遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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もうへとへとで「死にそう」と呟くのが共通語なら
遠州人は「死ぬ」と言う。
バタンキューな状態を「精根尽きた」と評すのが共通語なら
遠州人はそれを「死んだ」と言う。
「もう限界だあ」と白旗を揚げるのが共通語なら
遠州人はこれを「はあ死ぬう」と発す。
「それは無茶だろう」と諌めるのが共通語なら
「あんた死ぬにい」と物申すが遠州人。
へとへとなのを「くたばってるんじゃないよ」と突っ込むのが共通語なら
「死んでちゃかんて」と突っつくのが遠州人。
生死の生き死にとは関係のないところで、遠州では人は何度も「死んでる」。
あえて訳す必要はないだろうが、一応。「もう駄目限界」・「これ以上は無理」と音を上げてるというSOSの表現。もちろん本当にアウトならこんな事を言ってる余裕はないのであくまで冗句(減らず口)のひとつである。
まあこういう言い方は全国的なものだろうから方言の中に入れるのは間違っているけれど、頻繁に飛び交う(口癖みたいな)表現なので一応記載。男女共用で使われるがやや男用寄りであろう。
「あいつは今盲腸で死んでる」となれば「盲腸で休んでる(寝込んでる)」といった使い方も平気でする。軽い病なら通じるが洒落にならない病だと誤解を生じることが多々あるので注意が必要ではある。
遠州弁の感覚で「しにそう」だとまだ絞れるくらいの余裕残しと受け取られる。
「おい大丈夫か」という場合、「やあ死んだだ?」・女性だと「ほい しんでちゃかんに」とか聞かれて「はあ駄目死にそう」と応えたら「な~んだまだやれるじゃん。」と思われるということ。
当たり前の事だが、「○ね」という言葉は場の空気を闇に落とすもので共通語であろうと方言であろうと書き込みであろうと相手に向けて発して良い言葉ではない。
例文1
「徹夜は堪えるわあ。やっちゃおえんの。」
(徹夜は堪えるなあ。やるもんじゃないね。)
「まだやれっつうなら わし ホント死んじゃうにい。」
(まだ続けろってならマジで俺駄目だ。)
「そうけえ まだいけそうじゃん。あいつなんか見てみい、はあ 死んでるにい。」
(そうかい?見たとこまだ大丈夫そうだけど。あいつ見てみなよ。もうすでにダウンしてるぜ。)
「ひとりだけ楽してけつかるなあ許せん。・・・やあ 起きよやあ。死んでちゃかん!」
(ひとりだけ夢見心地なのは許せん。・・・おい、起きろよ。寝てるんじゃねえ。)
例文2
「こんだの日曜なにしてるよを。」
(今度の日曜は何する予定?)
「なんもせんよ。家で死んでる。」
(何しないよ。家でぼ~っとしてる。)
「どっかいきゃへん?」
(どっか行こうよ。)
「めんどっちいでよすわ。」
(面倒くさいんで遠慮するわ。)
例文音声はこちら
「丈夫な」・「丈夫だ」などと言っている。三河の衆も使うのを聞いたことがあるし検索しても相当数ヒットするので広範囲で使われる表現であろうが一応遠州でも使ってるよということで記載。
「丈夫い子だで」(丈夫な子だから)・「こりゃじょうぶいわあ」(これは丈夫だわあ)「大丈夫じょうぶいで心配せんでも」(大丈夫丈夫だから心配しなくても)
例文
「馬鹿じょうぶいにいこれ。」
(凄い丈夫だよこれ。)
「そんなじょうぶいだ?でも こっちんのも結構じょうぶいにい。」
(そんな丈夫なの?でもこっちのも相当丈夫だよ。)
「つうか やごいの探す方が大変だらあ。」
(というか丈夫じゃないの探す方が大変だよね。)
「昔とくらべてばったもん減ったでがんこ選ぶに助かるやあ。」
(昔と較べたら粗悪品が減ったから随分選ぶのに安心だよね。)
「でもこんだ目移りしちゃってたまらんにい。」
(でも今度は選ぶのに苦労するようになったんだよね。)
例文音声はこちら
「知いらん顔して」。知らない顔してと言っている。方言というレベルではなかろうがこの言い方は特徴があるだろうと思って記載。
「しらん」ではなく「しいらん」と言うところがポイントである。
共通語の「知らん顔して」には無視してという意味合いがあるが「しいらんかおして」には無視というニュアンスは薄く「すっとぼけた面で」とか「いけしゃあしゃあと」とか「図々しくも」といったどちらかといえば「厚顔無恥」のニュアンスが近い言い回しである。イントネーションは独特である。遠州弁独特かは不明。
悪い意味で大したもんだと唖然としてるか、とても不快に感じているんだぞというアピールが含まれていることが多い。ごく稀に何かを堪えてとかいう忍耐やおくびにも出さない豪胆さを指す使い方もあるが、殆どは「知っているのに知らない素振り」とか「武士の情け」とかいう情緒のあるものではなくふざけんじゃねえぞとぼけやがってと内心思っている時に発する表現である。男女共用。
例文
「あれえ、あいつ。随分晴れ晴れとした顔で来てるじゃん。きんのうの飲み会であんだけ酔っ払ってど迷惑かけただに、しいらんかおして来てけつかるじゃん。」
(なんだよあいつ。随分と晴れ晴れとした顔して来てるじゃないか。昨日飲み会であれだけ酔ってすごい迷惑かけたというのに素知らぬ顔して来てやがるじゃないか。)
「確かに。つうか覚えちゃいんじゃない?」
(確かにね。というか覚えてないんじゃないか?)
