遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
遠州弁関連
「ん」に変わる場所の特徴
個人的意見
例として「怒らないで聞いてよ」。
関東方面だと
「怒んないで聞いてよ」
遠州弁だと
「怒らんで聞いてやあ」
といった違いが出てくる。
以前の記事で「信じられない」は「しんじらんない」ではなく遠州弁では「しんじれん」となるという旨を書いたがそれの続きみたいな記事と思召してたもう。
関西風味な「怒らんといて」とかと同じであろうか。そういう意味ではこの場合には遠州弁は関西方面の方言の要素が色濃いといえるやも。
つまり、「られない」となった場合「れ」と「ない」が「ん」に変わる要素がある訳であるが、「れ」を「ん」に変えるよりも「ない」を「ん」に変えるを重視する傾向に遠州弁はあると考えられるものである。
例文
共通語
「あのねえ、怒んないで聞いてくれる?」
「なんだよ一体。」
「あのね。明日の予定キャンセルになっちゃった。」
「嘘だろう!信じらんない。ホントかよ。」
遠州弁
「あのさ~っあ。怒らんで聞いてやあ。」
「なによを。」
「あんねえ、あしたん予定駄目んなっちゃっただよを。」
「嘘だらあ?信じれん。ホントにけえ。」
遠州弁関連
「ら」入れ言葉もあったりなんかして
個人的意見
「あからん」。
「開かない」と言ってる訳だが「あからん」の屁理屈は「開からない」(あからない)の「ない」が「ん」になったものという邪推が成り立つ。
ということは共通語の方が「ら」抜きしてんじゃねえのか?と疑えなくもないが、まあ、まともに考えれば遠州弁の方が「ら」入れとした方が波風立たないで済むだろう。
関西の方なら「あかん」となるのであろうか。(遠州でも使われる。)
ただなんでもこういう言い方をするかというと
「開かずの扉」を「開からずの扉」などとは言わない。「開からん扉」とは言うが。
ニュアンスとして「開かない」というよりも「開けられない」の要素の方が強いのではないかという考えも浮かぶところかもしれないが、実際使ってるニュアンスはやはり「開かない」である。「開けられない」は自分の方の力不足(問題)という趣があり「開からん」(開かない)は開かない方がおかしい(悪い・変)という趣が湧く違いを感じる。
「開く」で説明しているが「空く」でも「満席で当分空からんってさっ。」とかいう使い方をするものである。「飽く」でも使われるかというと「皆夢中で全然飽からんって。」というのは普通は「飽きゃへん」・「飽きゃせん」と言うので多分「飽く」では使わないだろうなと思える。
なんとなく思うのだが、「ら」抜き・「ら」入れとかいう変化の話しじゃなくて、そもそもの法則が共通語と遠州弁は違ってるんじゃないのかと。もっともその屁理屈をこねる言い訳はまだ浮かんでこないのだが。
いくらなんでも古語の「あからむ」とかではあるまいて。
例文
「や、どうも錆びてるみたいでいっくらやってもあからん。」
(うっ!どうやら錆びてるみたいでどんなに開けようとしても開かない。)
「油さしゃあちったあ滑りん良くなりゃへんけえ。」
(油を注せば少しは滑りが良くなるんじゃないの?)
「どこにさしゃあいいよう。」
「錆びてるとこだら。」
(錆びてる所にだろ。)
「そこに届かんもんで往生こいてるじゃんか。」
遠州弁関連
共通語「痛くないの?」
遠州弁「痛かないの?」
関西方面「いたないの?」
といった違い。
共通語だと「痛くないの?」。
関西の方では「いたないの?」。
遠州弁は関西の影響も受けてる方言であるが、この言い方に関しては遠州弁では思いもつかないはしょり方である。
遠州弁だと「痛かないの?」となる。「痛くはないの?」の「くは」が「か」に化けたと勘繰れるものである。(ただしこの勘繰りの弱点は「かあ」(例・痛かあないのけ?)としても「かあ」→「くは」の変でないとおかしくなって、そうなると「か」と「かあ」の違いが説明できなくなるという点。)
関西系で「痛くはないの?」だと「いたあないの?」となるのかな?
