遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「こりた」。漢字にすれば「懲りた」。
共通語で遠州弁でもなんでもないのだが、ニュアンスがちょっと辞書にあるのと違うかなと思えて記載。
使い方は例えば「昨日はがんここりたやあ。」、
なんと言ってるかというと「昨日はとても参っちゃったよ。」と言っている。
言葉を置き換えるなら「こりた」=「参った」もしくは「嫌になっちゃう」となろうか。
この「こりた」、辞書によればその意は
こりる(懲りる)自動詞上一段活用、ひどい目に会ったために、二度と繰り返すまいという気持ちになる。とある。
共通語では反省・教訓の要素が含まれる感じであるが遠州弁で使われる「こりた」にはひどい目に会って閉口したという意識であって、二度と繰り返したくは「ない」であるが繰り返す「まい」という決意ではないという違いがある。
つまり今後も起きうるかも知れないといったどうしようもない、避けようもない偶発的な事に対しても「こりた」を使うというのが遠州弁である。
置き換えで「参った」を使ったが、ニュアンス的には「いやな事があった」・「疲れた」・「苦労した」とかに置き換えてもおかしくは無い。したがって前の日に「こりたやあ」と言っててまた今日も同じような理由で「まただよ、ホントこりちゃうやあ」とか言っても「おめえは懲りる(教訓とする)ということを知らないのか?」とたしなめられる事はない。「そりゃ大変だったの」と慰められるのが常であろう。
ちなみにこのニュアンスでの使い方は「こりた」・「こりちゃう」に限ってのもので、「こりる」・「こりて」とかいうのは共通語及び辞書にあるのと同様に「二度としない」というニュアンスで使われる。
無論「はあこりたでいいや」(もう懲りたから遠慮する)といった辞書の意の通りの使い方もするものである。
この変形といえるかどうかは定かではないが
「こりはてる」という言い方が存在する。
(定かでない理由は「困り果てる」の変形かもしれないので。)
この「こりはてる」。ニュアンスとしては嫌になる程参ったというもので置き換えれば「最低」・「最悪」ってところか。
似たような言い回しで「えらかった」というのがあるが、「こりた」との違いは「えらい」の方がより精神的か肉体的に堪えたという勢いが強く疲労の具合が増すものであり、まだそれを引きずっている気配もある。
「こりた」の方は発してる時点ではもうすでに復活してる(元に戻ってる)勢いでもう済んだことという切り替えができている感じが強いものである。
これくらいと言う意味。
少しくらいと言う意味もあり、ほんのちょっとといった些細なことを指す場合に使われる。似たような言葉では「ちっとばか」というのもあるが使い分けがありそうな気がするところ。
逆の大袈裟とかいった場合には「たいそうな」・「ばかがんこ」とかいう言葉を使う。
例文
SG(スウィングガールズ)の台詞より「 」はSGの台詞( )が遠州弁
友子「どうなってんなや!?吹奏楽ばっかりこの待遇!」
(どうなってるよお随分じゃん!吹奏楽ばっかこの待遇!)
良江「ちょっと頂戴。」
(ちっとちょうらい。)
中略
直美「ダイエット中だから少しにすっかな。」
(ダイエット中だでちっとにせすかな。)
一同群がり「あたしも、あたしも。」
良江「あ!ちょっとダメだべした。」
(あ!ほい!ダメだにいあんたらあ。)
友子「ま、いっこぐらいバレねが?」
(ま、これっぱかバレんらあ?)
