遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「だからもう」と言っている。
「だで」を「だから」と訳したが細かくは「だもんで」の略が「だで」なので「なもので」+「もう」という事になる。「もう」の後に「嫌だ」とかが付くのが省略された言い回しであろうか。
ニュアンスとしては結構冷たい印象を与える。見捨てた諦めたみたいなニュアンスがこもることが多いからであろうか。
例文
「やあなんかうまくいかんなあ。なんで?あ、はあこんな時間じゃん。」
(う~んどうもうまくいかないねえ。どうしてだろ。あ、もうこんな時間だ。)
「無駄こいたなあ。だではあやりたかなかっただあ。」
(無駄な時間過ごしたなあ。だからもうやりたくなかったんだ。)
「そんな言い方しんだっていいじゃん。こっちだって一所懸命なんだからさあ。」
(そんな突き放すような言い方しなくてもいいじゃないか。こっちだって一所懸命なんだからさあ)
「そんな最初っから出来んもん無理してやるもんでじゃん。」
(そんなさあ。最初っから出来ないものを無理してやるからだろうに。)
「やってみにゃわかりもしんっつったのあんたじゃん。」
(やってみないと分からないじゃないかって言ったのあんただろ?)
「そうだったけか。」
(あれ?そうだったっけ。)
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ニュアンスから訳すと「なんだからね」であろうか。
最近ネットとかで遠州弁で文章を作る時、語尾を「だに」や「だら」・「にい」で締めるという文章が多いような気がする。他にも言い様はある訳で。
そのひとつが「だでねえ」。(文章の頭にくるものは除く)。
例えば「やっちゃかんだでねえ」(やってはいけないんだからね)。
「やっちゃかんだに」(やってはいけないんだよ)となれば軽い命令形であり実際使うには余程親しくないと角が立つのである。
「やっちゃかんにい」(やってはいけない)ともなれば指示命令口調であり
「やっちゃかんだら」(やってはいけないんじゃないの?)となれば「聞いた話では」みたいで説得力は薄く
「やっちゃかんら」(やっては駄目だろ)ともなれば止めるというよりも親身な感じが薄い野次馬的状態に近くなる。
このように実際耳にするにおいては「だでねえ」が一番柔らかく聞こえるものである。
「だでね」は「だでねえ」よりもきつい感じとなる。
例文
「ほいあんたの番だにい。」
「う~なんかいやったいでパス1ね。」
「なにゆってるよを。トランプやってるじゃないだでねえ。あんたひとことゆうまでこの会議終われやせんだでねえ。わかってる?」
「だってゆおうとしてたの全部先ゆわれちゃっただもん。」
「しょろしょろしてんでなんでもいいからなんか言いな。」
「え~っとですねえ。右に同じです。」
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「だよね」とかいった意味。厳密には訳しにくい。
「やるだいね」だと「やるだよね」となる訳だがこれだけだとなんのこっちゃという話しである。
「どっちかっつったらきいないほうがすきだいね」
(どちらかといえば黄色い方が好きなんだよね)
「あっちゃん今日は行くだいね」
(あっちゃん今日は行くんだよ)
「ほんたあそうした方がいいだいね。でもまあしょんないかあ。」
(本当はそうした方がいいんだけどね。でもまあ仕方ないか。)
「つうこんだいね。だでやめにしまい。」
(という事だよね。だから止めにしようよ)
といった風に文章によって微妙にニュアンスが変化する。従って単純に「だよね」の「よ」がい音便化した表現という訳にはいかないところである。
どれにも共通してる部分を探すと、相手が同調・承諾・納得してない状況において自分はこうという結論・意見・感想とかを有しているけどということを控えめに伝えるといったところが共通してる部分であろうか。
つまりあくまでさりげなく自分の意見・意思を述べているということ。
似たような表現では「だあね」・「だあれ」というのがある。
「だあれ」は「やるだあれ」(やるに決まってるだろ)といった強要・意見の押しつけといったニュアンスが強い。
「だあね」は「やるだあね」(やるということだね)といった軽い強要というニュアンスでどちらも相手の意思は無視といった勢いで、「だいね」はこちらの意思を伝える程度(要望に近い)という勢いの違いがある。
例文
「今日はこんくらいにしときまい。」
(今日はこれくらいにしとこうか。)
「はいねだいね」
(あいよってなもんだね。)
「何が『はいねだいね』だあ。まだやり足らんだ?」
「そんなこたねえよを。逆じゃん。やっとこさ終いだもんで喜んでるじゃん。」
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「だ」{助動詞特殊型}その事柄を肯定出来るものと認める主体の判断を表わす。
{終助詞}一言ひとこと・相手を説得しよう(自分の言う事を噛みしめよう)という主体の気持ちを表わす。
意味としては辞書にある通りで特に遠州弁独特のニュアンスが付随している訳ではない。
それがこの「だ」につながる表現で
「だら」(だろ)・「だらあ」(だろう)・「だに」(だよ)・「だにい」(だよう)・「だで」(だから)・「だもんで」(だもので)
となると突如遠州弁となる次第。
他には確認の気持ちを表わす
「これ買うだ?」(これ買うのか?)
