遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「こんだあ何よを何さすよを」
「こんだあ何よを何せすよを」
「さす」と「せす」の違い。
「何さすよを」だと「何させるんだ」で
「何せすよを」だと「何をするんだ」となる。
「せす」の遠州弁でのニュアンスは単に「する」というよりも「しでかす」みたいな戦々恐々なインパクトが無きにしも非ず。単純に「する」と言いたい場合には「せる」を使うことが多い。
「こんだあ何よを何さすよを。はあもうついてけんにい。」
(今度は何?何をさせるつもりなの?これ以上はもう無理だからね。)
「こんだあ何よを何せすよを。はあもうついてけんでねえ。」
(今度は何?何するつもり?もう何しようとしてるのか理解出来ないからね。)
「さす」も「せす」も古い言い回しで今は
させると言いたい場合には「やらす」・「ゆう」(言う)
すると言いたい場合には「始める」・「せる」
とかを使うほうが多い。「ゆう」というのはあれやれこれやれと命令を発するみたいな意味使い。
ウィキペディアの「遠州弁」の記事でちょっとお遊びを。決して茶々入れるとかじゃなく単に遊んでるだけですのでお間違いなく。なんかね、自分の使う遠州弁と違うんでそれと比較してみようかなということですわ。遠州弁にも色々あらあなということですかね。
とあるウィキの例文
「はあ、いつまでもいらんこんしとらんでちゃっちゃとうっちゃりなや」
その訳は(もう、いつまでも余計な事をしていなくていいから、さっさと捨てなよ)
私としてはなんかざらつきを感じる。ざらつく所は「はあ」・「いらんこんしとらんで」・「なや」。
訳の文を逆に遠州弁に変換するとしたら私だったら
「やあたらたらしょうもないこんしとらんとを。はあええでちゃっちゃとうっちゃっちゃいな」
とするかな。んで、例文の遠州弁を共通語に訳すとしたら
「もういつまでも余計な真似していないでとっとと捨ててしまいなあ」
あたりかな。そんな大きな違いはないのだが、でも実際ウィキの例文にはざらつきを感じるんだよなあ私。
というのも必ずこうなるというものもないのであるが「いらんこん」(余計な事)「しとらんで」(してないで)と言ってるが大抵は「いらんこん」は「すんな」(するな)という制止である。
そこのところを例文では「しとらんで」を使い尚且つ「いつまでも」という言葉までついているのだからそろそろ止めろというニュアンスで暫し否定も制止もせず黙認してたことになっているところがね。まあ「いらんこん」に対して「やめよや」(止めろ)と締めず「やめなや」(止めなよ)と言うのもあれ?なんだけど、きっとおそらくこの人は物凄く懐の大きい人なんだろうなあ。
つまり「いらんこん」は「要らぬ事」であって「余計なお世話」とか「余計な真似」という意味で普通は使われてる気がする。余分とか無駄とか意味も無い事というのではなく明らかに迷惑・邪魔という事。だから他の要因とかがない限り普通は即制止するものであろうと。他の要因とはたとえば何らかの理由で我慢をして許容していたけどやはり(これ以上)言わずにおれず堪忍袋の緒が切れたみたいなとか席を外していて注意ができず戻ってきたらやっていたからとか。
なのでこの雰囲気では「いらんこん」は使わないように思えるので私だったら素直に「くだらん・しょんない・つまらん」・「無意味な・あほな・馬鹿な」などという言い方を使うかな。それで
「あんたねえ、うだうだしょんないこんしとらんで早くうっちゃっちゃいな」
とするかな。どうしても「いらんこん」を使うのだとしたら
「やあ見てんと思ってなにょうさっきいからいらんこんしてけつかるだあ。はあうっちゃれやあ」
「黙って見てりゃあいらんこんしてんじゃねえよ。へらへらしょうもないこんで遊んでんでちゃっちゃとうっちゃれやあ」
とかにすれば堪忍袋の緒が切れたみたいなニュアンスになってざらつきはなくなるかな。とにかく「いらんこん」を使う場合最後は命令調で締めないとどうも不自然な勢いと感じてしまう。でもそれだと例文「しとらんで」の説明の意味がなくなってしうか。
まあそもそもの例を「ぼ~っとしとらんで はしはしいごけんだか」とかにしとけばいいのにと思うのであるが。
他にも「はあ」と「なや」の使い方にもざらつきを感じてるんだけどそれで遊ぶと随分と記事が長くなるので結論だけでやんぴにしときます。
「なや」ではなく「なあやあ」か「なあや」の方がうちの衆らの感覚だとよく使われる。
「はあ」は「はあこんな生活厭!」という「もう」(最早)なのか「はあ三年経ったのか」という「もう」(すでに)なのかどっちなのかこの文ではよく分からぬ。
予めお断り申しあげおきますが、完全なるお遊びであって息抜き以外のなにものでもない記事であります。
最近テレビドラマで土佐弁をよく耳にする。土佐弁は個人的に好きである。遠州弁とどう違うのか妄想してみた。テレビからの土佐弁なので正しいのかどうかは自信はないし土佐弁のニュアンスが共通語と同じなのかも自信なし。
共通語→土佐弁→遠州弁の順で記載。
「どうして」→「どおいて」→「なんで」
遠州は「どうして」よりも「なんで」を好む種族だと思う。
「ちょっと」→「ちっくと」→「ちっと」・「ちょっくら」
「見てるから」→「見ちょるきに」→「見てるでえ」・「見てるで」
「やるぞ」→「やるぜよ」→「やるにい」・「やるでえ」
「何がだよ」→「何がじゃ」→「何がだあ」・「何やあ」
遠州弁だと男女に分かれ男なら「何がだあ」で女なら「何がよを」とかになる。男女共用だと「何があ」とかであろうか。
