遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「ふかす」で思いつくものが三種類ある。どれも遠州弁とは思えないのであるが遠州弁と紹介されているところもあるとのことなので否定的記事として記載。
*ひとつは「蒸す」と言っている。ネットの辞書では「蒸す」と書いて「ふかす」と読むとなっている。昭和の辞書においてはひらがな表記で漢字は当てられていない。
辞書にもあるくらいだからこれは遠州弁ではない。「ふかす」と聞いて地方性を他所の人達が感じるのだとしたらそれは他所では死語となっている古い日本語が遠州ではまだ生きているということなのであろうか。
でも「ふかし芋」と言えば全国どこでも通用すると思うので「ふかす」は共通語だろうという気になる。まあ「線引き」や「タメ」みたいに遠州発で共通語に昇格したんだというのならあれだけど少なくとも昭和の辞書に載ってるくらいだからそりゃないだろな。
例文
「芋ふかいてあるで手え洗ったら食べない。」
「どこにあるよを。」
「ちゃぶ台んとこにあるらあ。」
「蟻んがんこたかってるだけど。」
「払って食やいいじゃん。死にゃせんて。食いもん粗末にしちゃかんにい。」
「腹おやいたらどうしてくれるよを。」
「正露丸くろの引き出しんとこにあるでそれ飲みない。それか食わんならわし食っちゃうで別に食わんでもいいけど。」
*いまひとつの使い方は「吹かす」で「大袈裟に」・「吹聴する」・「作り話し」とかいう意味で発せられる。全国的な使い方であろうと思われる。遠州独特というわけではなかろうて。
「をた」との違いは「をた」が世迷言みたいな元々からしてありえない話しという勢いで「ふかし」だと多少の事実を膨らましてありえない話しにするみたいな勢いの違いであろうか。
「嘘」との使い分けとしては「言い逃れ」・「その場しのぎ」というニュアンスが強くなり「嘘も方便」みたいな一部の理が「ふかし」を使うことによって全く存在しないんだぞと思ってることを表わす場合。それと、夢見たいなこと言ってるんじゃないよという実現不可能を指摘する場合という二通りの使い方が多いのではないかと思われる。
例文
「やあてめえふかしこいたじゃないらなあ。」
(おいお前あることないこと言ったんじゃないだろうなあ。)
「ふんだだこた あらすけえ。」
(そんなことないよ。)
「じゃなんで誰もいんよを。なんかすんごいことになってるつうもんで来てみりゃこれじゃん。なに?なんで?なにが凄いだあ。」
「凄いよを。おんしゃ来るってなったら蜂の子散らすみたいに皆いんくなっちゃっただもんでえ。凄いこんじゃん。」
*そしていまひとつの使い方は「アクセルをあける」。ぽんぽん用語か?こちらも多分「吹かす」であろうかな。
「エンジン掛ける時あんましふかし過ぎるとかぶっちゃって駄目だにい。」
「ここ広い道だからっつって思いっきりふかしてスピード出すとちゃっと白バイ飛んで来てキップ切られるでねえ。」
以上どの意味使いにおいてもこれを遠州弁と見なすには無理を感じるところと思えます。これ以外の用途での「ふかす」というのがあるのなら話しは別ですけど「ふかす」は共通語でしょう。
「夜更かし」で使われる「更かす・深す」は古語辞典にも載っている古い日本語であるがそういう意味使いの「ふかす」はさすがに遠州でも「夜更かし」以外に使うことはない。この意味使いで「ふかす」という言い方はない筈ですが。
「ものもらい」だそうな。使ったことないからそうらしいとしか言いようがないところである。
ネットで調べたら関西方面でよく使われているということらしいので遠州には最近入荷してきた言葉ということなのだろうか。個人的には「ものもらい」としか言わないしそれしか聞いたことがないので「めばちこ」と発せられたら面食らうことであろう。周り近所とかでも言う人に会った事ないので遠州では多分使われてきてはいないなこりゃ。外来種であろうか。
「ものもらい」以外の言い方としては「めこんじき」というのは聞いたことあるが「こんじき」を漢字で書くには差し障りがあるくらいの言い回しなので深くは述べない。
「ME BATIKO」であって「ME PATIKO」ではないそうな。「ぱちくり」すると目に違和感を感じることから発生して「めぱちこ」となった訳ではなさそうに思えてくる。
まああくまで言葉遊びなんですけどね。特に意味はございません。
*「きらしゃあせんようすごっくざくっとなんか」
多少強引ではあるが遠州弁である。これを訳すと
「綺羅シャア専用ズコック ザクと南下」
となる事は決してなく
「切らせはしないよ凄くザクっとなんか。」
という訳が正しい。
*「ですらあですらあいすかんだりせんですらあ」
