遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
ただの言葉遊びです。
旧い遠州弁「づら」を使っての言葉遊び。
あくまで言葉遊びです。「づら」を使いたいが為の無理繰りです。
「あんた今『見がつらつらつら思うにありゃズラづら。』っつっつら。初対面なんづらで『ズラづら』だなんて失礼こいちゃかんづらよ。」
「づら」を如何に多く含ませるかに懸けたが、如何せんこれぐらいしか思いつかんかった。自分は使い手ではないのでこれが限界か。
一応共通語に直すと
「おい、今『見がてらつらつら思うにあれはカツラだな。』って言ったろ。初対面の人に向かって『カツラだろ』なんて失礼な事言っちゃ駄目だろうに。」
蛇足で一応今の遠州弁でいうと
「あんた今『見がつらつらつら思うにありゃズラだら。』っつったら。初対面なんだで『ズラだら』だなんて失礼こいちゃかんて。」
遠州弁関連
「りん」を遠州弁とみなすという傾向。
最近はそうなんだろうか?という問い。
遠州弁の収集を目的(記事のヒントを見つける)として暇を見つけては「遠州弁」で検索してネットを徘徊したりしているのだが。
最近なんかツウィッター辺りで気になる書き込みをよく目にする。
それは「じゃんだらりん」を覚えれば遠州弁の使い手になれるというもの。
大体は他人様の意見を否定しない姿勢でいるのだが、これについてはちょっとなあと思ってしまう。
自分は浜松人だが、「りん」を使う人は豊橋から来てる人くらいなもんで遠州弁ではなく本家は三河弁でそれが一部地域(県境とかに)伝播されたものだと認識している。
この認識は正しいと思っているのだが、こうもやたらくしゃ「じゃんだらりん」は遠州弁で「りん」を覚えれば遠州弁の使い手になれるというのが多いとあれ?と揺らいでしまいそうになる。
憶測邪推を巡らすと
少数の人が手を替え品を替え連呼して大勢の如く映しているのか、もしくは県境の湖西辺りから非常に強い影響力を持つ人物が表れてそれに若い世代が感化されつつあるのか。
実際多くの人が使うようになり始めていてホントにそうなりつつあるのか、もしくは県境の湖西周辺の人口が急激に増えて席巻し(隆盛を極め)つつあるというのか。
どれもそういった話しは聞かないんだけどなあ。
世代の違いで言葉も違う(変化してくる)というのは確かにあるが本当に「りん」は浸透しつつあるんだろうか?
「づら・つら」から「だらに」にと変化してきたのを体験してる身なので「りん」も有り得なくはなさそうではあるが。それにしてもなあ。
「食べなよ。」は「食べない。」であって「食べりん。」とは言わないよなあ普通には。
ネットに書かれてることを鵜呑みにする程素直じゃない自分としてはやはり懐疑的なのだが、はたして現実や如何に。
遠州弁関連
朝テレビを点けたら朝の情報番組で長野県の方言を聞けた。
その感想。
途中からで始めから視た訳では無いし、御一方の言い回しから長野県の方言とはというような事を推し量るのは誤解の部分も大きくあろうかとは思うが。なかなか聞く機会が無いだけに参考にさせていただく。新鮮かつ鮮明に印象に残った。(長野県のどの地域なのかは分からなかったが多分南寄りだろう。)
*「優しい人と思いましたに。」
訳さば「優しい人だと思いましたよ。」であろうか。
遠州弁も「に」は「よ」であるのだが、ニュアンスが異なる。遠州弁の「に」のニュアンスでこれを訳さば「優しい人だと思いましたのだよ。」といった感じであろうか。なんか変となる。
遠州弁の「に」はいくつかあって自分の意を押し付ける(指示・命令)の意思を伝えるとして使われるものである場合には共通語に直すと「よ」または「から」となる。
「はあ行くに。置いてくにい。」(もう行くよ。置いてくからね。)
次に「のに」と訳す使い方
「ゆやあやったに」(言えばやったのに)
長野の「に」は「よ」というよりも「です」に近い印象を受け、随分遠州弁とは違う使い方をするものかなと思えた。信州と較べると遠州弁の「に」は結構きつめな感じなのかなと。
ちなみに「優しい人だと思いましたよ。」と遠州弁で言いたい場合は
「優しい人と思いましたわ。」・「思いましたってえ。」それとちょっと違うかもだけど「優しい人だと思ったや。」
とかになろうか。
*手ほどきをしてる様に於いて「こういう風にまるめるら。そうそう。」
訳さば「こういう風に丸くするでしょ。うんそうそう。」
これは遠州弁も同じ。使い方も同じ。
「に」も「ら」も使うということでは遠州も信州も似たような方言を駆使していると言えそうであるが、ニュアンスについては同じものと異なるものがそれぞれあると感じた。
微妙に違うという点においては三河弁と同じ距離感と思える。このニュアンスの違いは結構お互いに軽く誤解を生みそうだなと思えた。
前から何度か書いてるんだけどなんか未だにというか相変わらず誤解されてるところがあると感じるので再び簡潔に述べたい。
「ひょうきん」は滑稽とかお茶目とかいう可愛げ・道化が伴うものも含まれるけれど
「ひょんきん」は逸脱とか常識外といったもので可愛げのあるものは含まない。
遠州弁では「ひょうきん」と「ひょんきん」は元の言葉自体は同じものかもしれないが実際使ってる意味使いとしては別物である。
遠州弁関連
「和尚さま」を「おっさん」
というのは私らんとこの感覚だと「?」。
私らんとこでは「おっさま」と言うもので
「おっさん」はなんか親愛というよりタメ口きいてる感じがして馴染みの無い言い方である。無論「おっさん」の「お」を強く発するもので「オッサン」とはイントネーションが異なるものであるのは承知している。
でもネットでたまあに「お坊さん」=「おっさん」と言うといったコメントを見かける。
遠州弁といっても地域差があるからして
自分らんとこ言わないからということで「おっさん」という言い方を否定するということはしないけれど、それにしてもそう言うとこがあるというのはちょっと驚き。地域差がホントがんこだよなあ。
四国の言い方であろう「お坊さん」=「ぼんさん」というのは親愛の表現として理解できる。それに近しい言い回しなのかな「おっさん」というのは。
でも私らんとこの地域では正直馴れそうにない言い方と映る。