「そうだから」→「ほうじゃきに」→「そうだで」・「ほうだで」
「きに」という言葉は色々な意味使いで使われるのかしらん。「きい」という言葉も別種であるのかな。
「おぬし」→「おんし」→「おんしゃ」・「おんし」
「おんしなにゆうとるがじゃ」だと「おんしゃあなにょこいてるだあ」とかになるかな。「おんし」は遠州でも使うので違和感がない。
「あんた」→「おまん」→「おめえ・おんめえ」・「あんた・あんたあ」
「おめえ」は男「あんたあ」は女性がよく使う言い回し。「おまん」と言うのは遠州では言わないけど岐阜の郡上辺りでは使っていたなあ。これが名古屋辺りだと「おまあ・おみゃあ」になるんだろうかな。遠州ではとにかく言わない。
「~できない」→「ようせん」→「ようしん」・「よをやらん」
「ようせん」という使い手は遠州にもいるので親近感が湧く。
「何をいうのだ」→「何を言いゆう」→「何ゆうだあ」・「なにょこくだあ」
女性言葉なら「何ゆうよを」辺りだろうか。土佐弁は男女同じみたいだけど遠州弁は男女で異なる。
「するのかい」→「するがかえ」→「するだか?」・「するだあ?」
根拠がある訳ではないけれど印象としては土佐弁は「が」が多く使われる気がする。遠州は「だ」だけどそこんとこが違いと言えば違いなんだろうかな。
「ふかす」で思いつくものが三種類ある。どれも遠州弁とは思えないのであるが遠州弁と紹介されているところもあるとのことなので否定的記事として記載。
*ひとつは「蒸す」と言っている。ネットの辞書では「蒸す」と書いて「ふかす」と読むとなっている。昭和の辞書においてはひらがな表記で漢字は当てられていない。
辞書にもあるくらいだからこれは遠州弁ではない。「ふかす」と聞いて地方性を他所の人達が感じるのだとしたらそれは他所では死語となっている古い日本語が遠州ではまだ生きているということなのであろうか。
でも「ふかし芋」と言えば全国どこでも通用すると思うので「ふかす」は共通語だろうという気になる。まあ「線引き」や「タメ」みたいに遠州発で共通語に昇格したんだというのならあれだけど少なくとも昭和の辞書に載ってるくらいだからそりゃないだろな。
例文
「芋ふかいてあるで手え洗ったら食べない。」
「どこにあるよを。」
「ちゃぶ台んとこにあるらあ。」
「蟻んがんこたかってるだけど。」
「払って食やいいじゃん。死にゃせんて。食いもん粗末にしちゃかんにい。」
「腹おやいたらどうしてくれるよを。」
「正露丸くろの引き出しんとこにあるでそれ飲みない。それか食わんならわし食っちゃうで別に食わんでもいいけど。」
*いまひとつの使い方は「吹かす」で「大袈裟に」・「吹聴する」・「作り話し」とかいう意味で発せられる。全国的な使い方であろうと思われる。遠州独特というわけではなかろうて。
「をた」との違いは「をた」が世迷言みたいな元々からしてありえない話しという勢いで「ふかし」だと多少の事実を膨らましてありえない話しにするみたいな勢いの違いであろうか。
「嘘」との使い分けとしては「言い逃れ」・「その場しのぎ」というニュアンスが強くなり「嘘も方便」みたいな一部の理が「ふかし」を使うことによって全く存在しないんだぞと思ってることを表わす場合。それと、夢見たいなこと言ってるんじゃないよという実現不可能を指摘する場合という二通りの使い方が多いのではないかと思われる。
例文
「やあてめえふかしこいたじゃないらなあ。」
(おいお前あることないこと言ったんじゃないだろうなあ。)
「ふんだだこた あらすけえ。」
(そんなことないよ。)
「じゃなんで誰もいんよを。なんかすんごいことになってるつうもんで来てみりゃこれじゃん。なに?なんで?なにが凄いだあ。」
「凄いよを。おんしゃ来るってなったら蜂の子散らすみたいに皆いんくなっちゃっただもんでえ。凄いこんじゃん。」
*そしていまひとつの使い方は「アクセルをあける」。ぽんぽん用語か?こちらも多分「吹かす」であろうかな。
「エンジン掛ける時あんましふかし過ぎるとかぶっちゃって駄目だにい。」
「ここ広い道だからっつって思いっきりふかしてスピード出すとちゃっと白バイ飛んで来てキップ切られるでねえ。」
以上どの意味使いにおいてもこれを遠州弁と見なすには無理を感じるところと思えます。これ以外の用途での「ふかす」というのがあるのなら話しは別ですけど「ふかす」は共通語でしょう。
「夜更かし」で使われる「更かす・深す」は古語辞典にも載っている古い日本語であるがそういう意味使いの「ふかす」はさすがに遠州でも「夜更かし」以外に使うことはない。この意味使いで「ふかす」という言い方はない筈ですが。
「ものもらい」だそうな。使ったことないからそうらしいとしか言いようがないところである。
ネットで調べたら関西方面でよく使われているということらしいので遠州には最近入荷してきた言葉ということなのだろうか。個人的には「ものもらい」としか言わないしそれしか聞いたことがないので「めばちこ」と発せられたら面食らうことであろう。周り近所とかでも言う人に会った事ないので遠州では多分使われてきてはいないなこりゃ。外来種であろうか。
「ものもらい」以外の言い方としては「めこんじき」というのは聞いたことあるが「こんじき」を漢字で書くには差し障りがあるくらいの言い回しなので深くは述べない。
「ME BATIKO」であって「ME PATIKO」ではないそうな。「ぱちくり」すると目に違和感を感じることから発生して「めぱちこ」となった訳ではなさそうに思えてくる。