遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「明日ちゃっと行って買うだよ。」という「だよ」の使い方は遠州弁か?違うよなあ。「買うんだよ」・「買うのだよ」の「ん」とか「の」抜きというだけの話しだよなあ。
でも「なあんか今日ヤル気せんだよ。」こう言うと訛ってるって言われるのか?微々たるもんだけど言われるよなあ。
だったら「母さんが夜なべをして・・・云々」の一節で
「せっせと編んだだよ」の「だよ」はなんだ?という話しになるではないかしらん。そりゃあ田舎の母さんだから方言言ってるってのはありうる話しであるが訳さなくても通じるもんじゃないなのか。それくらい広い範囲で使われている言い回しじゃないなのかと。まあ「だよ」がということではなくて「だだよ」というのが方言なんだろうけど。
でもまあ「だよ」と「だわ」は遠州では非常によく使われる表現で、それに「だあ」・「だよお」・「だわあ」も含めると、大袈裟ではあるが遠州弁の変遷で「づら・づらに」→「だら・だに」と来て次が「らあ・にい」と続き、その後くらいに「だあ・だよ・だわ」とかへと替わりかねない勢いの表現なのかもである。
まあ随分オーバーに言い過ぎましたですけど、頻度は間違いなく多いのでもう遠州弁というか癖と見なして記載だわ。
「だよ」を「づら」に替えても意味に変化なく成立する。「だわ」に置き換えてもニュアンスは微妙に異なってくるが成立はする。
共通語に直すとなにに相当するのだろ。「のさ」・「んだ」(買うんだ・しないんだ)とかになるのかな。色んなニュアンスに化けるので難しいところではあるだよ。
例文
「こっちんさあにこのパーツいごかいてみただよ。」
(こっちにこのパーツを移動してみたんだ。)
「んで?」
(それで?)
「そしたらなんでかしらんがいごかんくなっただよ。」
(そうしたらどういう訳なのか動かなくなっちゃったのさ。)
「元戻すしかないの。」
(元に戻すしかないねそれは。)
「でえ。元がどうなってただか忘れちゃっただよ。」
(だけど戻そうにも元がどうなってたのか分からなくなってしまった。)
「だで?」
(だから?)
「つまり壊れただよ。」
(つまり壊れたんだなこれが。)
「壊れたじゃないらあ。そりゃつんぶしたっつうだら普通わあ。」
(壊れたんじゃないだろ潰しただろうそれは。)
例文音声はこちら
これは色んな言葉に化けるので訳はこうだと断定できない奥の底が知れない言葉なのである。
「だに」も同じように複雑だけど両方説明すると訳分からなくなるので以下の文を「だに」に代えたらどうなるかというのは記しませんのであしからず。なにしろ「だに」と「だにい」及び「にい」では全く異なるニュアンスに変わることが多いので。
とりあえず「だにい」で思いついたニュアンスの違いを記すと(あくまで一例でこれ以外にもある筈)
「なにゆってるよを、あんたいくだにい」
(何言ってるのあなたが行くのっ)
「ゆやあもってってやっただにい」
(言えば持っていってあげたのに)
「そうはゆうけど、これどんもいだにい」
(そんな事言うけどこれ凄く重いんだから)
「ぞんざいに扱わんでやあ、これ馬鹿高かっただにい。もう。」
(雑に扱うんじゃないよ、これ凄い高かったんだからねえ。本当にもう。)
上記の例文を強引に「だにい」=「だよ」と出来なくもないのであるがそれだと実際のニュアンスとは微妙に離れてしまうのである。
「ただにい」という表現の場合は「~だったのに」・「~だったんだから」といった過去又は済んだ終わった話しということになる。
例文
「今日は晴れただで散歩いくだにい。」
(今日は晴れたんだから散歩に行きなさいよ。)
「さんぶいじゃん。死んじまわあ。」
(寒いじゃないか。風邪引いちゃうよ。)
「なにゆってるよを。あんた犬飼うに自分散歩連れてくでっつったもんで飼うのOKしただに。それいかんてどうゆうこんよを。」
(何言ってるの。あんたが自分が散歩連れてくからって言うから犬飼うのOKしたんだからね。それを行かないってのはどうゆうこと?)
「犬だってさぶいだにいきっと。」
(犬もきっと寒がってるに違いないって。)
「だでなによを。犬が寒い訳ないじゃん。しょんない言い訳してんで早く行きな。」
(それがなに?犬が寒い訳ないでしょ。くだらない言い訳してないで早く行きなさいよ。)
例文音声はこちら
「そうだかもしれんの」だと「そうなのかもしれないな」と訳す。
つまり「~なのかも」という事であろうか。
「やってしまったかも」とかでも「やらかいただかも」と言ったりもする。関西や名古屋辺りなら「やってもうたかも」・「やってまったかも」とかになるのであろうか遠州弁的にすると(こういう言い方はしないけど)「やってもうただかも」・「やってまっただかも」ということになる。「だ」など入れなくても特に問題なく会話が出来る筈なのだが、遠州弁では「だ」という言葉がそこかしこにちりばめられている。これは「だ」が大変重要視されているという証か。
だに・だら・だもんで・だで・だでえ・だとか・だあ・だん・だけえが・だだ(ふんだだ・そんだだ・編んだだよ)などと同じ部類に入る言い回しなのであろうかこの「だかも」も。
例えば「ゆっただじゃあ済まんだにい」
(言ったというのでは済まないんだよ)
共通語訳にすると「だ」+「じゃ」は「~というのでは」
「だ」は遠州弁では重要であるだよ。
例文
「そんなことからするよりかこっち先手え出しゃいいじゃないのけ?」
(それから始めるよりもこっちを先に手をつけた方がいいんじゃないの?)
