遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「どんじかられた」
どれくらい叱られたのか。どの程度の叱られ方なのか。
いつも以上に多分に個人的見解満載ですので鵜呑みは危険。
一概にこうだという基準はもちろんないのだが
勢いとしては、大層言われてへこんではいるが一時の嵐みたいなものでこたえていないもしくは立ち直りつつある(平気平気という)感じであろうか。どういう叱られ方をされたかというのを想像すると、叱り方はじくじくとした陰湿なものでは無くカラっとした感じという印象を与える。反応としては「いやあ参ったよ怒られちゃった」みたいな。
共通語に直すのなら「叱りつけられた」・「雷が落ちた」とかいったものになろうか。
他の言い方と較べてみると
「がんこ言われた」
きゃんきゃん言われた。言われ放題言われて辟易(うんざり)してる。
「えらい言われた」
なんでそんな事(又はそこまで)言われなきゃいけないんだ?と内心思ってる。
「きつく言われた」
今後こう言う事の絶対無いようにといった内容と想像される。
といった風に、「叱られた」よりも「言われた」を使う方がきつい・こたえてる勢いがある。「叱られた」はきつい注意だが「言われた」は非難されたというニュアンスが強いからであろうか。叱られたはドカンで言われたはネチネチという使い方にもよろうが。
「ばかしかられた」
意味的には「どんじかられた」とほぼ似たような感じであるが、使いどころとしては必ずというものではないが、以前とかこの間とかいう過去に於いてという場合に使われることが多い。ついいましがたとか今正にというのであれば「どんじかられた」で暫く間が空いてのものなら「ばかしかられた」という使いどころの違いが無くもない。
「この間どんじかられた。」だとその時の光景(記憶)が今蘇ったみたいな生々しい勢いになる。今も後を引いている感じが籠もる。
「この間ばかしかられた。」ではあの時はこうだったなというのが記憶として残ってるくらいの勢い。
「説教喰らった」
言われる方にしてみれば「どんじかられた」と大して変わりは無い。強いて違いを挙げれば「どんじかられた」は感情的にで「説教喰らった」は理屈も込みで叱られたというものであろうか。
ちなみに「どんじかられた」の場合「ばかっつら」が枕詞に付き「説教喰らった」の場合語尾に「違うか?」が付く傾向が強い。
内容的には「どんじかられた」はああしろこうしろ分かったか?で「説教喰らった」はなんでこうしない?言ってみろという傾向が見受けられる。
「えらいおこられた」
怒られ具合はほとんど「どんじかられた」と同じと思える。あえて違いをとなると「えらいおこられた」は「いやあ参った参った」といった感じで左程効いていない・後引いていない印象を与え「どんじかられた」は口では平気とは言ってるが内心はボディーブローのように効いている印象をなんとなく受ける。