遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
うそつけ・嘘つくんじゃないよと言う意味。他の言い方だと「うっそを」というのもあるがニュアンスは大分違う。「おいおいホントかよ」といった感じであろうかあまり問い詰める感はしない。
結構頻繁に日常会話の中に出てくる言い回しである。
「嘘をつく」だと「嘘こく」となる。
「嘘をついちゃいかん」だと「嘘こいちゃかん」
ニュアンス的には糾弾するにしても和気あいあい風味で言える効能を有する。もちろん「こく」というコクのある遠州弁でなく「嘘をゆう」・「嘘ゆっちゃかん」というあっさり風味の表現も一般的に使われている。
敵対してでも糾弾するような場合には「なにょうこいとるだあ」・「なにゆってるよを」・「ど嘘つきい」などなどがある。
嘘より大人しめの冗談めいた場合には
「馬鹿こいちゃかん」・「よをゆうわ」ってことになる。
例文
「きんのうはがんこパチンコうはうはでやあ。今馬鹿景気いいでえ。だけどおごりはせんでね。」
「うそこけえ。確かにパチンコ屋に入り浸ってたってのはホントらしいけど出ん出んつってやっきりこいとったらしいじゃん。」
「誰んゆったよをそんなことぉ。」
「おんしゃてめえで○○に電話してあだけまくったっつう話しじゃん。そお聞いたにい。」
「あれから出たでえ。大逆転してえ。」
「赤字がだら。出たのは。」
「信じちゃいんだ?嘘じゃないってえ。」
「じゃおめえ奢らんでええで金貸しょうやあ。そしたら信じちゃるでえ。」
「ほんだったらええわ信じてくれんでも。」
「じゃふかしばっかこいとってしょんない奴だっつって言い回ってくれるう。」
「勘弁してやあ。」
音声はこちら
「放置しておく」・「打ち捨てる」とか言っている。男女共用。
何もしないという意味合いで似たような表現としては
「ほっぽらかいとく」・「ほかいとく」・「うっちゃっとく」・「まんまにしとく」
等がある。(他にもあるがきりがない。)
「ほっぽる」と「ほかす」は言い手的には呆れてる調であり「うっちゃる」はむっとしてる調であり「まんま」には感情は含まれないといった勢いの違いがある。
したがって「うっちゃらかいとく」には「もうホントしょんない」とか「あんたどうするよを」とか「ちゃんとしんとかんじゃん」とかいった注意の言葉が続くことが多い。「うっちゃっとく」より「うっちゃらかいとく」の方が始末に負えないという勢いであろうか。
例文
「やあ、なんだあこれえ。くっちゃんくっちゃんで馬鹿らんごかねえじゃんかあ。張本人はどこ行っただあ。」
(うわあなんだよこれは。散らかってるなんてもんじゃないじゃないか。散らかした張本人はどこに行ったんだ?)
