遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「歪む」(ゆがむ)の訛った表現のひとつであるのが「いがむ」。他にも「えがむ」という言い方もする。
「いがむ」と「えがむ」に大した違いはないのだろうが、個人的な感覚として思いついたことでいえば
目で視認できる物が歪んでるような場合には「えがむ」
目に見えないものが歪んでるような場合には「いがむ」
を使うことが多いような気がするのは気のせいか。
「世間が歪んでる」という場合には「世間がいがんでる」
「竿が歪んでる」という場合には「竿んえがんでる」
といった風に。もちろん明確な使い分けをしている訳ではないのでこうだと決め付けることは出来ない勝手な個人的解釈である。
「いがむ」は厳密にいうと方言ということではなさそうで古語辞典を引くと「いがむ」(意味は「ゆがむ」)が記載されており古語であるらしい。何故古来「ゆがむ」と「いがむ」の二種類が存在していたのかの説明はなされていない。
したがって「えがむ」は方言だが「いがむ」は古語ということになろうか。
例文
「あそこんさあのにいさ、弟と違って性格がいがんでるできいつけなよ。」
((あそこにいる○○のお兄さん。弟と違って性格歪んでるから気をつけなよ。)
「どうゆうとこがあ。」
(どういうところが?)
「自分欲しけりゃ誰んのだろうが自分のものにしくさるだって。ゲームだろうがマンガだろうがそれん弟ん買ったのだろうが弟借りてきたもんだろうがとんじゃかないだって。」
(自分が欲しいとなれば誰のものだろうと関係なく自分のものにしちゃうんだって。ゲームでもマンガでもそれが弟が買ってきたのだろうが弟が借りてきたもだろうがお構いなしだって。)
「そりゃ強欲なだけだらあ。」
「だでそおゆうのいがんでるっつうだあ。」
(だからそういうところが歪んでるって言ってるの。)
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「息苦しい」というニュアンスであろうか。きちんと訳すとなると遠州弁の訳では「蒸し暑い」としているところが多い。漢字で書けば「熱れる」であろうか。
共通語でも「人いきれ」という言葉があるように「いきれ」(熱れ)そのものは辞書に載っている共通語であるが共通語的には古語化しつつある中において遠州ではまだ残存してるということか。ちなみに国語辞典では造語と書かれており古語辞典では「熅る」(むしむしする熱気)という言葉が載っておりこれが相当するんじゃないかと思える。
「息が切れる」と言う表現が「いききれる」→「いきれる」と変化して訛ったと考えれば分かりやすいか。勿論説明上の綾でこれが正しい理由ということではない。
どちらかというと古い遠州弁でも最近はあまり使われることは少なくなってきている気がする。今ではどちらかというと「息苦しい」・「むっとする」とかいう言い方をする人が多い。男女共用の表現。
例文
「こん中ぬくとくていいやあ。冬なんか仕事するに楽だらあ。」
(この中は温かくていいなあ。冬とか仕事するのに楽でしょう。)
「あれえ(ビニール)ハウスん中ぁ結構いきれるもんで仕事するにえらいだにい。」
(何言ってるの。ハウスの中は結構蒸し暑いから仕事するのにしんどいんだよ。)
「冬でもけえ。」
(冬でもそうなの?)
「だよを夏なんかはあどかんときて堪らんにい。」
(そうだよ。夏なんかもう熱気がムンと来て堪らないんだからね。)
「なによを冬でもいきれるなら夏ぁ酸素ボンベでもしょうだ?」
(そんなに冬でも蒸し暑いんなら夏なんかじゃ酸素ボンベでも背負うのか?)
「いくらなんでもそんなこたあしんけどやあ。」
(いくらなんでもそんなことはしないけど。)
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「いいとこの家」だとお金持ちの家とか格式の高い家などという上流を表わす意味合いとなる。善い人が住んでいる家とか立地条件が良い家とかいうことではない。持たざる者が持つ者を指して発するひがみも混じった言葉。したがって金持ちが「自分はいいとこの家に住んでる」なんてことは言わないし言ったら自慢してやがると思われてはぶせにされる。
「いいとこまんじゅう」だと秘密・内緒・教えないとかいう意味合いで使われる。
これから想像されるのは、「いいとこ」ってのは手の届かない憧憬のような場所とかいうことになるのであろうか。そして殆ど諦めてる憧憬でいつかなろうぞ辿り着こうぞとかいう向上心はさらさらない勢いがある。
では共通語の「いいとこ」ってどういう意味なのか。
「いいとこどり」これだと「良い所」
「誤解もいいとこ」これだと「にも程がある」
まあ「良い所」がほぼ遠州弁と同じか。(勿論共通語的意味も使ってる)
例文
「○○は、がさつだねえ。まあちっと行儀っつうのを知らんとを。」
(あいつはがさつだねえ。もう少し行儀とかちゃんとすべきだろ。)
「あれであいつんおっかさはいいとこの出らしいに。」
(ああ見えてあいつの母親は良家の出身らしいよ。)
「ほんとにい?なんにも教えちゃいんだかいやあ。」
(本当かよ。何も教えてはいないのかなあ。)
「だらあなあ。ほとんど野生児だもんな。」
(でしょうねえ。ほとんど野性児みたいなものだからね。)
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「いやいやそうじゃなくて」とかの「いやいや」とは全く異なる遠州弁における「いやいやあ」。イントネーションは説明が難しいのだが「いやいや」とは全く異なる。
