遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
共通語を遠州弁に変えてみる。
テレビの情報番組でサマータイムを実施する企業の模様が映しだされていた。早く出社し早く終わる。それを徹底するための施行手段が紹介されていたのだが、そのうちのひとつで終業時間が来たら有無をも言わさず照明を落とすという様を見て。
いきなり消すのではなく
「時間だから消しますよぅ。」
と声を出して告げた後、部屋の蛍光灯一気に消す。
個人的にはやりかけじゃあ御破算になってしまう作業もあるだろうにと努力もしくは仕事の効率に差し障りがあるんじゃないのかと思うが。まあそんなヲタはともかく、存外共通語だと冷たく聞こえるもんだ。これが遠州弁だったら
「時間だで消すにい。」
とかになる。遠州人だと家に居る時のような和んだ感覚になるもんだが、他所だとどう聞こえるんでしょうね。
でもまあそう発して消したら「やあ、なにやってるだあ、ばかっつら!」という応えは出そうな感じの警告感皆無の言い回しであるので強制度合い(説得力)は低くなるわな。
他には
「時間なったで消すでねえ。」
だと「勝手にやっとくりょ。」と、ちんぷりかあられ(ふてくされ)そうではあるな。
「時間だで消しまいか。」
これだと「そうゆわすとを、もうちょっとやらしょやあ。」と聞き入れそうにもない付け入る隙を与えそう。
「時間だにい。消すかあ。」
ここまでくるとお願い・頼みに近くなるな。
まあキリがないのでこの辺で。
遠州弁関連
他所で使ったら誤解されるだろうなという言い方。
「おっかさは大変だの。調子悪くてもえらそうにしてれんで。」
共通語的に考えれば、「母親は調子が悪くても態度をでかくしていられないので大変だ。」とかに読めることになるのか。
シュールに勘繰ればいつなんどきも母親は控えめな態度を求められるものなのだと読めることにもなるか。
しかしながら実際何を言ってるのかというと
「お母さんは大変だね。体調が悪くても辛そうにはしていられないから。」
「えらそう」を共通語に直せば「しんどそう」となろうか。
といったような事を膨らませると
「あいつえらそうだなあ。」
「うん、さっきからばかえらそうにしてる。」
この時点では確かに生意気ともしんどそうともどちらとも取れるところである。
「そんなえらいなら病院行きゃあいいだに。なんで行かんよう。」
となってここで「えらい」=「辛い」という事が分かる。まあ実際に於いては
「あいつえらそうだなあ。あんなで大丈夫かや。」
(あいつ辛そうだなあ。あの様子で大丈夫かな。)
といった言い方をして誤解を受けないようにはするもので生意気ということなら
「あいつえらそうだなあ。あんなんでええだか?」
(あいつ生意気だよなあ。あんな態度でいいのか?)
という風な言い草となるものである。
例文音声はこちら
遠州弁関連
超初歩的な遠州弁への変換を一覧にしてみようかと。
あくまで初歩である。異論もあろうがこうだという決めつけてるわけではない。一面であって応用というか変化(同じ言葉でもイントネーションによる微妙な違いがある)は記さない。
ここでは文の末につく言い方を挙げてみる。(ただしあくまで一部)
遠州弁→共通語 例文
「ら」→「ろ」 そういうもんだら→そういうもんだろ
「らあ」→「ろう」 行くらあ→行くろう
「だら」→「だろ」 言うだら→言うだろ
「だらあ」→「だろう」 言うだらあ→言うだろう
「に」→「よ」 先生に言うに→先生に言うよ
「にい」→「よう」 持ってくにい→持ってくよう
「で」→「から」 今行くで→今行くから
「だで」→「だから」 そういうもんだで→そういうものだから
「だに」→「だよ」 そういうもんだに→そういうもんだよ
「だにい」→「だよう」 そういうもんだにい→そういうもんだよう・そういうものさ
「だに」→「のに」 あっただに→あったのに
「だ」+「に」→「んだよ」 あっただに→あったんだよ
「だにい」→「のにい」 あっただにい→あったのにい
「じゃん」→「じゃない」 あったじゃん→あったじゃない
「じゃんか」→「じゃないか」 あったじゃんか→あったじゃないか
