遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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意味に方言性は皆無だが
イントネーションが独特であるところに方言性があろうかと。
多少地域性を捻り出せるとしたら、共通語では「くそっ」というよりも「今畜生」的な無念さが増すものであるが遠州弁でこの表現の場合は「くそっ」というよりも弱まった勢いになりどちらかというと「あ~あ」という諦めてる要素が強くなるという点に地域性が無きにしも非ずか。
例文
「聞いた?大雨で交通機関止まっちゃったもんできんのうばか空(す)きだっただってイベント会場。」
「くっそお、おとつい行かんときんのう行きゃあよかった。」
「日頃の行い悪いもんでえ。それかおめえの怨念が雨降らいたか。」
「随分なことゆってくれるじゃん。だあだあに混んでただでそりゃ愚痴のひとつも出るらあ。だけん、そこまで呪っちゃいんにい。」
こぞむ・こどむ・こずむ。「こずむ」は辞書にある共通語だし競馬用語にもあるのだが「こぞむ」・「こどむ」は辞書にないので方言か俗語扱いかのどっちかであろう。遠州弁と言い切れる根拠もないのだがネットで調べる限りでは「こぞむ」と「こどむ」は遠州人しか発していないようだ。
「こぞむ」と「こどむ」は境界線が非常に曖昧で同じ言葉が集落によって変化した可能性もあるのといやいややはり別の言葉である可能性もあるというどちらもありえてはっきりしないのだが、あえて違いを捻り出すとしたらば(あくまで私見です)
「こぞむ」は例えるなら粉末ジュースを水に入れただけで掻き回していない状態。本来混ざりあっていてこそのものが分離してる状態で、下に沈殿してる部分を指す。「もっとちゃんとかきまぜない。下んとこにまだこぞんでるじゃん」
「こどむ」は例えるなら沼の水。混沌とした状態。「水がこどんでて底がよを見えん」。空気の循環が良くなくて息苦しいような時に「やあ空気こどんでるで入れ替えまい」などと換気を促したりとかで使う。「こぞむ」が「沈殿」だとしたら「こどむ」は「停滞・蔓延」といった体か。共通語であれば「淀む・澱む」(よどむ)もしくは「濁る」。
「こずむ」は「偏む」と書ける共通語。①心が明朗さを失う。②競走馬の筋炎や筋肉痛で歩行がぎこちない様を指す。③大勢が一か所に集まる。とネットの辞書にある。
地域性があるとすると、例えば異物がこびりついた様。膝をぶつけて血が死んで(内出血して)治るにつれて当初広くあおたん状態になっていたものが消えていく中でなかなか消えない(治らない)という部分を指す。とかを「こずんでる」と表現するとか。「大勢」というワードには当てはまらないが溜まる・おかしいという意味では②か③の意味使いに近いか?①の意は使わないなあ普通は「へこむ」を使うよな。
ちなみに「こづむ」だと古語辞典に①かいこづむ(つまづいてうずくまる・傾く)。②(肩などが)こる。とある。漢字は当てはめられてはいなかったので「こづむ」=「こずむ」(偏む)かどうかは定かではない。
繰り返すが「こぞむ」と「こどむ」の使い分けは非常に曖昧で上記に挙げた例を入れ替えても違和感がないくらいである。特に使い分けをしている訳でもないので同じ言葉が地域によって言い方が変わっているだけという可能性もある。私らんとこでは「こどむ」を多用していたのかもしれない。
「こずむ」については明らかに異なる言葉であり、たまたま音が近いということであろう。
意味的にも違うものであるがそれ以外にも「こぞむ」・「こどむ」は物に対してで「こずむ」・「こづむ」は人や動物に対して使うという相違点が感じられるところである。
例文
「見舞きたにい。どうでえ調子わあ。」
(見舞に来たよ。調子はどう?)
「いやあ大分よくなっただけえが、まだ足とかこずんでてはっきしせんだよ。」
(それがさあ、大分よくなっては来ているんだけどまだ足の辺りに違和感があってすっきりしてないんだ。)
「なんもしんと寝えってばっかでいるもんでだらあ。なんか部屋の空気がこどんでる気がするだで、それも良くないじゃないのけ?薬わあ。」
(なにもしないで寝てるだけだから治りが遅いんじゃないの?それとなんかこの部屋空気が良くない気がするからそれも原因なんじゃないの?薬は飲んでるの?)
