遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
だるいと言う意味だが、ニュアンス的にはそこはかとなくだるいという感じである。遠州独特の表現ではないらしいのだが地域によってはこのニュアンスが異なるようである。共通語的には「けだるい」が一番意味として近いのではなかろうか。
「かったるい」に近い感じで使われることもあり、きちんとした意味づけが難しいのであるが、「かったるい」は気が弛むとか疲れるとかしんどい、しんどいからめんどくさいとかいう意味であろうと思われる。もちろん「たるい」と「だるい」は違う言葉であるが。「かいだるい」は肉体的になんとなくだるいと言う軽い症状の感じか。
辞書を引いてみたら{かいなだるひ}の転じた言葉で「かったるい」は「かいだるい」が転じた言葉。とあった。
つまり言葉そのものは方言ではない共通語であるということか。ただし遠州弁においては「かったるい」(気持ちの問題)と「かいだるい」(体調の問題)という使い分けをしていて別の言葉なっているところが地域性なのであろうか。
例文
「ここんとこ寝不足でさあ。昼かいだるいだよ。」
(最近寝不足でねえ。日中はなんとなくだるいんだ。)
「昼寝できりゃあ最高だんな。」
(昼寝できたら最高に気持ちいいんだけどな。)
「でもやあ、営業で外出で車ん中でちいと横んなったらつい寝えっちゃった時あってさあ。熱中症んなりかかってどひどいめにあっただよ。」
(でもさあ。営業で外回りしてた時、車中でほんのちょっと横になったらつい寝てしまってね。熱中症になりかかっちゃってエライ目にあったことがあるよ。)
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草刈の鎌のことを指す。滅多にないが場合によってはどぶさらいの際の鍬のことを指すこともある。
最近は電動が主流で、首にタオル巻いて麦わら被ってかっさらい持ってひいこら言いながら草刈する人を見なくなった。
例文
「庭ん雑草こらしょと生えてるだであんた刈ってやあ。」
(庭が雑草だらけになってるから草刈してちょうだい。)
「休みん日ぃくらいのんびりさしょうやあ。」
(休みの日くらいのんびりさせてよ。)
「そいじゃなに?仕事の日に早起きしてやってくれるだか?」
(それじゃあなに?仕事の日に早起きして仕事行く前にやってくれるの?)
「分かったよ。ホント人使い荒いだで。で、かっさらいどこやっただあ。」
(分かりましたよ。本当に人使い荒いんだから。それで鎌どこにあったっけ?)
「納屋入って右ん奥。やぶ蚊んけっこういるで肌出さん方がいいにい。」
(納屋の入って右の奥。薮蚊が一杯いるから半そでとかじゃない方がいいよ。)
「こんくそ暑いだに長袖着よって?」
(このくそ暑いのに長袖着ろっていうのか。)
「汗こらしょとかけるでダイエットんなるにい。」
(汗たくさんかけれるからダイエットになるよ。)
「ダイエット必要なのおれじゃなくておめえだらあ。」
(ダイエットが必要なのはお前の方じゃないか。)
「いらんこんゆうじゃない。早くしんと怒るにい。ホント黙ってりゃのんべんだらりでなんもせんだで怒れるぅ。」
(余計なこと言わなくていいの。早くやってよ。もう言わなきゃ何にもしてくれないんだから。)
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意味は二通り。
「帰らせた。」
遠州弁の特徴である「せ」が「し」に変わる表現。
「帰られた。」
名古屋言葉っぽい丁寧な表現。遠州弁だと「かえんさった」。
すべて使うのでややこしい状態が交叉する遠州地域ではある。
例文
「あいつぁどこいっただ?」
(あいつどこ行ったんだ?)
「邪魔んなるだけだで帰らした。」
(邪魔になるだけだから帰らせた。)
例文2
「お客さんどこ行かれた?」
(お客さまどこに行かれた?)
「用がおありみたいで帰らした。」
(ご用がおありのようでお帰りになられた。)
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昭和の話しである。
集落によって言い方は様々だけれど、うちんとこは「ビー玉」を「かっちん」(又はかっちん玉)と呼んでいた。といっても男子での話しで女子がそう言ってたかは定かでは無い。眺めて遊ぶのではなく玉同士ぶつけて遊ぶのが主流で玉同士が当たる音が「カッチン」と聞こえることからその名になったと想像される。ビー玉は眺めてるだけでも愛でれるのだがそういうのはビーズ・おはじきと同様に男らしくないと囃し立てられるのでぺったんと共に収穫を競う道具として使われた。
ビー玉遊び自体がもう行なわれていないのでもう死語であるけれど。
どうやって遊んでいたかと言うのも記憶が定かではなくなっているが、ルールは忘れたが地べたにあるかっちんにかっちんを目の位置まで持ってきて照準合わせしながら上から落としてぶつけるとかいう遊びをしてた記憶がかすかに残っている。
他には学校の机を卓球台のように使って打つのはラケットではなく机のヘリからかっちんを手のひらで弾いてラリーとかしながら机から自分の陣地内で落ちた方が負けとかいうのもやってたなあ。指で弾いてビリヤードまがいなこともしたっけ。ボーリングもどきは消しゴムとか並べるのが面倒なのですぐ廃れたような。
あとは丸(輪)の中にあるかっちんを遠くから自分にかっちんを転がして当てて丸の外に出すみたいなカーリングもどきのようなのもあったっけ。
どこぞのアホが鼻に突っ込んで遊んでいて取れなくなって医者に行ったという逸話も聞いたこともあった。鼻に入れるくらいだからケツの穴にも入れたに違いないと噂し合った記憶もある。
遠州弁だと多少共通語と意味が異なるかもと思って記載。
実力・能力がない。金銭的にと言う意味の含みもあり。
共通語だと辞書(昭和47年発行製)とかによると「甲斐性」は、意気地・積極的にしようとする気力と記載されている。なんか近いようで微妙にニュアンスが遠州弁は変化してる風にも思える。
しかしネットでの最新の辞書で調べると、頼りになる資質とか記載されていて、これなら近いニュアンスである。
因みに甲斐と甲斐性の違いは
「育てる甲斐がない」は育てる張り合いがない。
「育てる甲斐性がない」だと育ててく力量(稼ぎ)が備わっていない。
とか言う風に使われる違いであろうか。性質といった性が付く付かないの違いといっただけではない別のお話しのようである。ってこれは共通語か。
遠州弁での「甲斐性ない」の使い方は他には、生活力(又は経済力)がないという直球的意味で使われることが多くある。
例文
「今度これ買うだよ。」
「なによを そんな甲斐性あるだけえ。」
「ローン組みゃあなんとかなるらあ。」
「そうゆう問題じゃありもしんに。維持でけるだかっつってんの。税金やらなんやらで後々も金ん要るだでねえ。甲斐性ないくせにどうせるよお。」
「そんときゃそんときだあれ。なんとかなるらあ。」
「はああんたに物ゆう甲斐ないわ。好きにすりゃいいじゃん、わしもう知らんで。」
「そんなこといわすとお。きつくなったら助けてよ。」
「やなこったい。知らんわあ。」
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