遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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この番組を視たという人でなければ分からないかもである書き方をするが、とにかくなんしょ竜洋の衆らが映っていた。はっきしゆってみんな「ひょんきん」な衆ばっか。でもモロ遠州人。これぞって感じがしてくるだいね。まあとにかく笑えた。
ゆってる言葉(単語)はそんな方言こいてる訳じゃないけど絶対共通語じゃない。このビミョーさが遠州弁なんだよな。
語尾に付く「だ」・文中に大抵挿まれる「もんで」・「だもんで」とかいった遠州弁独特の表現はあったけどそれ以上にイントネーションと言い回しだよな。そうそう「やらしい」も出たな。
「だ」。番組内では「いや(自分は)生で食べた事ないだ。」と使われいた。この「食べた事ないだ」というのは「食べた事ありません」(食べた事ないです)というニュアンスよりも「食べる事はないです」(食べる事はしない)といったニュアンス。ちなみに「食べた事ありません」というニュアンスは遠州弁では「食べたこたあないわ」・「食べるこたあしんわ」とかであろうか。「食べたことないだ?」と語尾を上げて疑問の形にすると「食べた事ないんですか?」といった風になる。他にもイントネーションの説明が難しいので説明はパスするが言い方によっては「ふ~んあんた食べたことないだ」で「へ~食べた事がないんだあ」ともなる。「だ」だけでもかようにバリエーションがあるもので多分これ以外にもあるだろうな。
イントネーションについてはこればかりは文字では表現できない。
言い回しについてはなんとか写し取っていきたいものだ。
例えば番組でうなぎの幼魚獲ってた人の言い回しなんかホント遠州弁らしいものだったなあ。「獲れるかなあ・・・無理だな。」といったパターンは「そう思わん?・・・思うらあ?」といった遠州弁でよく使われる反語(もしくはもどき)の形態である。
自問自答でなくとも
「買い行かんだ?行くかあ。」
「いや止めとく。」
「なんでよをいいじゃん行くかあ。」(なんで行かんよを行くかあ)
とかも反語もどきの範疇に巻き込んでしまえばの話しであるが、こういう言い回しが遠州弁らしくなるポイントであろう。
言葉の並びも独特なものがあろうな。番組では顕著なのはなかったけど例えば
「今買い物に行ってきたところ」というのを遠州弁だと
「今行ってきただ、買いもんしにい」とかいう風になる。
こうしたものをきちんと拾っていけたらいいな。当たり前すぎて気にも留めてないから気付くのは多分無理だろうけど努力はしよう。
なんしょわたしんやれるこん。(今、わたしにできること。)
使ってんののコンセント抜いときまい。(使っていない電化製品のコンセントは抜いておこう。)
しょうもない電話とかメールとかは控えるかあ。(無駄な通話やメールはひかえよう。)
デマに踊らされるなんてあんた馬鹿のするこんだにい。(デマに惑わされないようにしよう。)
必要な衆んとこに行くようにしにゃかんらあ・やたらくしゃ直ぐいりもしんの買うなあよしなよを。(必要がないのに買うのはやめよう。)
あれだにい皆でやりゃあがんこになるにい。(みんなでやれば大きな力に)
当初フリップの表示だけだったものが有名人さんがフリップを持って口頭でも訴えるというのが追加された。
種類を増やす策ということで各地域の方言バージョンとかあればもっとバリエーションが豊富になるんじゃないかとふと思えた。
そこで私なりにいたって真面目に遠州弁バージョンを考えて見た。いかんせん遠州弁は舐めた物言いと聞こえるかもしれないが努々おふざけしたる意図に非ぬ由。
「泣きよう」。なんかいいよね。ほっこりしてくる。細かいニュアンス分からんけど。
テレビの情報番組で、福岡から上京する人と見送りに来た人の会話の模様が映しだされていてのその会話の中の一フレーズ。
