遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
直訳すれば凄い馬鹿となるが、意味としては当たらずといえども遠からずだが直訳とは異なる。
「おばか」というのが近いニュアンスとなろうか。
相手に対し発した場合は、共通語の「おばか」関西弁の「どアホウ」と同じ「何やってるんだよう」とか「真面目にやれよ」的なニュアンスとして使われる。
自分に向けて発する場合は、「失敗した」とか「ミスした」と宣言もしくは反省するようなニュアンスになる。
「どばかやあ」と言う表現の場合は、直情的な感想とか宣言的な要素が強めとなり
「どばかこいた」の場合は、反省・評価的な要素が強くなる。
「どばかだらあ?」と言うのは道化っぽい笑ってくれよみたいな使い方となる。他人に向けると当然悪口と化す。
例文1
「あ!わしどばかやあ。」
「どうしたでえ。」
「中身入れんと蓋閉めたった。」
例文2
「こないださあ。どばかこいた。」
「なにしたよう。」
「中身入れるの忘れて先蓋閉めちゃっただよお。はあボケただかなあ。」
「よくあるこんじゃん昔っからだにいあんた。自分で気いついてんかもしれんけど。」
例文3
「こないださあ。ケーキ焼いただけど砂糖と塩間違えてさあ。」
「そりゃ喰えたもんじゃありもしんに。」
「どばかだらあ?ふんとに自分のこんだに笑っちゃったあ。」
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追記
遠州弁では「ど」も「ばか」も「がんこ」と共に凄くという意味で使うものであり
これを組み合わせて「ばかがんこ」・「どがんこ」となると「超物凄く」みたいな意味になるのであるが。
「どばか」に限っては「凄いお間抜け」という意味にしかならない。
例えば「物凄く重い」というのであれば
「ばかがんこ重い」・「どがんこ重い」・「がんこばか重い」・「がんこど重い」・「ばかど重い」
といった言い方があるが「どばか重い」という言い方だけは存在しない。
言葉遊びの領域になる話しだが
「えらいがんこどばか」となればこれ以上ない勢いの「馬鹿」ということになる。
「ばかがんこどえらい」・「えらいどがんこばか」・「がんこどえらくばか」・「ばかどがんこえらく」等「ど」と「ばか」の順で連続さえしなければ意味は「筆舌に表わしがたいほど物凄く」みたいな意味で次の言葉に繋がる。「えらいどがんこばかしんどい」なら「死んでしまうかのようなしんどさ」みたいな。(もっとも屁理屈上の話しでこういう場合はシンプルに「死ぬ」と言うのが普通だけど。)
「ど」と「ばか」が連続して「がんこどばかえらい」では「相当なお馬鹿が大層」とかいうことになる。「どばかえらいがんこ」なら「馬鹿野郎が相当物凄く」とか。
「どばか」だけは特別なのである。
「どこかしら」と言っている。
「どっかこっかで売ってるらあ」
(どこかしらで売ってるだろう)
こういう言い方は多分遠州独特だろうと思えてきがちなのだが、ネットで検索すると結構な範囲で使われてるので全国的な俗語という範疇なんだろうかな。
「どこかしら」が「どっかこっか」であっても「なにかしら」が「なんかこっか」になるというものでもないので「どこかここか」という言い回しが本来の言葉であったのであろうか。まあ「どっかしら」が「どこかしら」の変形として存在してるのであろうから「どこかここか」がオリジナルなんだろうかなやっぱし。でも「どこかここか」なんて言い回しあるのか?という疑問は浮かぶわなあ。
「どこぞに」という訳し方も違和感ないのであるがこれもどこをどうすれば「どっかこっか」に化けれるのか理解できないものなあ。
一応遠州でも使われているよという事で記載。男女共用。
効能としては「どこかしら」と言うよりもよりいい加減な当てにならない印象を与えるというようなところであろうか。
促音まるけの言葉遊びを考えてみると
「ニッカボッカ売ってんかどっかこっかいってあっちこっち探いてそっちこっち聞いたけど結局分からんかった」
例文
「こうゆう時ぱぱってやってくれる便利なのあるといいだんね。」
(こういう時にぱぱっとやってくれる便利な物があるといいのにね。)
「そうだよねえ。そおゆうのどっかで売ってんかねえ。」
(そうだよねえ。そういうのどこかで売ってないかねえ。)
「さあ。どっかこっかで売ってるじゃないの?知らんけど。」
「それんどこにあるよを。買いい行きたいやあ。」
(それはどこにあるの。あるなら買いに行きたいんだけど。)
「だで知らんっつってるじゃん。そうゆうのぱぱって分かるのあるといいだんね。」