「じゃんね」→「よね」 あったじゃんね→あったよね
「や」→「よ」 ちゃんと見てや→ちゃんと見てよ
「やあ」→「よう」 ちゃんと見てやあ→ちゃんと見てよう
「ない」→「なよ」 行ってきない→行ってきなよ
「つら」→「たろう」 あっつら→あったろう
「けえ」→「かい」 そうけえ→そうかい
注、「で」については「から」の他にも「ので」と訳すこともできる。
「だ」は難しいのでここでは挙げない。
ちなみに「りん」は三河に接してる地域のみで浜松以東では使われていない。
遠州弁関連
「いきれる」を使っての言葉遊び。
例えば
「結婚するならエアコン有っても無しでもいきれる人がいい。」
という文章。普通に共通語解釈だと「いきれる」は「生きれる」つまり有っても無くても生活できると判断することになる。(「ら」抜きなので「生きられる」としなければ共通語とはならないのはご愛嬌)
これが遠州弁の解釈だと「いきれる」は「蒸し暑い」であり、例文を直訳すると「結婚するならエアコンが有っても無くても蒸し暑い人がいい。」で何訳のわからんこと抜かしてるんだという事になる。「蒸し暑い」を「暑苦しい」と置き換えれば多少は意味は通るが・・・。
笑い話になるかと思ったが洒落にならない話しになってしまった。
誤解の無いよう述べておくが「暑苦しい人」を「いきれる人」とは決して言わない。
個人的には「いきれる」とは「蒸し暑くて息が苦しい」というもので「蒸し暑い」ことそのものを指すものではないと思っている。
単に「蒸し暑い」というのであれば「ばか蒸す」と普通は言うであろうとて。
遠州弁関連
こういう使い方はしない。
「させてあげるわ」というのを
「さしてやってくれらあ」
レベル 初歩レベル
これが江戸っ子風味(つまり遠州弁ではなく)での「させてやってくれらあ」ならば「らあ」は「るわ」で
「させてやってくれようぞ」・「させてやってくれるわ」とかいった感じで成立するものであろうが、この場合には遠州では遠州弁の「らあ」と混同するのでこういう使い方はしない。
もちろん「みせてやるわ」を「みしてやらあ」という言い方はするので使わないのではなく使い分けはしているのだが。
共通語に置き換える場合に於いて「らあ」は「ろう」・「ら」は「ろ」とするのが基本的な変換である。
これに従って「さしてやってくれらあ」を変換すると「させてやってくれろう」となって違和感が生じる。
もちろん「そうしてくれろ」(そうして頂戴)とかいう言い方は遠州弁に限った言い回しでは無く多くの地域で存在する訳で「やってくれろう」は間違いとかでは無いのかもしれない。でも「そうしてくれら」という言い方は無いように普段使いではない。
これが「さしてやってくれだらあ」なら「させてやってくれだろう」とお願いしますだろ?と要求してる言い回しとして存在するものである。
意味として「させてやってくれよ」と言いたいのであるならば
「さしてやってやあ」・「さしてやってくりょう」・「さしてやってくんりょ」・「さしたってよう」などなどいろいろある。が「くれらあ」は無い。「らあ」は「よう」・「ら」は「よ」とはならないのである。「よ」・「よう」は「や」・「やあ」である。
「さしてやってくれらあ」ではなく「さしてやってくれやあ」が正しいという事である。
変形として「さしてやってくれなあ」なら通じはする。
遠州弁といえばとかく「だら」・「だに」・「じゃん」・「らあ」を語尾に付ければいいと思ってる他所の人が多いようであり、それに較べれば「ら」と「らあ」及び「だら」・「だらあ」の使い分けを知ってる分遠州弁に詳しいという事になるのだが。
甘いのっ!まだまだ奥があるだよ。という事になる訳だいね。
ちなみに
「やってくれるじゃないの」と言いたい場合は
「やってくれるじゃんか」とかになる。
「させてやってくれようぞ」と言いたい場合は
「ささしたる」・「ささしたらす」とかになる。
「目に物見せてくれようぞ」だったら「目に物みさしたる」・「目に物みさしたらす」とかになる。
例文
「あっちゃんも遊ぶでまぜて。」
「いいけどおもちゃ貸さんにい。」
「なんでえ自分だけ。いいじゃん貸してくれらあ」というのは×で
「なんでよを自分ばっか。いいじゃん貸してやあ。」
「やあだね。」