「ちゃんと片すっつっただんねえ。どっか行っちゃったよを。どうする?片すけえ。」
(ちゃんと片付けるって言ってたのにねえ。どこかに行っちゃったみたい。どうしようこっちで片付けようか。)
「本人にやらしゃいいだあ。んなもん うっちゃらかいときゃいいだあ。」
(本人にやらせればいいんだ。そんなものこっちがやる必要ないからほっとけ。)
「分からんにい。とんじゃかないかもしれんで、このまんまほっぽらかすかもしれんにい。」
(それはどうかな。気にもしてないかもしれないからこのまま散らかしっぱなしかもしれないよ。)
「片すっつただらあ?なんしょ説経だあ。そんでもしんかったらぶっさぐる。」
(片付けるって本人がそう言ったんだろ?それを守らないとは説経だ。それでもやらなかったらぶん殴る。)
「ほどほどにしときなよを。でんと ちんぷりかあっちゃうにい。」
(程ほどにしてね。でないとえらくすねちゃうから。)
「そんなのしらすかあ。ゆわにゃ気い済まん。」
(そんなの知るか。言わなきゃ気が治まらん。)
「あんたに似ただけだんねえ。」
(あなたに似ただけなのにねえ。)
音声はこちら
「埋める」という意味の方ではなく「ぬるくする」という意味で使われる「うめる」。
「埋める」という文字から「ぬるくする」の意味があるというのは想像しづらいところであるが、別に方言ということではなく
辞書においても「埋める」{他動詞下一段活用}の説明の中に「熱い湯に水を入れてぬるくする」という意味が載っている。
つまり遠州弁でもなんでもない共通語であるのだがなんか遠州弁らしい気がする言葉である。それは何故かというと「うめる」・「うめた」・「うめて」とかは共通語であろうが「うめす」・「うめんと」・「うめんで」とかにすると
「お風呂ん湯うちんちんだで、うめんと熱くて入れたもんじゃないにい。」
(お風呂のお湯がとても熱いから水入れてぬるくしないと入れたものじゃないよう。)
「茶あ飲ますとしたらとてもじゃないけど うめんとちんちんで飲めたもんじゃない。」
(お茶飲もうかと思ったけどうめないと熱くてとても飲めたものじゃない。)
「悪かったやあ、おいあんたあ うめんとかんもん出すじゃないにい。」
音声はこちら
などなど「うめんと」とすることによって遠州弁らしくなる。「ぬるくする」というよりも「丁度良くする」と訳した方がニュアンスは近い。他の地域はどういうニュアンスなのかは知らないが遠州弁では「ぬるい」というのは適温じゃない状態をいうもので「ぬるくする」となると丁度いいという感じになるとは受け取れない。「うめる」というのは適温になるように水で冷まして調整するというもので「ぬるめる」と「うめる」は感覚的にイコールではないのが遠州弁での感覚と思える。
「ほったらかし」と訳せる。まあ「うっちゃらかし」を共通語の範囲としてる辞書?も見かけるので遠州弁と言うには微妙なところであるが。
使い方としては
「この庭、はあ何年もうっちゃらかしにしてあるで草ぼ~ぼ~だにい。」
とかいう使い方。
「ほったらかし」が名詞なら「うっちゃらかし」も名詞ということになるんか?
でも「うっちゃらかす」という言い方もあるんでなんともかな。
「うっちゃらかした」だと他動詞五段活用?になりそうで名詞として使うのであれば「うっちゃらかしにした」と言う必要があろうか。
「うっちゃる」(うっちゃらかす)については「捨てる」・「放棄する」・「放置する」・「投げる」などといった意味使いがあるが
「うっちゃらかし」となると「放置してる」という意味使いのみとなる。まあ「手を付けない」・「やりっぱなしでそのまま」という場合もあるがそれは「放置」の部類に入るだろうから。
例えば、子供が帰って来たと思ったらランドセル玄関に置いてすぐに遊びに行こうとしてる状況で
「うっちゃらかしにしんでちゃんと片さんとかんじゃん。」
と言ったとしたら、「うっちゃらかし」であるのでそんなとこに置きっぱなしにするんじゃない(片付けなさい)と言っている。これが
「うっちゃっちゃ駄目じゃん。ちゃんと片しなさい。」
となれば、この場合では「うっちゃらかしては駄目でしょう」ということなので放り投げては駄目だと言っている。つまりものを大事にしなさいと言っている。
では「うっちゃらかす」だとどうなるかというと。
「うっちゃらかすたあ何事よう。」
「うっちゃる」で説明した意味使いすべてに対応できる。したがってこの後に続く言葉で「うっちゃらかす」の意味が変わる。