(だから知らないって言ってるでしょ。そういうのがぱぱっと分かるものがあればいいのにね。)
「そうだよねえ。そうゆうのどっかで売ってんかねえ。」
(そうだよねえ。そういうのどこかで売ってないかねえ。)
「さあ。どっかこっかで売ってるじゃないの?知らんけど。」
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例を挙げると「どんまい」(とてもおいしい)・「どんもい」(とても重い)・「どんぎたない」(非常に汚い)。
つまり「とても」・「非常に」といった意味の「ど」が「どん」になっているという事。これが単に言い易さの追求によって「ん」が付加されたという事という訳でもなく「どうまい」・「どおもい」・「どぎたない」という言い方も存在しているのである。
じゃあ「どん」にするのは何故?という疑問が湧いてくるのだが。
「ど」の強調形ということか?そうなるとどの言葉にも「ど」と「どん」の両方の言い方が存在していないとおかしい訳だが、「非情に臭い」を「どくさい」というが「どんくさい」とすると「とろくさい」という意味になってしまう(まあ『どんぐさい』とする手立てがあるが)。「とてもひどい」を「どひどい」というが「どんひどい」とは言わない。
といった感じで「ど」の強調形が「どん」であるとは一概にいえない。
何に使って何に使われないのかという明確な基準があるのかというとなんともいえない。なにしろ一表にして分類したものを見たことがないから。
ということで付ける付かないの判断は経験によるものでしかなく、遠州弁をこれから覚えようという奇特な人がいたとしても理屈だって教えることは出来ない。
とりあえず思いついたものを列記してみる。「ど」が付く言葉で「どん」もつくかどうか。「転ぶ」のように「どころぶ」という時点で「ど」の付く言い方をしないものなどは省く。
「痛い」→「どんいたい」→×
「眠い」→「どんねむい」→○
「遅い」→「どんおそい・どんのそい」→×
「早い」→「どんはやい」→×・「どんばやい」→○
「熱い」→「どんあつい」→×
「冷たい」→「どんつめた」→×
「寒い」→「どんさむい・どんざむい」→×
「重い」→「どんおもい」→×・「どんもい」→○
「軽い」→「どんかるい」→×・「どんがるい」→微妙だが○
「遠い」→「どんとおい・どんどおい」→×
「近い」→「どんちかい」→×・「どんぢかい」→○
「汚い」→「どんきたない」→×・「どんぎたない」→○
「深い」→「どんふかい」→×・「どんぶかい」→○
「凄い」→「どんすごい・どんずごい」→×
「ずるい」→「どんずるい」→○
「へた」→「どんへた」→×・「どんべた」→○
「とろい」→「どんとろい」→×
「うまい」→「どんうまい」→×・「どんまい」→○
「まずい」→「どんまずい」→○
「きつい」→「どんきつい」→×・「どんぎつい」→○
「怖い」→「どんこわい・どんごわい」→×
きりがないのでこの辺で。とにかく決まり事がある感じはしないが「どん」を使う言葉と使わない言葉がある事だけは確かである。
ところで「どん」+「100姓」という「どん」とは同じものなのかという疑問。
ネットの辞書には、接頭語で「ど」を強めていう言葉。「どんじり」・「どんぞこ」。とある。
という事から考えると同じものなんだろうかな。でも「どじり」や「どぞこ」とかそんな言い方しないよなあ。つまり「ど」の強調っていうけど「どん」しか言わないじゃないかという気がしないでもない。
その点遠州弁の場合は「「ど」でも「どん」でも共に使われる言葉が多いというのが特徴ということで強調形という体を為しているということなのか。
でも上記に列記した通り使う使わないのばらつきがあり過ぎだよなあ。
結論は「分からない」であるが、「ど」の強調にしては使わない言葉も相当ある。言い易い語呂の良さによるものではにのかというのも捨てがたいところである。
捕んまさる
捕まる(捕獲される)という事であるが、「さる」という言い方が遠州弁を駆使しない人にとっては「しなさる」・「やりなさる」といった丁寧な「なさる」という言葉と混同し易くややこしいという事になるらしい。遠州弁の「さる」は「さる」=「なさる」ではない。どちらかといえば「さる」=「される」という方が近い。
「とんます」は捕まえる側の立場の言葉であって「とんまさる」は捕まる側の立場の言葉である。共通語だと例えば「つかます」と「つかまされる」の間柄と同じであろう「とんます」と「とんまさる」は。
「虫とんますとなんかいいことあるだ?」
(虫を捕まえるとなんかいい事あるのか?)
