかあたまくる」は「やってられない」に近い不平というニュアンスの違いであろうか。
例文
「なにちんぷりかあってるでえ。」
(なにふてくされてんだよ。)
「ランチ○○と喰い行っただよ。で、わし好きなもん最後に喰いたい人だもんでグリーンピース後までくろに寄せて残いといただよ。ほしたらあんの野郎『食わんだけえ?』って言ってるうちから人の皿からかっさらっていきゃあがってよを。も~どあたまくる。」
(ランチを○○と食べに行ったんだ。それで自分好きなものを最後に食べる主義なんでグリーンピースを端に寄せて残していたんだ。そうしたらあいつ「食べないのかい?」って言ってるそばから横取りして食べちゃったんだ。ホントむかつくわあ。)
「そりゃしょんないらあ。普通グリーンピース残しゃ嫌いだと思うにい。」
(そりゃあしょうがないだろ。普通はグリーンピース残せば嫌いだと思うよ。)
「そんなの知らすかあ。ど怒れるやあ。」
(そんなの関係ないよ。あ~むかつく。)
「ゆっただけ?ばかっつらって。」
(そんなことするなって注意したのかい。)
「ゆったさあ。ほしたら『あっそう。』で終いだにい。はあやんなっちゃう。」
「一回やりゃあおぼわさるらあ拙かったって。次からは大丈夫だで許いてやんない。」
(一度失敗すれば覚えるだろう。これで懲りただろうから許してあげなよ。)
「ばかこいちゃかんて。これで二度目だでねえ。」
「おおそうけ?そんじゃもう行かんこんにするしかないの。」
(ああそうなの?それじゃあもう一緒には行かない事にするしかないね。)
「おお、そうするわ。」
この文章を「ど」を抜いて「頭くる」・「怒れる」とすると本気でむかついているという感じとなる次第。