遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「ど安い」・「ど馬鹿」・「どとろい」・「どいや」・「どぬるい」など物凄くと言う意味で使われる。
関西とかでも、「ドアホ」と表現するので遠州弁というほどではないが、「馬鹿」とともに非常に日常会話で多用される言葉である点は、遠州独特と言える。
「ど」は「度を越えて」や「度をはずれて」などの「度」があてられると思われるが、とても大きい様を言う「弩」をあてはめても意味的にははずれないのではないかと想像される。なので当ブログにおいてはめんどくさいので「ど」という表記にしている。
因みに、「弩」の由来は、昔日本の年号でいえば明治の頃、えげれすにおいてドレッドノートという戦艦が作られた際、その大きさが当時のどの船よりも大きかった為、大型戦艦を表わす際の表現としてドレッドノート級と言われるようになり、それが日本ではドレッドの頭のドを弩と当て字で書いたことから弩級と称されるようになったと聞いている。(ただしドレッドノート全て当て字にしてたのかは不明)弩級・超弩級という表現。大和・武蔵は当然超弩級。
したがって程度を表わす場合には「度」、サイズとかを表わす場合には「弩」をはめるのが自然ではなかろうか。
どM・どSとかは共通語であろうが、遠州弁的解釈で言えば「度の過ぎるM・S」ということでサイズではないので度S・度Mとするのがしっくりくると思える。
例文
「いやあどさぶいもんで風呂んちゃっと入らすかと思って湯加減見もしんで入ったら、もうどぬるくてど馬鹿こいた。」
(あ~あ。凄く寒いからお風呂で直ぐ温まろうとして湯加減確かめもせずに入ったらぬる過ぎて大失敗。)
「馬鹿じゃん。あんた横着するもんでえ。風邪引いたらみんなに笑われるにい。」
「おめえが言いふらさにゃあ済むこんじゃんかあ。言うなよそんなこん絶対にい。」
「貸し1ね。」
「そこまで弱味じゃねえわ。」
「でも貸し1ね。」
昔はお風呂は炊くもの沸かすもの。今はお風呂は蛇口ひねって湯を張るもの。
例文音声はこちら
「ど」とつながる言葉で色々と進化した言葉もあるのでそれはおいおい別途記事にということで。
例えば「どストライク」・「ど真ん中」。
遠州弁的感覚で訳せば「もろ」。
「ど変態」・「ど馬鹿」
遠州弁的感覚で訳せば「凄い・大層・相当」などといった感じ。
「もろ変態」という訳でも違うということはないが遠州ではやはり「度を越えた変態」という意味で解釈されるところである。
おそらくは「もろ」という意味使いは共通語であり「凄い」系の意味使いが遠州弁なのであろう。
従って使いどころが微妙に異なり受け取り様が異なってくるのであろう。しかしながら遠州人はそのどちらも使っており時としてややこしいという事が起こる。
例えば「どすけべ」。
共通語的「もろ」と解釈した場合多少なりとも客観的判断という趣があるところだが
遠州弁的「相当」と解釈した場合は拒絶感が強い感情表現という趣になる。
「あいつどすけべだにい」の場合「もろ」と読めば「あいつはすけべだからなあ」という訳になるし「相当」と読めば「あいつになにかされた」という被害者は語るみたいな感じになる。同性同士の会話なら「もろ」であるが異性間の会話だとどちらとも取れて曖昧となる。
これを回避するためには「もろ」と言いたい場合には「馬鹿」・「がんこ」を使う事が多い。
では次に「ど根性」はどうか。
この表現は共通語であろう。遠州弁的解釈においても共通語と同じ凄い根性というニュアンスであろう。共通語においても「凄い」というニュアンスは存在するということであろうか。もっとも「もろ根性」というか「根性丸出し」と解釈すれば「凄い」でなくても説明はつくが。
次に「どストライク」。