「いやいやあ。なんでそんなことしなきゃかんよを。」
などという風に使うもので、訳すとしたら「冗談じゃない」・「御免こうむる」辺りのニュアンスになろうか。基本男女共用であるが頻度からしたら女性言葉かも。男の場合は「いやだね」を使うことが多いかも。
非常に感情的理由で突き放すような拒否の言い方である。これを説得するのには理屈や道理では理解してくれないので大層骨が折れるところである。
呆れた感じだと「あんたねえ」(あのねえ)を使うことが多く、「いやいやあ」の方が憤りつつきっぱり拒否するという勢いが増す。「いやいやあ」と言われた方は身も蓋も無い空気感が漂うことが多いので気まずくなるか喧嘩腰になるかのどちらかになる可能性が高い。
例文
「ほいじゃあ次の当番は○○さんにやってもらわすかねえ。」
(それでは次の当番は○○さんにやっていただきましょう。)
「いやいやあ。なんでまたやらにゃかんよを。こないだやったばっかじゃん。新入りだからっつってこき使うのやめてやあ。」
(冗談じゃないよ。どうしてまたやらなくちゃいけないんですか。この間やったばかりじゃないですか。新入りだからっていってこき使うのはやめてよ。)
「あんたねえ、こないだって去年のこんじゃん。」
(この間って、それは去年の事でしょうが。)
「そうだよっ。人数からしたら順番変じゃん。」
(そうだよ。でも人数からしたらこんな早く巡って来る筈ないでしょうが。)
「はあ一巡しただよ。だで今度また新しく巡るじゃん。」
(もう一巡し終わったの。だから今度から新しく巡るんじゃないの。)
「だからつってなにも自分最初にしんでもいいじゃんかあ。」
(だからといってなにも私が最初ということにしなくてもいいじゃないですか。)
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共通語でも「これ買うんだ」を「これ買うんだい」・「もう帰るのか」を「もう帰るのかい」とかいう使い方があるので突飛な使い方では決してなかろうが、共通語だと子供の言い方もしくは老人が子供にのように甘えた・甘やかす言い回しと受け取られがちになることもあるのだが遠州弁においては動作・行動の指示や命令をする意思とかとして使われているものではなかろうか。したがって共通語と違ってどの年代においても性別に関わらず発せられるものである。
単純に「い」を「よ」と訳していいものかどうかは微妙であるが一番無難な訳と思われる。何故微妙かというと遠州弁の「よ」は命令口調の際に使われる事が多いので「ほれみよ」・「ちゃんとせよ」・「そうせよ」・「これ買よ」と混同してしまうと訳が分からなくなってしまうからである。遠州弁では「い」と「よ」では命令の度合いが異なって「い」<「よ」であるからして。
ところで「い」を使わないと
「ほれみ」(どうだ見たか)・「ちゃんとやり」(ちゃんとやれ)・「そうしな」(そうしな)・「これ買いな」(これ買いな)・「真っ直ぐ帰るだに」(真っ直ぐ帰るんだよ)
といったつっけんどんな命令口調になるものである。ただでさえ他所からは荒い言葉と言われる遠州弁だけに「い」を抜くと益々もってぞんざいな感じになるものである。「い」が加えられることによって柔らかい口調になる効能がある。
これが単に語尾を伸ばすというものだと(長音化というらしい)したら
「ほれみー」・「ちゃんとやりー」・「そうしなー」・「これ買いなー」・「真っ直ぐ帰るだにー」
などとなると随分と間延びした感じになるものである。したがって言われた方としては若干小馬鹿にされた印象を持ったりもしかねないところであろう。
あくまで「い」は長音化したものではなく「い」として存在しているところが味噌なのである。(全部がそうだとは言い切れないけれど)
じゃあ「い」とはなんぞやということになる訳だが。
古語辞典を引くと、「い」(終助)呼びかけの意を表わす。・・・・・よ。
いまひとつは、「い」(助動)尊敬の助動詞「る」の命令形「れ」の転・軽い尊敬の意をもって願望・命令を表わす。・・・・・てください。・・・・・なさい。とある。
辞書においては、「い」(終助)①(主に男性が)親しい間柄にある相手に気楽な気持ちで質問する文の末に付けて用いる。(『ね』よりはぞんざいな言い方)「元気かい・どうしたい」
②(主に男性が使う)心外だとかそうしてくれなくては困るという意味の文の末に付けて用いる。(『よ』よりは相手を責める意が強い)「早くしろい・何言ってんだい」
③相手に何かを訴えたい気持ちを表わす文の末に付けて用いる。「大変だい・間違えちゃったい」
辞書にある「い」終助詞の説明を読むと遠州弁での「い」との違いは遠州弁だと「い」<「よ」だが共通語だと「よ」<「い」とある事、共通語は基本男言葉とされるなど色々と異なる点があるような気がしてどちらかといえば遠州弁の「い」は古語辞典にある「い」に近い感じがする。
なのでもしかしたら古い日本語が残っているということなのか。終助詞なのか助動詞なのかとかいうこ難しい事には触れずに感覚としてそう思えてくる。もちろんあくまでそう思えるというだけで正しいのかどうかは定かではない。
例文
「ほれみいに。ゆった通りじゃんかあ。」
(ほらみなさいよ。言った通りじゃない。)
「たまにゃあまぐれで当たることもあるだよ。こんだんなあたまたまだって。」
(たまにはまぐれで当たる事もあるんだよ。今度のはたまたまだって。)
「あんたねえ人のゆうこんにい耳貸さんとかんだにい。」
(あのねえ人の助言には耳を貸さないと駄目だよ。)
音声はこちら