「ちゃんとしまいなさい」が付くなら「放置するな」で「放置する(使わない)ならちゃんと仕舞いなさい」。
「壊れても知らんにい」なら「投げつける」となり「投げつけて壊れても知らないからね」ということになる。つまり物を大切に扱えと。
「そんなら捨てちゃうにい」だと「捨てる」か「放棄」といった具合で「放棄するんなら(いらないなら)捨てちゃうよ」ということになる。「使わない=ゴミ(不用品)だから捨てるよ」という理屈。つまり怒ってるんだぞと。
これを「うっちゃらかし」に置き換えてみると
「うっちゃらかしにするたあ何事よう。」
となると「そのままにする(手を付けない)とは何事だ。」と言ってる。したがって「ちゃんとしまいなさい」は「放置するな」となって「使わないなら仕舞え」と言っている。(うっちゃらかすのと同じ)。
「壊れても知らんにい」と続くと投げて壊れるとかじゃなく使わなくなることによって劣化しちゃうとかいう壊れる理由が変わってくる。
「そんなら捨てちゃうにい」と言うよりも、言うとしたら「うっちゃらかしにするたあ何事よう。そんなこんなら捨てちゃうにい。」とかになろうか。「使わない=ゴミ(不用品)だから捨てるよ」というのではなく「放置する=良くないことだから罰として捨てるぞ」と脅かしてる勢い。
共通語においての標準は「ほったらかし」であろうか。
その亜流というか変化したのが「うっちゃらかし」であり「ほっぽらかし」であろうかと踏んでいる。(あってるかどうか知らないが)
どれも共通語の範疇で本来同じなのであろうが、この3つを並べてみると遠州人の感覚からした場合
「ほったらかし」=「ほっぽらかし」であるが
「うっちゃらかし」=「ほっぽらかし」とは必ずしもならない。
その理由ひとつめ
「ほっぽらかし」の場合ほったらかしにしてる人間の真意が掴めていない勢いであり
「うっちゃらかし」の場合明らかに「あ、こいつほったらかしにしたな」と対象者の意図を読み取ったという勢いを持つ。
なので
「ほっぽらかしにして出て行った」だとすぐ戻ってくるほんの一時的な状態かもしれないという不確定なものであり
「うっちゃらかしにして出て行った」では例えば「あの野郎放り投げて外に遊びに行ったな」といった風に確信めいた勢いを有する際に発せられる。
まあ、あくまで傾向であって決まり事ではない。
その理由ふたつめ
勢いの違い。
「ほっぽる」だと「放る」だが「うっちゃる」だと「投げる」。
「ほっぽらかす」で「放り投げる」、「うっちゃらかす」で「投げつける」。
といった勢いの違いがあり、その勢いの違いは「ほっぽらかし」と「「うっちゃらかし」にもあろうかと思われる。「あいつ今いないけど逃げたのか?」というのと「あいつ逃げやがった」という違いと同じようなものか。って分かりにくい例えだな。
その理由みっつめ
間の長さの違い。
ひとつめと被るが、必ずしもこうなるというものではないが「ほっぽらかし」は短い間・そう長くない間で「うっちゃらかし」はそれよりも長めの間という勢いがつく。
「ほっぽらかし」には放棄というより一旦離脱という勢いで戻ってくるのではと思ってる感覚があり「うっちゃらかし」には放棄・離脱という勢いが強く戻ってこないだろうというイメージがある。
「私たち」を「うちら」と発す。遠州でもそう発す。
関西と似て非ざる点はそのイントネーション。
関西は「う」を強く言う頭高であるが遠州は平坦もしくは「ち」を強く言うものである。
「うちらんとこ」だと平坦。
「うちら知らんでねえ。」とかだと「ち」を強く言う。
遠州弁は何事も頭高のイントネーションとなるということではない一例でもある。
使いどころとしては「あちら」に対しての「うちら」という意味使いをすることもある。
「あちらんとこはそうかもしれんがうちらんとこはそういう風じゃないだでねえ。」
これをより遠州弁っぽくすると
「あちらんとかぁそうだかもしれんだあ、うちらんとかあそんな風じゃないだでねえ。」
根拠はないのであくまで勘繰りだが、「内々の話し」とか「身内」とかいう意味の「うち」に複数を表わす「ら」を付けたものと邪推できる。「うちら」の効能としては「わたしら」と言うよりもより仲間意識を感じさせるものである。
ちなみに遠州弁では自分のことは「わし」であって「うち」とは言わない。使うのは「うちら」のみである。「うち」と発したら遠州弁では「家」を意味するものであり
「うちは大丈夫。」と発すると「家は大丈夫。」と解釈するものである。