実は遠州人にはざらつきを感じざるを得ない表現である。「ど打てないストライク」とか「どぎりぎりのストライク」とかなら分かるが「どストライク」ではなにがどう凄いのか述べられていないから違和感を感じるのである。一歩ゆずって「もろストライク」だとすると「誰がどうみてもストライク」という解釈ととれるのであるが「どストライク」からそういう解釈をとるのは難しい。
こういったように「ど」の使い方は共通語と遠州弁では異なるものである。いっしょくたあにしてしまうと本来の意図が正確に伝わらない可能性があるところである。
「とんでく」は共通語に直すと「飛ばしていく」というものであるが全くイコールというものではない。
ペースアップするにしても例えば「仕事早く終わらせたいからペースアップしよう。」というのを
「仕事をとっとと終わらせたいから飛ばしていこうぜ。」というのはありだろうが
「仕事ちゃっちゃと終わらせたいでとんでかまいか。」と言うものではない。
「とんでく」はあくまでどこそこの場所まで「飛んで行く」のであってつまり移動するに於いてのペースアップもしくはなにをおいてもとか最短・最速でなどというものである。単純に「走る」・「駈ける」という事にしても間違いではなかろうが
「ちゃっととんでった」を訳すと「一目散に向かった」・「慌てて向かった」という使い方をしたりもするので「走る」・「駈ける」に限定してしまうとニュアンスが伝わりにくくはなる。
ちなみに先の過った使い方を訳すと「仕事をとっとと終わらせたいから急いで移動しようぜ。」ということになりどこかしら「逃げちゃおうぜ」と言ってる風にとられかねなくもない。
なんでもかんでも「急ぐ」を「飛んでく」という訳ではないのである。また「飛ぶ」や「飛んだ」で「急いで」という意味使いをするものでもない。
「急げよ」を「とべや」とは言わない。「とんでけや」でとなるものである。
「あいつとんだで多分早く着くと思うよ。」とも言わない「あいつとんでったで多分早く着くらあ。」となるものである。
「飛ぶ」=「走る」というのではなく「とんで」=「走って・急いで」というものである。
あくまで「とんで」で成り立つものである。そして「とんでか(す)」・「とんでけ」・「とんでく」「とんでき(た)」とかいう変化が存在する。
例文
「やあ、飲み屋とんできたいだでちゃっちゃと仕事終わらせまいか。」
「んな事ゆったって、やっつけ仕事じゃないだで無理だって。我慢しよやあ。」
「う~、行けんとなったら余計今すぐビール飲みたくなった。」
「昼間の麦茶の残りあるで、それ振って飲みゃあらしくなるでそれで我慢せえやあ。」
「アルコール入ってもしん。」
「酔いたいなら自分の仕事に酔やいいだあ。」
「詰まらん冗談だの。」
「悪かったの。をたこいてんでちゃんとやらんとホント終われんにい。」
「とんでく」。遠州弁では、急いで・最速にとかいった意味で使われるもので
「ちゃっととんでく」で「すぐさま向かう」と訳したりするものである。
例文音声はこちら
ところでこの「とんでく」。正解は勿論ないのだが、感じで表わすと「飛んでく」となるのか「跳んでく」となるのかはたまたこの二つ以外に漢字が当てはまるのか。「翔んでく」とか。まあこれはないかな。
意味的にいけば「跳んでく」の方が駆け足ダッシュというに相応しいと思えるところ。「駈ける」と言う意味ではこっちの方が相応しそうだが。
実際よく使われているのは「飛んでく」がよくはめられている。「飛ぶが如く」ということでおかしいわけではないわな。
それでも「飛んでく」と表記すると理解されづらいところはあるよな。
まあ無難なとこで「とんでく」と表記するようにしてるけどどのみち共通語からしたらおかしな言い回しではあろうな。
とにかく急げとか急(せ)かしてる言い回しであり「ちゃっと」(すぐに)と組み合わされる事が多い。
使い方に於いて
「ばか遠くまでとんでったにい。」とかいう使い方はしない。これだとそのまんま「凄く遠くの方まで飛んで行ったよ。」ということになる。
