遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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問いを表わす「や」。
例えば「いつ行くや。」。
イントネーションは語尾つまり「や」を強く言うが「や?」といった疑問形の語尾の上りとは異なるもので説明が難しい。
訳は「いつ行こうか。」・「いつ行くことにしようか。」など。
これが「いつ行くだ?」だと「(あなたは)いつ行くんだい?」ということになる。
「行くや」に近い表現としては「いつ行くにする?」・「いつ行かすかねえ。」とかがある。
「いつ行くよ」だと「(あなたは)いつ行くの?」で「行くだ?」に近い表現となる。
「や」は自分も行くという場合に使われる事が多い。一緒に行く為の都合合わせという勢いである。
「よ」・「だ」については「あなたが行くのはいつ」といった感じで一緒に行くとは限らない。
次に「どうするや。」
訳は「どうするんだよ。」・「どうするのさ。」とか。詰問調ではないが結論(判断)を訊ねている。こう言われて躊躇したり結論言わないと愚図と判断される。
この場合には「行くや」とは違って自分が含むか含まないかは関わりあいはない。
「どうするだ。」は結論(判断)を問うているわけで「だ」の方がより詰問調が強まるというものである。
「どうするよ」は「どんすんだよ」と訳せ、オラ知らね(第三者)的な私は関与しないからあんた早く決めちゃいなさいよといった督促という勢いが増す。
「どうすんよ」となるとどう落とし前つけるつもりなんだという責任を問うている勢いが付加される。
ちなみに「どうすんや」という言い方は遠州では使われない。
例文
「近いうちに仕事忘れて釣り行くでえ。」
「あ、いいなあ。わしも行きたいやあ。」
「なんなら一緒に行くけえ。」
「ほんとにい?迷惑でなけりゃありがたいやあ。」
「迷惑なんかあるわけないじゃん。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。で、いつにするや。」
「そうさなあ、来週の土曜でどうよ。」
「いいねえ。じゃそうするかあ。」
例文音声はこちら
例「おやいた」
別記事で挙げた「わかりやいた」(分かりました)という使い方の「やいた」とは別物の「やいた」。
例えば「燃やした」を「もやいた」と言うもの。この場合は単に「し」がい音便化したものと勘繰れるものであるが、他には
「燃やいた」・「かやいた」(返した)・「けやいた」(消した)・「おやいた」(壊した)
などいうものがある。
い音便化しなければ「もやした」・「かやした」・「けやした」。「おやした」となるものである。この時点で「燃やした」のように共通語になるものもあれば「消やした」は方言のままというものもある。(ちなみに「けやした」は関西とかでも使われる言い回しだそうな。)
味噌な部分はおそらく「や」の存在であろうか。
「燃やした」を「燃した」とすると方言と呼ばれ
「消やした」を「消した」とすると共通語になるという統一性(法則)の無さ。
「見やいた」なら「見やる」とか「見やれば」とかと同じ言い回しからで「見やり」+「した」=「みやりした」→「みやりいた」→「みやいた」と変化(強引だが)したのかなと云う妄想が湧き立つところであるが。
しかも先に述べた「されました」という意の「やいた」との混同具合が余計話しをややこしくしている。
例えば「行きやいた」と言う場合、「行かれました」で疑いようがないのだが
「眠る」において「眠りやいた」の変で「ねむらいた」となると、「眠らした」(眠らせた)なのか「眠られた」のどっちか微妙である。
ちなみにこの違いは「や」のイントネーションが異なるので実際耳にすればどっちの意で使われてるのかややこしいという事はない。
「やいた」に限らず「開かいた」・「動かいた」・「持ってかいた」とかいう「かいた」という種類もある。「かいた」の場合には「かした」(かせた)と訳せ「けやかいた」(消しさせた)という言い方が成立するので別物ではあるが。
話しを広げても余計ややこしくなるが、まあ狭めてもややこしいことに変わりは無く、これ(付くものと付かないもの)を整理(理屈で説明)出来たらある意味「発見」の部類に属するだろうかな。私には無理だろうけど。
こういう言い方をするのは遠州だけなのかは分からないが
「やんぶいた」
さて、どういう状況をさしているか。
共通語にしたらなんと言えばいいのだろうとちと悩む表現である。
「やんぶく」で「破く」であり
「やぶいた」で「破いた」となるので
「やんぶいた」だって「破いた」でいいじゃないかと言えなくもないのであるが
破く様というか精神状態とかが単に「破いた」ではそのニュアンスが表わされていないと思える。
使い方の例を挙げると
赤ちゃんが大事な書類を喜々として破いてる様をみて