共通語に直すとなんだろね、あの雰囲気から推察するに「泣くの?」・「泣いちゃうの?」・「泣くのかい」・「泣いてるの?」・「泣くんだ」・「泣いてる」とかが思い浮かぶ。
つまりよを分からんその細かいニュアンスが。「泣きよう」の連呼で言い合いになってたけど多分それぞれニュアンスが違ってるんだろうな。
状況をもう少し細かく説明すると、バス停にてもうすぐお別れでしんみりした雰囲気になりかけた頃に旅立つ人が見送りに来た人を見て「泣きよう」と発す。そしたら違う違うという素振りを見せながら今度は逆に見送りに来た人が旅立つ人に「泣きよう」と発す。そしてどちらも「泣きよう。」・「泣きよう」と指さしあいながら言い合うことによってしんみりを吹き飛ばすという様であった。
もっと具体的に書けば2011・4・4のめざましテレビでの「新人女優・大野いと15歳の旅立ち」という中での一シーン。丸写しすると
A「泣きよう?」
B「・・・・・?」
A「泣きよう?」
B「泣いてないから。」
A「泣きよう、泣きよう・・・」
B「泣きよう、泣きよう・・・」
この状況を遠州弁に置き換えてみるとどうなるんだろ。(注、少しいじらないと伝わらないので上と同じになってはいない。)
A「あ~泣くだ?」
(泣いてるの?)
B「なにゆってるよを、ちがうよを。」
(そんな訳ないでしょう。違うよ。)
A「泣くだ?」
(泣くの?)
B「そっちこそ泣くだ?」
(そっちこそ泣きそうでしょ。)
A「泣いてるらあ。泣いてる泣いてる。」
(泣いてるでしょう。絶対泣いてる。)
B「そっちこそ泣いてる泣いてる泣いてるにい。」
(そういうあなたこそ泣いてるでしょうに。)
とかになろうかな。たとえ同じ15歳の若さで発しても博多弁?ほどには可愛げが出ないな。まあおっさんが考えるには限界もあろうけど。
とにかくこう解釈いたしました。博多弁の使い手さんとかからそんなニュアンスじゃないぞというのであればごめんなさいです。
それにつけても博多弁?畏れ入る。「泣きよう」ひとつでこれだけバリエーション豊かに表現出来るとは。
いずれにしても方言はやっぱいいな。同郷故の心緩やかさが解放されてるようで。
違うお国同士での、例えば片や博多弁こなた遠州弁で話すとかだと会話が成立しないから共通語の存在は重要だけど。
英語やらなんやらに力入れるのもいいけど二か国語を話すとなれば外国語と日本語というよりも自分のところの方言と共通語とをマスターした方が心にはいいような気はするな。
「えごい」という言葉を遠州弁としては聞く事はない。なので近い言葉を想像してしまうのだが。
「えぐい」。「えぐい味」とかでの「えぐい」の変で「えごい」となる表現が遠州弁にあるかというとそれはない。「えぐい」は「えぐい」である。ネット辞書によれば甲州弁で「えぐい」=「えごい」というのがあるが遠州弁はそういうことはないと思われる。(ただし、甲州弁と遠州弁は共通点が多いので遠州は広いから地域によってはもしかしたら使ってるところがあるかもしれないがうちらんとこでは使われていない。)
他に「えご」から連想される遠州弁は「えごえご」であるが
くねっている・軋んでるような様(つまり歪んでる)を遠州弁では「えごえごしてる」と言うのであるが
「えごい」という言い方は存在しない。「えごむ」・「えごく」とかも存在しない。「えご」・「えごみ」とかいうのも無い。「えごえごしい」とかも無い。
「えごえご」のみである。
「曲がりくねった道」なら「えごえごした道」
「床が軋んでる」なら「ゆかんえごえごしてる」
「くねる」で「くねくね」・「軋む」で「きしきし」とかいう連なりで「えごい」で「えごえご」とかいうことではないのである。
とにかく「えごい」という言葉はない。そういう「えごむ」みたいな使い方をしたい場合には「歪む」(ゆがむ・えがむ・いがむ)を使っている。
あと考え付くとしたら方言でもなんでもないけど
「エゴ」の変で「えごい」となったとか?