「遠方にまで急いで行ったよ」と言いたい場合には
「がんこ遠くうにあせってとんでったにい。」とかになろうか。「ちゃっと」とか「慌てて」とかいう語が先につく事が多い。というかそういうのをいれないと「飛んで行った」としか聞こえないのである。誰かがというのがはっきりしないとならないのである。
つまり「とんでく」のは人であって物に対して「とんでく」という表現はしない。
個人的な勝手な憶測であるが、「頓着しない」(無頓着)が「とんちゃくはない」→「とんちゃくぁない」→「どんじゃかない」へと変形したのではないかと想像している。「とんじゃくない」と言う方も存在するのはそのためか。したがって正しく?書くと「とんぢゃかない」であるべきかもしれない。
気にしない・構わないという意味である。「おら知らね」との違いで比較すると自分の子供がはしゃいで家に帰ろうとしない時など、
「もお置いてくにい。迷子んなったって、しらんでねえ。」
訳・「もう先に帰るよ。迷子になっても知らないからね。」
「もお置いてくにい。迷子んなったって、とんじゃかないでねえ。」
訳・「もう先に帰るよ。あんたが迷子になって困っても私は気にせず帰るからね。」
「しらん」だと責任を負えない・放棄する的な意味合いで、「とんじゃかない」は~があろうとも~をするというような、意思を宣言する様な使い方になる。但しこんな親は普通いないのでこういう場面での使い方は滅多にない。
ミスにへこんでくよくよしてたり、何かに躊躇してる人に対して励ます時に、
「それっぱかのこん、とんじゃかないに。」
訳・「それぐらいのことで、くよくよする(気にする)事はない。」
しかしながら他人に対して非難する意味で使うことはほとんどなく。
「あいつはとんじゃかない奴だ。」
訳・「あいつは無神経な奴だ。」
といった風には、使わない。もちろんやってやれないことはないので
「あいつぁとんじゃかしん奴だでかまわすけえ」
とかいう文を作って作れないことはないのだが普段はこういう言い方はしないような気がする。
どちらかというと自分の心境を告げる時に使うことが多く
「それっぱかのこん、わし、とんじゃかないでねえ。」
訳・「それぐらいの事で自分はめげない(気にしない・構わない)からね。」
相手への思い遣り的な「いえいえお気遣い無く。」のような使い方の場合は
「それっぱかのこん、わしに気い使わんでよホントに。」
とかで「とんじゃかない」は使わないのでやはり基本は自分用の表現だと思う。
なので謙遜(?)・遠慮的な使い方ではなく、自分の事で使う場合、くよくよしないとかの過去の現象に対して使うことよりも、、現在進行形の事柄への、障害や些細な事を無視又は放置してでも目的を達成するぞと宣言するような使い方が一般的であろう。同じ使い方の言葉で「かまわすけえ」というものもある。
「とんじゃかない」の反対語が「とんじゃかある」っつうかというと、そんだだもんはない。
「とんじゃかない」と「とんじゃくない」。
どちらもよく使われるもので実際使われるにおいては同じ意味合いで使われてるものである。が、
「とんじゃかない」は「頓着はしない」もしくは「頓着はない」
「とんじゃくない」は「頓着ない」
の変と想像するところである。
頓着とは辞書などによると
貪着の変化したもので、気にすること・気にかけること・懸念・心配といった意味。とある。
読み方としては貪着で「とんじゃく」となるそうでそれが「とんぢゃく」で「とんちゃく」へと変化してきたようである。
従って遠州弁で「とんじゃく」もしくは「とんじゃか」は「とんちゃく」が訛った(変じた)ものではなく元々の読み方がそのまま残っているということになりそうだ。
以前書いた記事ではとんちゃくが訛ってとんじゃくとなったのではなかろうかと書いたが逆であったようで、訂正した方がいいのかもしれない。(なのでホームページの方は早速に直した。)