「あっ、も~。やんぶいちゃ駄目だって。よこしなさい。」
この場合なんて事してくれるんだと思ってるが、赤ん坊なので怒る訳にもいかない。という様。ここで「破いちゃ駄目だって」という言い方をすると叱ってる勢いが主になる。
共通語に直すとなると
「あっ、もう。やってくれるじゃない。駄目でしょ貸しなさい。」
とかになろうか。怒るに怒れない叱るに叱れないという勢いが「やんぶいちゃ」にある。
大切な書類がどこにいったか知らないかと訊かれ
「あ~さっきやんぶいて捨てちゃったよを。」
この場合は故意ではないと言ってる。「破いて捨てた」だと意思が働いていると聞こえる。つまり故意ではなく過失だと訴えてる。もしくは無意識。
大事な書類を破いてしまって
「やっべえ。やんぶいちゃったよう。どうしっか。」
この場合でも故意ではなく過失だと訴えている勢いが増す。しかも気付かない間にという「破いてしまった」というものである。
とにかく「和らげよう」という意思が「やんぶいた」という言い方にあることは確かであろうか。
こうした使い方以外には大袈裟に膨らます勢いで使われることもある。
「ちょっと破いただけじゃん。そんなひゃあひゃあゆわんでやあ。」
「このやんぶき方のどこがちょっとでえ。」
ちゃちな・ちんけな・脆い・壊れそうなと言ったつくりが弱そうな様を示す言葉。決して緋鯉真鯉とかいう「こいのぼり」の一種ではない。共通語で近い言葉といえば「やわい」(柔い)であろうか。あくまで近いのであって同じ(やごい=やわい)ではないのだが。
基本骨組みとかの本来がっしりしたものとかがそうじゃない場合を指すので、
「体がやごい」(病気がち)・「骨がやごい」(骨が弱い)という使い方をするもので、「頭(脳みそ)がやごい」とか「性根がやごい」みたいな使い方は珍しい使い方になる。というかあまり言わない。「頭がかたい」の反対は普通「頭がふにゃふにゃ」という場合が多い。
何故か「馬鹿やごい・がんこやごい」はよく使われるが「どやごい」は言わないことが多い。
例文
「なんかさあこの家、馬鹿やごい気するだけど、気のせえかいねえ。」
「そんなことはありませんよお客様。」
「だってさあ、廊下歩くとギシギシいうし、階段ど狭くてこれじゃ荷物出し入れ大変そうじゃん。」
「やごそうではありますが、壊れる事はありませんから馬鹿やごくはありません。お客さまの提示なされた予算を考えるとこんなもんでしょう。」
「ぶっさぐる。ケチで悪かったのっ。」
例文音声はこちら
追記
「やごい」は
「脆弱」・「ひ弱」
といった言葉に置き換えるのが適当か。
「体がやごい」だと「ひ弱」・「虚弱」
「床がやごい」で「脆弱」
といった感じか。
年月がたって劣化したとか消耗・摩耗したとかで「もろく」なってきてるとかを言う場合「やごい」ではなく「やごくなってる」・「やごくなってきてる」などと言う。
「やごい」と言い切るのは元(最初)からそういう状態である事を指すと受け取れる。
「こないだ、ぎっくり腰やったもんで最近足腰やごいだよ。」とは普通言わない。こういう場合は「足腰弱くなった」・「最近足腰弱ってる」とかである。「足腰やごくなった」と言うかとなると微妙。言うかもしれないし言わないかもしれない。
「やっきり」を擬音風に説明すると「い~」である。
決して「き~」といった神経質的なものではない。
直訳?的にいうと「むかっ腹が立つ」であるが、勢い的には「参っちゃう」というもので「頭に来る」手前といった感じであろうか。まあ時として手前の境を越えていたりもするが。
ともかく、それに「こく」・「する」が足されて「やっきりこいちゃう」などとなって
「もう参っちゃうよ」とか「堪らないよ」とかいった限りなく愚痴に近い苛立ちを表現してるということになる。
共通語で近いのは「苛立つ」とか「むかつく」辺りであろうか。
別の言い方と較べてみると
「やいやい」は共通語に直すと「あ~あ」といった嘆きに近いもの。他人に向かって発するものではなく自分に向けて発しているものという事が多い。自分がミスを犯した際に多く用いられる。
「どあたまくる」は「ど頭来る」で訳すと「怒り心頭」といったものになるが実際のところは「むかつく」程度のもので怒りに火が点いてるものではない。ただし相手の対応によっては喧嘩・衝突に発展する可能性はある。
「おこれてくる」は「怒れてくる」と書けて「怒りが込み上げてくる」といったものであり、これに「ど」を足して「どおこれてくる」となると憤慨きわまりないといった趣となる。一触即発な感じが醸し出される。
「往生こく」。「やっきりこく」よりも「あ~あ」という嘆き度合いが強く「やいやい」は自業自得気味だが「往生こく」は自分以外の要因で自分が苦しむことになったことを愚痴っている。
「やっきり」は「怒れる」と「滅入る」の中間のような感情といえなくもない。もっとも限りなく「怒れる」の方に寄っているが。