遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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単体だとなんのこっちゃということになるのだが
「おんしゃあなにせえ来ただあ。」となると判り易いと思われる「せえ」。
文章を訳すと「君はなにをしに来たんだ。」となる。関西でも使われる表現であろうから遠州独特と言う訳ではない。
女性言葉だと「なによーあんたあなにせえ来たよー。」
他には「しい」・「せい」という表現もあり意味的な違いはない。若干「せい」は老人語っぽいので年長が使うイメージがあり若い衆は「しい」を使う傾向があると思われる。
例文
「ほいじゃ、始めっか。」
(じゃあ始めようか。)
「そうだいね、始めまいか。」
(そうですね、始めましょう。)
「軍手しんでええだか?」
(軍手しなくてもいいのかい?)
「忘れた。」
(忘れました。)
「(自分の分の)材料わあ?持ってきただか?」
(材料はどこ?持って来たの?)
「持ってこんかった。」
(持って来ませんでした。)
「やあ、おんしゃあなにせえ来ただあ。ヤル気あんだか?」
(おいなんだよ。お前何をしに来たんだい?ヤル気あるの?)
「ん~。よー知らんだよぉ。行けっつわれたもんで来ただけだもんで。」
(えーとですね。それが良く分かってないんです。行けと言われたので来ただけなので。)
「馬鹿っつらあ。てんだう気ぃないんならいんくてもいいわ。」
(おいおい、手伝う気がないのならいなくてもいいぞ。)
例文音声はこちら
「どうせすか」(どうしようか)
「ころせすか」(殺せる訳無いだろう)
「やらせすか」(やらせないよ)
「こうせすか」(こうしようよ)
「せすか」の意味はこうであると一概に決め付けられない。不思議に変化する言葉である。そもそも全てが同じ言葉なのかさえよく理解出来ていない。
おおまかに分類すれば、打ち消しの言葉と意思を表わす言葉の二種類であろうか。
変形というか遠州弁では「せ」と「し」が混在してどちらでも同じ意味になり使い方は個人の好き好きというのがあるが、「しすか」というと例の場合「どうしすか」・「こうしすか」は存在するが「ころしすか」・「やらしすか」という表現は存在しない。
例文
「通れやせんじゃん。どうせすかねえ。思い切って植わっとる木ぃぶっこ抜かすか?」
(通れないよどうしよう。思い切って植えてある木を抜いちゃおうか。)
「やあ馬鹿っつらあ。そんなこんやらせすかぁやあ。後どうしてくれるでえ。」
(なに言ってんだよ。そんなことやらせないぞ。後のこと考えてるのか。)
「じゃどうするよを。」
「別ん通れるとこ探しまい。」
「めっからんかったらぶっこぬかすだ?」
「なんで抜くことしか考えんだあ。」
例文音声はこちら
せっつく(催促する)の変形バージョン。私もあまり使わない言葉なので細かいニュアンスは理解出来てないが、周りの衆が時々使っている。辞書にも載っているので方言ではなさそうだが古い言葉であるような気はしてる。
辞書によると「せっつく」は「せつく」の強調的表現で「せっつける」はその可能動詞形であると記載されている。意味がよーわからんが「押し付ける」と同じ使い方と言うことなのであろうか。しかしながら「押し付ける」だと「さっつける」という表現を思い浮かぶのは気のせいか無知のせいか。
例文に関しては私は使わない言葉なのでアイデアが浮かばない。「せっつかせる」と言う意味の遠州弁「せっつけさす・せっつかさす・せっつかす」なら理解できるのだが。共通語なら「せっついて」とかになるのかな。
「せる」は方言などでは決してないのだがその使用頻度が他の地域とは違うのが特徴かもと思って記載。それにちょっと受けるニュアンスも共通語とは異なるかも。
これが「させる」とか「やらせる」とかだとモロ共通語であるが、「貸せる」や「着せる」・「寄せる」だと遠州弁っぽくなるような気がする。
共通語の「せる」はどことなく命令というか上から目線な印象が強いが遠州弁だと上の者が下の者にといったような点では同じであるがそんな偉そうぶった印象を感じない。
「貸す」を例にすると「貸せる」は「貸す」・「貸してやる」の中間的な感覚であろうか。
話し変わるが「する」を「せる」というパターンもある。
「そうせよっつうんならそうせるけど、どうせるよを、せるだけえ。せんだけ?」
(そうしろって言うのならそうするけどどうするんだやるのかやらないのか?)