ちなみにこの「とんじゃく」いつ頃生まれた言葉なのかは調べ方が下手糞なので分からなかった。が、古語辞典には載っていなかったので古語というレベルのものではない風に思えるところ。
で、最初に戻って「とんじゃかない」と「とんじゃくない」を考えてみると
「とんじゃくない」(頓着無い)ってことは、気にかけることが無い・心配ないということである意味頓着してる人からしてみれば「こいつ無神経」と思われかねないということになる。つまり共通語の「無頓着」(むとんちゃく)と同じ意味使いのものということ。
「とんじゃかない」(頓着はない)ということであれば。気にすることは無い・心配は無いということで、懸念事は無いと判断したという勢いに聞こえるものである。ただしこのニュアンスだと「とんじゃかない人」と言った場合どういう人なんだということになる。説明できない(言い表せない)。なので「頓着はない」と訳すのは無しなのかもしれない。
「とんじゃかない」(頓着はしない)ということであれば、気にするはしない・心配しないと言ってることになり、気に掛ける事・心配事はあるけれど考えないようにしようという意識だということになる。
まあ、あくまで言葉尻を捉えた言い掛かり的な違いであるが、大袈裟にいうと人物的には「とんじゃくない人」は無神経な人で「とんじゃかない人」は器が大きい人といった受け取られ方の違いがでてくるのかもしれない。
しかしながら最初に述べたとおり実際にはどちらも同じ意味使い(気にしない等)で使われてるもので使い分けとかはされていないものである。ちなみにわたしらんとこは普通「とんじゃかない」を使い「とんじゃくない」は殆ど耳にしないものである。屁理屈的には「とんじゃくしん」という言い方であればすっきりするとこではある哉。
「あいつぁ細かい事とんじゃかない奴だで大丈夫だよ。」
「あいつぁ細かい事とんじゃくしん奴だで大丈夫だよ。」
とかならざらつくことはない。
「あいつぁ細かい事とんじゃくない奴だで大丈夫だよ。」
だと間違いではないのだろうがなんか変と感じるものである。
「とんじゃかない」→「とんじゃくない」→「頓着無い」と想像され
共通語では「無頓着」ということになろうか。
「無頓着」との違いは「無頓着」が主に他人が評価・判断してというものであるのに対して「とんじゃかない」は自ら宣言するものであるのが主という点が違うところである。
もちろんどちらも他人の事を自分のことを発したりするもので、他人のことを指す専用・自分のことを指す専用というものではない。
なお、字体の問題もあってブログだと「ち」と「ぢ」が一緒に見えかねないので、はっきりするためにも「じ」を今後も使うつもり。心はあくまで「とんぢゃかない」であるが。
「度」+「知らん顔」
訳さば「超すっ呆けてる」・「一切無視」・「全く知らぬ存ぜぬ」・「物凄く何食わぬ顔」などが思い浮かぶ。
要は度が過ぎる「知っているのに知らんぷり」といったふてぶてしさを指しているもとでありニュアンスとしては「厚顔無恥」というのが一番ふさわしい訳といえるのかもしれない。
同じ(近い)意味使いとしては「どあつかましい」(度厚かましい)・「どずうずしい」(度図々しい)などが思い浮かぶ。「いけしゃあしゃあ」もあるがこれは少しニュアンスが異なるか。
遠州弁らしいといえる点は「し」が「じ」になるというところであろうか。
勢いとしては「むかつく」という感情が籠もるもので、褒め言葉として使われる事は無い。陰口専用ではなく面と向かって対象者に発する使い方もする。
ちなみに「いけしゃあしゃあ」は呆れるという勢い。
例文
「あの野郎。どじらんかおしてふんぞりかあってけつかりゃがる。」
「なにしたよを。」
「こっちが ど忙しいだに なんにもしやへんもんで ど頭来てるじゃん。」
「直にゆやあいいじゃん。ゆえれんだらあ。」
例文音声はこちら
存外こういう風に煽られると逆に自重が働いて治まるもんである。必ずではないが。