「そりゃあそうだかもしれんがあ。なんか先やっちゃいたいだよねえ気分的にい。」
(それはそうかもしれないけどさあ。気分的にはなんとなく先にやってしまいたいんだよね。)
「めんどっちいもんからやらすなあ性分かもしれんけえが、なんしょ周りの眼っつうもんもあるだもんで楽なのからつぶいてった方が進んでるってこんでいい気がするだけどやあ。」
(手間が掛かるものからやってしまおうという性分は分かるけど周りの評価ってのもあるんだから簡単なものから済ましていった方が作業が進んでると見られていいような気がするんだけどね。)
「そこまで言うだじゃあ そうせすかやあ。」
(そこまで言うのならそうしてみようかな。)
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「たったか・とっとと」
どちらも「はきはきやれよ」という事で全国的な表現だろうが遠州でも使うよという事で記載。
例文
「なんかのんびりやってるじゃん。もっとたったかできんだけえ。」
「これで目一杯だっつうの。」
「ふんとにけえ。時計ばっかチラチラ見てるもんで早く終わらんかなってちんたらしてる風にめえたわ。」
「逆じゃん。あんたにゆわれんでもはよせえっつわれてるもんで時間までに出来おせるか気になって時計気になってるじゃんか。」
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「とっとと」と違って「たったか」は辞書に記載されていないしどこぞの方言という紹介もされていないので「俗語」という範疇に入るのであろうか。まあ「俗語」としても検索でヒットしてないけど。
「とっとと」との違いは「とっとと」が督促みたいな急がしてる感じであるのに対し
「たったか」はテンポよくや要領よくとかいった手際よくやれというような感じであろうか。
「とっとと」は作業そのものをしてない状態でも早く手をつけろという意味で使われたりするが
「たったか」は作業中の状態に対して使われている事が多い。
「遊んでないでとっととやれ」という言い方はあるが「遊んでないでたったかやれ」はない。「口ばっか動かしてんでとっととやれ」はあるが「口ばっか動かしてんでたったかやれ」となることもまずない。「ばっか」(ばかり)だと作業してなくて話しに夢中になっているからであり「口動かしてんでたったかやれ」ならば作業しつつお喋りしてるからこちらは有り。しかしながら「たったか」は注意というより要望という勢いが強いので遊んでるんじゃないよという注意したいような場合にはあまり使わないところではある。
似たような表現では「ちゃっちゃと」・「ちゃちゃっと」・「しゃきしゃき」・「はしはし」などがあるが「ちゃっちゃと」は「とっとと」とほぼ同じ意味合いでそれ以外は「たったか」と同じ意味で状況に応じての使い湧けという感じであろうか。
追記
ネットで検索したら、「たったか走る」で「軽快にテンポよく走る」という意味の説明がなされていた。
「明日の予定になってるだもんですから。」
共通語に直すとおそらくは
「明日の予定となっておりますので。」
「明日の予定になっているものですから。」
辺りであろうか。砕けたとしても
「明日の予定になってるもんですから。」
であろうか。
遠州人はこの「だもんですから」は共通語と信じている。なので公用というか仕事においてもお客さん等に丁寧な言葉という意識で使っている。
「だもんで」という言い回しは「だもんでお客さんねえ」(ですからお客さんねえ)といった「ですから」・「だから」という接続詞みたいな使い方以外にも存在している風に思えなくもない。例文を共通語を意識せずモロ遠州弁にするならば
「明日の予定んなってるだもんで。」
辺りとなる。つまり最初の例文をクソ丁寧に訳すと
「明日の予定になっているものですからすから。」
みたいな感じになる。変である。だがこう言っていることになる。これに違和感を特に感じないというのは遠州弁の理屈においては問題ないからである。だが共通語としては重複しているということになるのか。
考え方を変えて「だもんですから」に近い共通語を探す。となると「なものですから」が思い当たる訳であるが
試しとて「だ」を「な」に変えてみると
「明日の予定になっているなものですから。」
これもなんか変である。したがって「だもんで」は「なもんで」と同じじゃないような気がする。「てなもんで」を「てだもんで」という言い方とかも存在しないので「だ」を「な」に変えればそれでよしという訳でもないようだ。だが同じだと勘違いして遠州人は使っている節がある。
単純に「だ」を抜けば済む話ではあるがそうは中々問屋が卸さない次第でありまして。それほど遠州弁における「だ」は重要な言葉なのであろう。逆に言えば「だ」を封印すれば多少は共通語に近づけるということも言えるのかもしれない。なんてな。