遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「卒業した・卒業する」と言っている。非常に特別な言い回しで
「去年高校おりただら?」
(昨年高校卒業したんだろ?)
といった風にほぼ修業に関してのみに使われる。なので
「いつまでも子供じゃないんだからもうそんなことは卒業したんだ。」というのを
「いつまでもガキじゃねえだではあそんなんおりただあ。」という風には使わないということである。
くれぐれも勘違いして欲しくないのは「やばいことから手を引く」みたいな「やばいことからおりた」とかいう使い方とは全く違うものであるということ。
例文
「なにとろとろやってるよを。」
「これんうまくでけんくてさあ。なんでこうなるだか頭爆ぜそうだわ。」
「なんでえ がっこで習わんかっただけえ。」
「はあ忘れちってえ。」
「なによをこないだおりたばっかだらあ。がっこでなにやってたよを。」
「うたた寝と早弁かな。」
「それじゃしょんねえの。」
音声はこちら
「学校おりた」
なんでこう言うのかといくつか想像する(邪推を巡らす)に、学校に行くという事は徳や知識を得るという為という高尚なことであって、それは「偉い行い」だという意識がある訳で。それが卒業することによって世間という高尚とは対極的なところに「降りてくる」つまり「降臨」してきて凡人達に得てきたものを分け与えてくれるという意識からなのではなかろうかという考え方がひとつ。こういう解釈だと「降りる」という字が似つかわしく思えてくる。そうではなく「供物を下ろす」といったお下がりを貰うみたいだと解釈すれば「下ろす」と考えられなくもないか。どちらにしてもこの考えの泣き所は「幼稚園おりてこの春から小学生だねえ」といった具合に必ずしも卒業=就職(社会に還元)ということではない場合にも「おりる」が使われるので説得力に乏しいところである。
それに進級や入学を「学年があがる」・「中学校にあがる」などと言うので単純に上がる下りるというだけの話しかもしれない。
別の考えとしては、「新品を下ろす」みたいな新しいものを初めて使うという意味使いで次のステップに進むピッカピカの一年生って感じを表わす為。などという考え方も捨てがたい。この解釈だと「下りる」という字が相応しく思えてくる。この考えの泣き所は何年経過していようとも「あいつ○○大学おりてるだよなあ」とかいう経歴としても使われるところであろうか。
他には「終えた」がなにがどうなってなのかは分からないが「おりた」に変化したという考え。まあこれは無いな。
以上、正しい事はどういうのかは知る由もないので勝手な想像しました。正しいことをお知りの方はご教授願えれば幸いです。
いづれにせよ共通語的解釈だと「おりる」は「中途退学」みたいな学業を諦めた印象となるらしい。なので「学校おりる」という遠州弁における言い回しは奇異に感じられるらしい。しかしながら
「修行を終えて山をおりる」という言い方であれば受け取るニュアンスは少なからず遠州弁的なものに近いのではなかろうか。
おそらくはこういう言い方は古い日本語であってそれが遠州ではまだ残っているということなのであろうか。ただし遠州でもあまり使われなくなった死語の部類に入る言い回しであるやもしれぬが。