これは「痛く」が「いとう」であって「いとうはないの?」での「とうは」が「たあ」に化けたと勝手に邪推するところであるが、遠州弁では「いとう」という言い方はしないところである。
「痛くしないでよ。」というのを
遠州弁では「痛かせんでよ」か「痛くしんでよ」のどちらか。「痛くうしんで」だと「痛くにしないで」の「に」→「う」・「ない」→「ん」の変かと妄想される。
関西的だと「いとうせんといて」とかになるのかな?(詳しくないので間違ってたらごめんなんしょ)
この言い方に関しては遠州弁は関東寄りの言い回しになるといえそうに思えるところ。
もう少しほじくると、「とう」という言い回し。
「やりたくない」を「やりとうない」という言い方。
遠州弁だと「やりたあない」・「やりたかない」という風になる。「やりたあ」は関西でも使いそうな感じがする。そこいら辺は関西に寄ってるといえなくもなく、なんでもかんでも関東寄りという訳ではなさそうだ。ちなみに「やりたない」という言い方は遠州弁ではしない。
とりあえず、「とう」を「たあ」とする傾向だけは定番化してる風には思える。
例文
「先生その注射太かないけえ。」
「気のせい気のせい。」
「なんしょあれでえ、痛くせんでよ。」
「これっぱか痛かないよ。」
遠州弁関連
長い事遠州人やってるが聞いた事無い言葉
「くったれる」
レベル 遠州は広いと思えるレベル
とある方のブログにあった遠州弁「くったれる」。
使い方例としては、体調が悪そうにしてる人の様子を見にいった人に向かって
「あの人どうよ、くったれていんかったけえ。」
というのだそうな。
実用例からですら「くったれる」の意味が分からない。いつも独善的に陥らぬようにと色んな遠州弁紹介サイトで照合・確認をしているのだが、それらのどこにも載っていない。ということは知らぬは自分ばかりなりという事でもなさそうだ。
だからといってこれを否定するものではなく、こういう遠州弁もあるんだあと感心してる次第で。
でも「くったびれて」の聞き違いなんじゃないのか?とつい考えたくもなりはする。
「くたびれる」を「くったあ」(男言葉である)と言ったりもしたりはするが。「やあ、今日の仕事ばがくったあやあ。」(あ~あ今日の仕事はえらいくたびれるぞう。)みたいな。
ちなみに例文の意味が「あの人体調どうだった?調子悪そうだった?」というのであれば、程度の違いによって異なるけど自分なら
駄目そう(リタイアしそう)だったら
「どうよ。死んでたけえ。」もしくは「駄目っぽい?」
調子悪いなりに頑張ってるけどやっぱ普段と違うということなら
「あの人どうよう。ばかえらそうだったけえ。」
普段通りには近いが調子がなんとなく悪そうというのなら
「あの人どうだったよう。しんどそうだったけえ。」
などと自分なら言うな。
「くったれる」ってどういう程度を指すんだろう。そこんとこがよく分からない。
否定はもちろんしないが得心がしにくいところである。まあ、とにかく遠州弁は奥が深いや。知らない言葉がうじゃうじゃあらあね。
遠州弁関連
「くりょう」
例「そうしてくりょう」
レベル 普通レベル
「くりょう」をネタにするのであるが
例として「そうしてくりょう」
古語っぽくすると「さふしてくりやふ」。もちろん冗談である。
遠州弁というほどのものではないが確かに遠州では使われているので記載。
「くりょうやあ」とすると遠州弁らしくはなる。普通は男言葉で女性が発するのは稀と思われる。ちなみに女性の場合は例の場合「そうしてやあ。」と言うのが普通。
ニュアンス的に訳すと「そうしてくれたまえ」といった上から目線の要素が含まれる。ただし偉そうな勢いは希薄であり依頼(下手に出てる)という勢いが勝る。
これを今少しパワーアップさせると「そうしてくんりょ」。命令具合が増す勢いとなる。なおかつちょっとつっけんどんな感じが付加される。
変化させて「そうしてくりや」。こちらはちっとふざけた言い回しと受け取られる。舐めた感じと受け取られやすい。
改造して「そうしちくりい」。こうなると言葉足らずの子供に化けたようなあざとさが見受けられる。
話し戻して「くりょう」。
共通語に直さば「くれよう」という事になろうか。それか「くれるよう」なのか。
「ら」抜きなのか「「ら」入れなのか定かではないが「くらりょう」という言い方。
「如何にしてくれようぞ」みたいな言い回しで「如何にしてくらりょうか」とかいう言い方するかというと、こういう場合は「どうしてくれすか」となるのが普通なので「くらりょう」は有っても不思議じゃないけど使ってはいないであろう。
「くりょう」と同じニュアンスの表現としては「くんない」が有る。こちらの方が普段使いとして多用されている。違いとしては「くんない」の方が依頼という勢いが強くなるところ。「おくんない」とすると「おくれでないかい?」みたいな時代劇に出てきそうな感じがしたりもするが「くんない」は繰り返しになるが普通に使われている。
「くんない」の丁寧が「くんなまし」なのかどうかは定かではない。それと滅多に使われるものではない。
「くりょ」と「う」のない言い方もあるが「くりょう」との違いはまた改めて考えてみる。
例文
「ここんさあにあるの邪魔だでうっちゃっちゃっていい?」
「なによを、うっちゃるって、まさかまるさら捨てる気じゃないらなあ。」
「捨てるだよを。うっちゃっちゃかんもんあるなら今見てやあ。」
「今けえ。う~、めんどっちいでまあいいよ。うっちゃってくりょう。」
「もう。ホントズボラでしょんないだでえ。」