独善的ということであれば遠州では「どずうずうしい」・「ばか勝手」・「きちがい」などが使われておりかような造語は流通していない。
つまるところやはり遠州弁に「えごい」という言葉は無い。
ネットを徘徊してるとときどき遠州弁五段活用という表現が見受けられる。
私はそういうお勉強の類いの国語は苦手で活用だあ体言だあ形容詞だあ副詞だあとかいわれてもなんのこっちゃいである。
一応記事内に於いてそういう文字は存在しているが、それは辞書等からのもので私の頭から出てくるものではない。
と前置きしたうえで、そういう人間にとって「遠州弁五段活用」というのは皆目見当のつかぬ意味不明な呪文に聞こえる。否定する意図はさらさらなく素直に理解できるように教えて欲しいという願いである。
少し掘ってみるとどうやらいくつか存在していてそのうちのひとつが
*「だら・だに・だもんで・はぁ・やいやい」。
辞書にある「五段活用」の説明とは折り合わない並びである。ちなみにウィキペディアの「五段活用」の説明には、日本語の口語文法における動詞の活用のひとつで、現代仮名遣いにおいて活用語尾が五十音図の「アイウエオ」の五つの段全部にわたって変化することをいう。と書かれてある。
例えば「読む」だと読ま(ない)・読み(たい)・読む(と)・読め・読も(う)という「あいうえお」の変化ということであろうか。
「だら・だに・だもんで・はぁ・やいやい」を共通語に直すと「だろ・だよ・だから・もう・やれやれ」であろうか。
そもそも動詞じゃないじゃないかってところが味噌(鍵)なんだろうかな。つまり辞書等にある五段活用とは全くの別物ということなんだろうか。じゃあなんだ?と推測してみる。
活用ってのは「活きて」(頻繁に)「用いる」(使われる)という意味だとすると少しはなるほどではあるかな。
でも五段については例えば「だら」は「だら・だり・だる・だれ・だろ」もしくは「だら・ぢら・づら・でら・どら」とかに変化することはない。つまるところ何が五段なのか意味不明。
「ばか」→「どばか」→「がんこばか」→「どがんこばか」→「えらいがんこどばか」みたく五段階に加速してく馬鹿さ加減の変化とかのようなものでも「だら・だに・だもんで・はぁ・やいやい」はないものな。
納得できるとしたら「五段」じゃなくて「五種」もしくは「五大」だよな。ということは「五大活用」というのがどういういきさつかで「五段活用」へと変化したということなのか。
他の方言でこういった何々弁五段活用と呼称されるものがあるのかとネットで調べたけど遠州弁以外そうそう出てこない。こうなったらもう言い出しっぺさんに真意を問うしかなさそうだが誰なんだろう。
ちなみに自分は遠州弁の特徴を端的に表わす標語みたいな感覚で(ころころ変わってるが)最近は女性ことばなら「だら・だに・だもんで・だで・ほい・おい」男ことばなら「だら・だに・だもんで・だで・おい・やあ」とかにしているのだがあくまで標語である。
「標語」という言い方を置き換えるとしたら「繁用」で「遠州弁五種繁用語」もしくは「遠州弁五大繁用語」とかになるかな。固いから普及はしないだろうけど。
それはともかくとしてとにかく「五段活用」をなにかに掛けたひねり言葉であるような気もするところでその心はというのを知りたいものだ。
その他には
*サ行五段活用い音便
これは細かい説明は省くがサ行五段活用動詞が「燃やした」→「燃やいた」とか「返した」→「かやした」→「かやいた」とかに変化する傾向が遠州弁は顕著だというものらしい。
これがはしょられて遠州弁五段活用と呼ばれるようになったとしたら、なるほどではあるか。