一同笑い
注、「いっこぐらい」を厳密に訳すと「いっこばか」となるのだがそこはまあ強引なご愛嬌と言うことで。
「これっぱか」と「ちっとばか」の違いを考えてみると
どちらも少しくらいという意味合いの言葉だが使い方が若干異なる。
共通語として考えると「これくらい」と「ちょっとくらい」という違いである訳だが。
「これっぱかいいらあ」と「ちっとばかいいらあ」で比較すると
「これぐらいは別にいいだろう」と「少しくらい構わないだろう」といった違いとなる。
「ぱか」も「ばか」も元は「ばかり」であろうと思われる。訳すに於いては「くらい」としているのはそうした方が訳し易いから。
違いとしては他には「これっぱか」を使うとおおっぴらな印象があり「ちっとばか」だと陰でこそこそといった印象を与える。
なので悪さをするような場合には、「これっぱか」には開き直り・おおっぴらに、「ちっとばか」には内緒・内々でとかいったニュアンスが籠もる。罪の意識が薄いような雰囲気を与えるのが「これっぱか」で後ろめたいような場合には「ちっとばか」を使う事が多い。
次に、「これしきの事で騒ぎ立てるな」というのを遠州弁すると
「これっぱかでひゃあひゃあゆうじゃない」
「ちっとばかのこんでひゃあひゃあゆうじゃない」
といったものになる。
「これっぱか」を使うと大袈裟にするなという勢いであり、大勢に影響はないと言っている。
「ちっとばか」を使うと些細な事でという勢いであり、どうでもいいこと(小さい事)じゃないかと言っている。
つまり「これっぱか」だと膨らますなという事で「ちっとばか」を使うと細かいこと言うなという事である。
「こさぶぼったい」。もしくは「こさぼったい」・「こさぼうったい」。
漢字で書くと「小寒ぼったい」であろうか。
訳さば「少し肌寒い」。
これより寒いという「肌寒い」ということであれば「さぶぼったい」。「さぼったい」・「さぶったい」という言い方は聞いたことが無いのだがもしかしたらあるやもしれない。
夏での「お暑うございます」みたいな挨拶で、時期は秋の深まりとか秋から冬への移り変わりを感じ始める頃に使われ耳にする言い回しであろうか。(ちなみに冬から春へは「だいぶぬくとくなった」・「だいぶぬくたくなって」とか言う。)挨拶で使われるくらいだから遠州弁の中に於いては丁寧な言い方といえようか。
「おはようございます。なんか最近朝が ちっと こさぶぼったくなって、だんだんと過ごしいい季節んなってきたねえ。」
「あ、おはようございますぅ。ホント過ごし易くなって朝とか気持ちいいですねえ。」
「これで昼間が温度上がらにゃホントいいだけどやあ。」
例文音声はこちら
「こさぶぼったい」の「こ」(小)は「小粋」とか「小奇麗」とかの「こ」。
「さぶ」は「さむい」(寒い)を「さぶい」ということからの略した言い方。というか遠州弁では基本「寒い」は「さぶい」と普通発する。「大寒小寒」は「おおさぶこさぶ」なのである。
「ぼったい」は「なんとなくそう感じる」とかいう「~気味・~っぽい」という意味の言葉。
これらが合わさって「こさぶぼったい」となる。
寒さの強弱で表わせば
「ひんやりする」<「こさぶぼったい」<「さぶぼったい」<「冷える」<「つべたい」<「さぶい」<「どさぶい」<「しぬ」
などといった感じであろうか。
共通語には「小寒い」(意味はうすら寒い)という言葉は有っても「小肌寒い」という言い方はないのであり「小寒い」=「こさぶぼったい」とした方がいいのではという考えもあるが。
「小寒い」から受ける印象として少し寒いということで心地よい勢いがしなくて、「こさぶぼったい」には何気にこの冷え加減が気持ちいいという勢いを感じるものでそこいら辺が違うところであろうかと考える。というか「小寒い」なんて使ったことないから実のところそのニュアンスはよう分からず、普段使うのが「肌寒い」だからそれとの比較の方が説明しやすいということもあるが。
ま、別に遠州弁ということでもなかろうが
「こた」=「こと」(事)
レベル 基本男言葉レベル
「そんなもん見たこたねえぞ。」
(そんなものは見た事がないぞ。)
「なんのこたねえ嗚呼勘違い。」
以前の記事で「こん」=「こと」というのを書いて、「ことは」については「こたあ」と言うと説明をした。
で、よくよく考えてみたら「こた」でも「こと」もしくは「ことは」という意味で使ってたなあというのを思い出したのでここで記載。といっても別に遠州独特というわけでもあるまいが。というか江戸風味があるよな。関東系の言い回しが遠州でも使われてるということなのだろうか。
もろ遠州弁っぽいのだと