ここまでくると遠州弁でもなんでもないどこの言葉なんだかであるが。これを訳すと
「デスラーデスラーイスカンダル星デスラー」
となる事は決してなく
「デスラーでさえ椅子噛んだりはしないでしょうなあ」
という訳が正しい。
*おまけで、次はぐでぐでの遠州弁を。ここまでくると他所の人では理解不能かなという文。男性言葉。
「あのばかっつうのせえで はあぱっぱらぱあんなって、そんで なんしょ だあだあに きぜわしくなってらんごかねえくて やっきりこいたもんで ほんとおこれてしょんない。 あったあきたで帰らすかな。」
(あの野郎のせいでもうしっちゃかめっちゃかになっちゃって、それでとにかく収拾つかない程の忙しさに追いまくられて雑然となっちゃったせいで気分が悪くて全くもって怒りすら湧いてくるよ。頭に来たから帰っちゃおうかな。)
「まあそをゆわすとを。時間までやらまいや。」
(まあそんな事言わないで。時間まではやろうよ。)
例文音声はこちら
間違っている訳ではないがざらつきを感じる言い回しというものがある。
「教室であだけちゃかんて」
「あだける」は「怒りに任せて感情を制御出来ず暴れ捲くる」もしくは「始末に負えないほどごねる」などという事なのでこれだと受けるイメージは教室はさぞかしな荒廃した修羅場である。ちんぷりかあるのバージョンアップしたものが「あだける」であり「騒ぐ」の質が異なる。
もっともその学級がすでに崩壊してての上の「あだける」であるなら相応しい表現ではあるが。だとしたらそんなクラスにはいたかあないところである。
「はしゃがないで静かにしましょう」と言いたいのであれば
「教室でくるってちゃかんにい」・「教室はくるうとこじゃないだにい」
などと言えばよいのではなかろうか。
遠州弁における「くるう」は共通語的な「狂う」とはニュアンスが若干異なり我を忘れて興奮する様を表わすもので「場をわきまえずはしゃぐ」というのに適している。
他には「ちょうける」という言い回しもアリではあるがこれは先生とかが言いそうな高い上から目線な感じがしないでもない。
「おどける」は遠州弁では「驚かす」という意味であるが「おどけてちゃかん」ということであれば「馬鹿な真似はやめなさい」という共通語的な使い方になるのでこれもアリではあるがあまり方言っぽくないので面白くはないところである。
例文音声はこちら
「ちんぷり」とは何ぞやという奥の深い事はひとまず置いといて。
「ちんぷりかある」か「ちんぷりかく」かどっちなんだというお話し。(一応ちんぷりとは大雑把に言えばすねるということ)
別にどっちが正しくてどっちが間違った使い方だという気はさらさらない。ただこの違いはどう異なってどういうところで使い分けをするのがいいのかという考察であります。もちろん私見なので正解ではありません。
「かある」とは「反る」(かえる)の訛ったものと思われ辞書の説明によると「反る」とは「その状態以外の何ものでもないことを表わすもの」である。つまり「ちんぷりまくってる」というような勢い。
「かく」とは「べそをかく」・「吠え面かくなよ」などという使い方の「かく」と思われ辞書の説明によると「かく」とは「望ましくない状態を呈するもの」である。おそらく「ちんぷりな状態になっている」とでも申せばいいのであろうか。
ということは「ちんぷりかく」はちんぷりそのものになっている状態で「ちんぷりかある」はそのちんぷり状態が衰えることなく続いている様ということか?なんか違和感があるなあ。
似たような言い回しをネットで探ると
甲州弁で「おちんぶり」・茨城弁で「ちんぷりこく」
などがあった。いずれも「ちんぶり・ちんぷり」とはなんぞやという説明までは記載されていなかった。ちなみにどちらの言い方も遠州では使わない。
ちなみにうちらの近辺では「ちんぷりかある」が主に使われ「ちんぷりかく」はほとんど使われない。
詰まるところ「ちんぷり」とは何ぞやというのが説明できない限り説得力もない訳でまあつまり行き止まりで往生せざるを得ないようだ。
辞書で近い言葉があるか探ってみる。少なくとも「陳腐」は似ても似つかないところである。他には
ちん(副詞) ーと 落ち着いてすましている様子。「ちんと座る」。
というのがあった。「ちんぷりかある」だとすねてそっぽを向くという状態を表わす際でも使うので「我関せずと知らん顔して横を向く」という意味で「ちんと横向く」→「ちんと顔を横振る」→「ちんとふる」→「ちんふる」→「ちんぷる・ちんぶる」→「ちんぷり・ちんぶり」とか言う風にでもなったのかな?でもなあ「ちん」に「すねる」みたいなニュアンスなぞないし第一「ちんぷる」という言い方もないものな。この屁理屈は無理がありすぎるからやっぱ妄想にしか過ぎないところだろうな。
本当に「ちんぷり」ってなんだろう。