「医者くれるもんで飲んでるよ。でもこれがさあ水に溶いて飲む奴なんだけどうまく溶けんですぐこぞんでこれが飲みにくいだっ。」
「口ん入れて後で水飲みゃいいじゃん。」
「それやるとすんげえ粉っぽくてむせるだよ。」
「まあなんしょ早くよくなってね。」
「うんありがとね。」
例文音声はこちら
どえりゃあ・でえりゃあ・でら
名古屋の言葉。どれも「物凄い・大層・度を越えて」とかいう意味であろう。
どれも遠州では言わない。「えりゃあ」の部分は素直に「えらい」である。
凄いの意の「ど」については遠州では「がんこ」・「ばか」。「ど」も同じように使うところである。
なので遠州弁だと「どがんこ」・「どえらい」・「ばかすごい」・「がんこひょうきん」とかになる。脱線するが「ばかえらい」だと遠州弁では「大層しんどい」という意味になる。
名古屋のように「ら」が「りゃ」に変化する事は無い。それと「どえ」が「でえ」に変化する事も無い。「大事」を「でえじ」とは茶化した場合でない限り言う事は遠州ではしない。
憶測だが名古屋は「ら」が「りゃ」になって「どえりゃい」になり、次に「い」が省かれて「どえりゃ」で最後「どえりゃあ」と「りゃ」の長音化になったのか。
「でりゃ」とは言わないのかな。
「どえりゃあ」・「でえりゃあ」はなんとなくどういう使いどころなのかはわかるんですが「でら」は単語の意味は分かるんだけどどういう場合に使うのかよく分からないので近くはあれど別の言葉なんだろうかな。
そういうことで例文というか名古屋弁の文と遠州弁の文との比較を示すのが一番分かりがいいんだろうけど「でら」の使いどころが分からないので略します。
名古屋や岐阜ではごくごく普通かつ頻繁に文章の頭(「や」は語尾に)付く「せや・ほや・そうや・~や」。
遠州では付かない。
「せや。ほうなってまうでかんだわ。」
(そうだよ。そうなってしまうから駄目なんですわ。)
とでも訳せばいいのだろうか。遠州弁だと
「だよを。だもんでかんだあ。」
とかになろうか。
単純に使わないということもあるが、傾向として「う音便」を多用してる東海に対して遠州弁は「う音便」を多用しないという違いがあり、「う音便」と「や」の組み合わせは相性がいいが「長音化」を多用する遠州弁では「やあ」との相性の方が合うところであり「や」との相性はあまりよくないという部分もあろうかと。
先に「くそ」が付く言い方で「くそたあけ」とか「くそ生意気」とかいう場合での「非常に」という意味使いの「くそ」は遠州弁では皆無ではないがあまり使われない傾向にある。
では代わりに何が使われているのかというと「ばか」であろうか。
「ばかっつら」・「ばか生意気」といった具合に。こういった際「ど」や「がんこ」・「えらい」は使わず「ばか」が多く使われる傾向にある。さすがに「くそったれ」を「ばかったれ」という使い方をするかは微妙だが。
皆無ではないと書いたが、全てが「くそ」→「ばか」となる訳ではないという事と、その他にあまり貶めるような場合に使われないということでもあって
「くそ度胸」とか「くそ頭いい」・「くそ細かい」・「くそまじめ」
といった褒めてはいないが遺憾ながら認めざるを得ないという場合には使われるからである。この場合には「ばか」・「ど」・「えらい」・がんこ」に置き換えることはしている。
ちなみに「まじめ」を例にして比較すると遠州では
「がんこまじめ」は褒め言葉である。
「えらいまじめ」は融通の利かないとかの弊害はあるがそれでも一応認めているという褒め言葉である。
「どまじめ」・「ばかまじめ」は自分には真似できないという領域に達してるといった尊敬の念すら感じる賛美である。
「くそまじめ」は程度を越えてるということで辟易一歩手前で褒めてはいない言葉である。
後につく「くそ」の場合
「やけくそ」・「へたくそ」・「胸くそ」とかいう言い方は上記の限りではない。
「やけばか」とか「へたばか」・「むなばか」などとは言わない。「くそ」は「くそ」である。