「ふんだだもん聞いたこたないにい。」(そんなのは聞いたことがないぞ。)
あたりであろうか。
ならば「こん」と「こた」には違い使い分けとかしてるのかというと、
「そんなもんみたこんないぞ。」とも言う次第で「こた」との違いも使い分けも感じられない。それでも
「なんのこんない嗚呼勘違い。」とは普通言わないわなあ。
これから考えるに「こん」は「ことは」にはならなくて「こんは」の略で使われることはない。それに対して「こた」は「ことは」の略で使われてるものと考えれば違いが出てくるかな。
「こた」=「こたあ」ということなだろうかなと邪推するものである。ついでに「「こと」=「こた」という使い方もおまけ?でしているということなのであろうか。
例文
「やあ、とてもじゃないがやりおせん。」
(もう、とてもじゃないけれど全部出来ないよ。)
「そんなやりおおせんもん無理してやるこたねえよ。」
「なによをえらく強気じゃん。」
「出来んもんは出来んでしょんないらあ。」
例文音声はこちら
辞書に載ってるくらいだから別に遠州弁というものではないが
「こさえる」漢字で書くと「拵える」。
「こしらえる」の俗語表現と説明にある。「こしらえる」も漢字で書くと「拵える」となる。
「たんこぶこさえる」(たんこぶ作る)
「愛人こさえる」(愛人を作る)
といったように「作る」と訳すのが妥当なところであるが「出来る」という訳でもはまる感じがする。
「こしらえる」というのは辞書を引くと①何かを元にして形のあるものを作り上げる。②いろいろ方法を尽くして、なんとかかっこうをつける。とあって、意識的なものを感じるものである。
遠州弁でももちろん②の意味使いでも使いはするがそれ以外に
「こさえる」で「たんこぶ」などは意図して作るものではなく作って(出来て)しまったという意図しない勢いをより感じる。「たんこぶこしらえた」と言うのでは少し違和感を覚えるものである。
「こしらえる」が意識(作為)的にという勢いだとすると若干異なる言葉と映らなくもない。どちらかというと流れとして結果作られたみたいな「成り行き」を感じさせる勢いが「こさえる」にはある。
これが遠州弁独特な感覚なのかどうか定かではないが、そういうニュアンスで使われる事が多い。つまり、「こしらえる」(作る)は意図的、「こさえる」は成り行き的といったような。
他には
「明日ハイキング行くで弁当こさえて。」とは普通言わず
「明日ハイキング行くで弁当作って。」もしくは「こしらえて」と言うものである。
「せっかく弁当こさえただに『やっぱいい。』ってなによを。」という言い方はする。これだと善意・好意で弁当を作ったというよりも依頼・要望があったから作ったという勢いを感じるものである。もしくは多少「作ってやった」という押し付けがましさが加味される。
「せっかく弁当作っただに『やっぱいい。』ってなによを。」もしくは「こしらえた」だと自主的に作ったという場合も有り得るところである。
つまり「こさえる」のはあくまで自身がであって他人にさせるという「こさえさせる」・「こさえさす」という言い方はあまりしないということ。他人にと言う場合であれば「作らす」とか「こしらえさす」という言い方をするものである。
といった感じで「こしらえる」と「こさえる」はニュアンスが異なって聞こえるものである。この感覚が遠州弁独特なのかは定かではない。
例文
「あんたあ、はあ晩飯こさえてるだ?」
「いんや。これから買いもん。今日なににせすかまだ考えてるとこ。」
「ほいじゃさあ。ちっと遠くだけどお、ほげほげスーパー行ってみん?今日お魚の特売やってるだって。一緒にいかん?」
「いいけど、うちの肉食わしょーってこうるさいだよ。だで肉くれんとかんだけどあそこお魚専門じゃんねえ。」
(いいけど。うちの亭主肉食わせろってぶつぶつ言ってるのよ。だからお肉出さないといけないんだけどあのお店魚専門だったよねえ。)
「いいじゃん。行きでも帰りでも、うはうはショップ寄りゃあ。」
「で、その帰りに、あくまでついでであそこ寄る訳ね。」
「そう。あくまでついでで。」
「ま、いいかあ。じじばば魚の方が喜ぶでえ。でも何種類も作んのめんどっちいやあ。」
「鍋にすれば?」
「成程お。じゃ行きますか。」
例文音声はこちら
おっかさ連中が一人では行きづらいが時間をやりくりしてでもいきたいとこってイメージが湧かないので想像にお任せしますわ。
この会話での注意点は「くれる」。犬に餌くれるといった「やる」・「くれてやる」といったニュアンスなので他人に向けて使ってはいけない。
「うちの」で連れ合い、つまり旦那・妻・(たまに自分の子供)を指す。