「知らぬが仏ってか。でもやあ 頭撫でられまくってた課長は覚えてるみたいだにい。がんこ苦虫噛み潰いたような顔してるもん。」
(知らぬが仏ってか。でもさあ、頭撫でられまくってた課長は覚えてるみたいだよ。かなり苦虫噛み潰したような顔してるもの。)
「そりゃそうだらああんなことされたじゃ酔いも醒めるらあ。」
(そりゃそうだろう。あんなことされたんじゃ酔いも醒めるだろうに。)
「まあ完全にみこ悪くしたでちいとすりゃあ転勤かなんかだな。」
(とにかく完全に印象悪くしたから少し経ったら転勤かなんかだろうな。)
「でも課長もそんな人事権あるほうじゃないで結構このまんまかもね。」
「でもやあ もしあいつぅ本心であだけてたなら大したもんだと思わん?」
(でもさあ、もしあいつ本心から騒ぎ暴れてたんなら大したもんだと思わないかい?)
「いくらなんでもそりゃないらあ。それに酒の勢いでっつうこんなら厭な奴じゃん。」
「鬱憤にせよ酒癖にせよ なんしょ酒入ると人変わるのは勘弁だな。」
「確かに。」
例文音声はこちら
共通語にすれば「知らないあいだに」。
要は「気づかない間に」ということで、「目を離してるうちに」とか「目の届かない所で」とかいうニュアンスの場合などでも使われる表現。男女共用。
例文
子「うちにもサンタさん来るだ?」
父「いい子にしてりゃあ来るらあ。」
子「いつ来るだいね。」
父「そりゃあ寝えってしらんでるうちいちゃっと来るだらあ。」
子「来たらありがと言いたいだあ駄目かいねえ。」
父「世界中周らんとかんもんでいちいち挨拶なんかしてれんて。」
母「嘘教えちゃかんて。夜更かししない良い子のとこにしか来ないだよ。だでごちゃごちゃいってんでちゃっちゃと寝にゃかんだよ。」
例文音声はこちら
略さず言えばどうってことない共通語なのだがそれを
「知らない」→「知らん」
「でいる」→「でる」又は「でえる」
「うちに」→「うちい」・「うちん」
というとこまで崩すともうモロ遠州弁になるという小技の集結したような言い回しであろうか。意味的には独自性はないので聞けば感覚でなんとなく理解できるであろうが書かれたものだとなんじゃらほいとなるやも知れず。
こういう言い回しは他にも「買わんでるうちい」・「やらんでるうちい」とか幾らでもあるので「知る」に限った言い方ではないが頻度としては「しらんでるうちい」が多いのでこれで記載。
聞く限りでは「いー」と語尾を伸ばす感じに聞こえるのでだらしない・馴れ馴れしい感じに取られやすいという遠州弁の特徴を有している表現である。しかしながら「そうだしいー」・「見てるしー」とかいう舐めた感じの言い回しとは全く異なるものであることだけは訴えたいところである。
ちなみに辞書には載っていなかったので俗語ということになるのであろうか。遠州でも使われる言葉であろうということで記載。
遠州弁からした印象でいうと、おおよそ食べ頃(完熟)というよりも触るとぐちゃっとした感覚に感じる程度の熟してるみたいな印象を持ち、正直食す時期を逸した柿と言ったイメージになるのは気のせいか。
「ぬかるんだ道」を「じゅるい道」とか「柔らかい野糞」を「じゅるい野糞」とか言うようにそんな歓迎する状況を表わすような表現では使われない「じゅるい」(ぬかるむ)という遠州弁がある。
その系統で使われる「じゅる柿」という言い方に感じられるので美味しそうではないという印象はあながち間違いではない気がするのだが。
共通語的には「じゅるじゅる」という表現からきているのであろうから遠州人のイメージとは異なるものかもしれない。
味の好みは人それぞれでこれがいいという人もいるのであるが、遠州弁の論法でいくと「じゅるい」という感覚と捉えられ美味しそうに思えない印象が湧くということである。
柿以外でも使われるかという点については、トマトを「じゅるトマト」とか桃を「じゅる桃」と言うかというと正直耳にしたことがないのであるが「じゅるいトマト」とかなら聞いても違和感はないところである。