この文章「せ」を「し」に変えても成立するかというと、「せる」は「しる」にはならないので成立しない。以下のようになる。
「そうしよっつうならそうしっけど、どうせるだあ。するだ?しんだ?」
で、「せる」を共通語に訳せとなると「する」になるんかな。そんな単純でもないような気がするけど。
話しを戻してたとえば「貸せる」。「貸す」という意味であるがそのニュアンスは微妙に貸してやるみたいな恩着せがましい(上から目線)感じが含まれる気がする。
おそらくは方言などではなく古い日本語なんだろうかな。「貸す」ではなく「貸する」という表現にした方が「貸せる」・「貸さる」に変化するのが納得いく気がする。そうすれば命令っぽい「貸せよを」という言い方も理屈は合う。
もっともサ行変格活用とかには当てはまらないんででどういう理屈だというツッコミに応酬できないが。
例文1
「財布忘れたで貸して。」
「貸せてもええけどたんとは嫌だにい。」
「がんこ貸してっつったって貸せる甲斐性ないなあ分かってるって。」
「あ。はあ貸せる気なくいた。」
「嘘嘘冗談だって。」
例文2
「なに着せる気でえ。」
「いいじゃん別にい。何着せようが勝手でしょ。」
「着せられる方ん身いなってみい。堪らんにい。」
「んなこたあないって。カワイイだでいいじゃんかあ。」
「犬嫌がってるじゃん。飼い主の趣味ばっかし押し付けるなあどうかと思うやあ。」
例文音声はこちら
この記事につきましてはいつもより増して根拠の薄いものである事を予めご了承下さい。
「せんびく」
「間引く」・「差し引く」とかいう意味。使い方によっては「話し半分」という意味でも使われることがある。
「せん」は剪定するの「剪」を使うのではないかと思われる取捨選択という意味だという解釈が一案。
もうひとつは「線引く」。線で仕切る・境界線を設けるみたいな意味で鵜呑みにしないみたいな使い方に変化したというのがもう一案。ちなみに「せんびきして聞かないと」とかいう使い方はあまり遠州では聞かず「せんびいてきかんとを」とか「真に受けちゃかんにい」とかになるのではと。
*注 ちなみにこの言葉は辞書にも古語辞典にも様々な遠州弁の紹介解説HP・ブログにもとどこにも記載されていないので、存在の根拠がなく私の思い込みによる間違いもしくは勝手な想像上の造語かもしれない可能性がありますので、正しいことを述べていると断言は出来ませんのでご了承下さい。
つまりせんびいて読んでねということです。出自は私の不確かな記憶のよるものだけなのでホント確かかどうか自信ありません。誤りだったらごめんなさい。
例文
「きんのう会場いっただに中止んなってたんでがっくしやあ。」
(昨日会場に行ったのに中止になっててがっくりきたよ。)
「雨だあだあだっただもんで普通中止だって分かるらあ。」
(雨どしゃ降りだったんだから常識からして中止って分かるだろうに。)
「ふんだだこんゆったって、あいつう槍ん降ってもやるだにい とか おとつい ぬかしてた もんで やるだかいやあと思って。やってていかんだったら馬鹿みちゃうでやあ。」
(そんなこと言ったって、あいつが一昨日何があろうがやるもんだよって言ってたからそういうものなのかと思ってさあ。やってて行かなかったら損しちゃうだろ。)
「そんなのふかしだって。あいつんゆうことまるさら信じてちゃかんて。せんびいて聞かんとを。」
(そんなの嘘だって。あいつの言うこと話し半分で聞かないと。いちいち真に受けてたら駄目だって。)
「こりちゃうやあ。」
(参っちゃうよなあ。)
例文音声はこちら