「とんまさってざまあない」
(捕まって世話がない)
決して「お捕まりになられて様(立場)がない」とかいう事ではないところである。
ところでこの「さる」。他の地方では
やりんさる・しんさる
などこういう言い方は色々あろうが、遠州での「さる」表現は先にも書いたが「なさる」と言う意味ではないので全くの別物であろうか。
それと「とんまさる」くらいで他はほとんど使われない言い回しである。元は一杯あった「さる」表現が廃れてこれだけ残っているのか元は無かったところにこれだけが何処から入ってきたのか定かではないが
やりくさる・しくさる
といった「くさる」表現は豊富に使われているので
「ん(な)さる」・「くさる」という区別なのかもしれない。が、「とんまさる」はどちらにも当てはまらないか。
「んさる」だったら「つかまんさる」であろうし
「くさる」なら「つかまりくさる」というのがスムーズに聞こえる。
実際使う言い方を並べ立てると
とんまし・とんます・とんまさす・とんまさる・とんまさった・とんませ・とんまさらん
とかで、とんまる・とんまする・とんませるとかいう言い方は聞いたことがない。
「とんまさる」は「ざまあない」・「おやおや・あれあれ」などというニュアンスが籠もる言い方である。「かわいそうに」とか「(捕まって)残念」とかいうニュアンスは薄い。
つまり丁寧に言ってる訳ではないことだけは確かで他人事的な距離を置いた言い方である。
これが自身のことを言う場合例えば
「やあ信号無視でとんまさってやっきりこいちゃってえ」
(あ~あ信号無視で捕まっちまってショックでがっくりきたよ)
といった風に「馬鹿見た」という自虐的ニュアンスが籠もることになる。訳す際は「捕まっちまった」とするのが具合がいい。
「とっくに」・「すでに」。
遠州弁でもなんでもない共通語であるが使用頻度が多い事に地方性があろうかと思って記載。古い言葉であり他地域では既に死語化してるということであれば遠州弁と呼べることになるのだがどうでしょうね。って思ってネットで調べたら関西ではよく使われる表現ということらしい。なので改めて言うと遠州でも使うよという事で記載。
「そんなんはあとうに忘れたわあ」
(そんな事もうとっくの昔に忘れたよ)
「とうの昔に」とした場合に「とっくの昔に」と訳すべきところであろうがニュアンスとしてはこの方が近い。つまり「とうの昔に」の省略形が「とうに」という言葉になっているとも考えられる。
で、「とっくのとんまに」という言い方は流石にとうに使われていない。
尚、発音は当然の如く「とおに」。
ちなみに「とうのむかし」を漢字で書くと「疾うの昔」。であるからして「とうに」は「疾うに」と書く事になろう。
「お前は既に死んでいる」というフレーズを遠州弁にすると
「おんしゃあとうに死んでるでねえ」などとなる。
例文
「やあ、こんどあいつに会ったらさあ。最新の情報おせえてってゆっといて。」
(あのさあ今度あいつに会ったらさあ、最新の情報教えてって言っておいてくれないかなあ。)
「ゆっても無駄だにい。」
(訊いても無駄だよ。)
「なんでえ。」
(どうしてだよ。)
「だって、はあとうにやらんくなったもん。」
(だってもうとっくにやらなくなっちゃったもの。)
「え~!あの馬鹿好きがけえ。」
(え~!凄くはまってたじゃないか。)
「凝りすぎて飽いただなきっと。」
「ほどほどが大切ってか。」
「だの。」
(だね。)
例文音声はこちら
追記
遠州ではどちらかというと「とうに」(すでに)という意でよく使われる。
「はあとうに行ったわあ。」(もうとっくに行ったよ)
「とうに過ぎてるにい。」(とっくに過ぎてるよ)
「とう」を漢字で書くと「疾う」。
辞書を引くと「とう」{副詞}(とくの変化)「はやく」の意の、やや古風な口語的表現。とある。
昭和の辞書で「やや古風」と謳われてるのだからこれはもう古い日本語を未だに使っているのが遠州弁という証しというべきであろうか。ただ意味使いが「はやく」と「すでに」(早くも)ということで微妙な違いは生じているがおそらくは同じ言葉であろう。
例文
「雨降るかなあ。天気予報じゃやばいみたいなこんゆってたけど。」
(雨ふるかなあ。天気予報じゃ降るみたいなこと言ってたけど。)
「なにゆってるよを。はあとうに降ってるにい。」
(なに言ってんだい。もうとっくに降ってるよ。)
「うそを!全然気いつかんかったよを。え?だあだあ?」
(嘘っ!全然気が付かなかったよ。どうなの?雨強い?)
「いや、それほどでもないけど。傘なしじゃきついかも。」