「これ買うだあ」(へ~これを買うんだあ。)
という辞書では説明できにくいものも存在してるほどに「だ」は遠州弁の根っこの言葉である。
そうはいっても昔っからそうという訳でもなさそうで、「づら」が遠州弁の根幹だったひと世代前の時代で考えると「だづら」・「だっつら」とかいう言い回しは存在してなかったように思え。それに「づら」との相性はそんなにいいとは思えないから「だ」は「づら」を駆逐し後に根が生えたのではと想像される。つまり元は
「これ買うづら?」
「これ買うづらあ」といった使い方をしていたのであろう。
じゃあそれはどっから種が飛んできたのかということになると「じゃん・だら・りん」方面からというのが一番距離的にも近いし可能性が高いよなあと。
でも、「づら」は駿河や伊豆・甲州でも使われる言葉であるけれど、経験上浅羽とか福田辺りの出身の人がこの「だ」(だら・だにではなく、だ)をよく使う傾向にある気がする。
この飛び具合はよを分からん。それはともかく
「づらあ」・「づらに」・「づらで」といった言い方が確かに存在していた事を考えると「づ」が「だ」に変化したのではなく「づら」が「だ」になった(戻った)と考える手立てもあろうかと。あくまで勝手な想像ですけどね。
「そうだのえ」。ニュアンスを訳すのに難しいところだが兎に角大雑把に訳せば「そうだもっともだ」と言っている。
「だ」+「のえ」という事であり、ネットの辞書を調べると「のえ・のへ」上代東国語「なへ」の転とイマイチ訳の分からない事が書かれていた。もうひとつは「のえ」奥豊後の方言で同等もしくは目下相手に同意を求める際に使われると書かれてあった。
これが遠州弁だとは思っていないが日常会話の中でたまに聞くので、まあここいら辺でも使ったりなんかするよということで記載。
「そうだよね」というのとは少し違って同意の要素がより強いので
「そうだそうだ」とか「もっともだ」といった感じの方が近いのかもしれない。
「だのえ」よりも「だの」の方が遠州ではよく耳にする言い回しではある。
「だのい」という言い方もあるのだがこれは「だのし」と同じで遠州での言葉とは距離がある気がする。
「だ」を抜いて「のえ」とかいう言い方をするかといえば「雪の白雪ゃの~え」くらいしか思いつかないけれど使っていそうな気はする。
が、聞いたことは実際には無い。
例文
「明日雨降りそうみたいだで予定変えまいや。」
「そうだのえ。でもあれだらあ?はあ予約入れてあるだら?」
「つったって雨ん濡れてまで○○はしたかないらあ。」
「そりゃそうだん。なんかもったない気がしんでもないじゃん。」
「雨でもやりたい衆らいるだで。しんちゃんらに呉れてやって恩売っとくだあれ。」
「あいつらならやりかねんなあ雨でも。でもどんな恩売れるよを。」
「判らん。呉れてみんと。」
「案外とんじゃかなかったりして。」
(全然恩には感じなかったりして。)
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