遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「黙らせる」という意味。「黙らす」よりも強制・強要感が強い。
例文
「やあ。あいつひゃあひゃあ五月蝿いでだまらかしょ。」
(おいあいつごちゃごちゃ五月蝿いから行って黙らして来いよ。)
「どうやってえ。やり方しらんにい。」
(どうやればいいのさ。手段が分からん。)
「いいだよ。思いきっさ けつ けっからかしゃあ黙るで。」
(構うことなしに思いっきりお尻蹴っ飛ばしてくれば黙る。)
「わしじゃよをでけんであんた自分でやってきてやあ。」
(おれにはとても無理だ。自分でやってきなさいよ。)
例文音声はこちら
基本は「だら」=「だろ」であるが
「だら」を共通語に訳すとき「だよね」とすれば大抵ははまると説明されてたところがあった。成程なと思える。確認・問いかけ・同意を求めるという意味使いで用いられるということは確かにある。
それに「だよな」と付け加えればもっとうなずく事はできる。なにせ地位や年齢・性別に関わらず誰もが放つ表現なので訳す場合は上下関係とかも考慮しないとみんなタメのつもりで発してる訳ではないので。
しかしながらなんでもかんでも「だよね・だよな」という訳で通用するものではない。例えば
「まあちっと左い寄せた方んみばぁよくなるだら。」
訳すと「もう少し左に寄せた方が見た目がよくなるんじゃないのか。」
となり「もう少し左に寄せた方が見た目がよくなるんだよね。」というニュアンスにはならない。そう言いたい場合は
「まあちっと左い寄せりゃあその方みばぁよくなるだいね。」という感じにした方がスムーズになる。
それに、「だら」の語尾を上げて疑問符形にするとその訳は「もう少し左に見た目がよくなるんだろ?(だからそうしな)。」となる。問いかけではなく命令・指示といった表現になる。
変な話し、「だろう」の旧仮名遣い「だらう」と遠州弁の「だら」は親戚か?と思えないでもない感じがしないでもない。
「だろうか」=「だらか」・「だろうな」=「だらな」
勿論奇遇であってそうだと言うのは変極まりないことであるが。
「だら」とはこうであるとかいう結論を出せないけれど、まあいづれにしても「だら」をなんでもかんでも「だよね」と訳すわけにはいかないほど幅広いニュアンスの意味を持っている言葉であることは確かであろう。
例文
「おめえも飲むだら。」
(お前も飲むよね。)女性の場合だと「でしょ」が相応しいか
「わし遠慮しとくわ。今日飲んで帰るとおっかさにどんじかられるで。」
(自分遠慮しとく。今日飲んで帰ると女房に怒られるんで。)
「なんでえ。おっかさ子供産んで在所帰ってるだら。」
(なんでだよ。奥さん出産で実家に戻ってるんだろ。)
「だもんでじゃん。」
(だからだろ。)
「意味分からん。」
(意味が分からん。)
「わし独りじゃ飯とか洗濯とかできんもんでおっかさの在所にわしも寄らして貰ってるだよを。だもんで酔っていかすとみこ悪くするもんで飲んじゃかんっつわれてるだよ。」
(自分料理とか洗濯できないものだから女房の実家に自分もくっついて行ってるんだ。だから酔って帰ったりするとご両親の印象悪くなるから飲むなって釘刺されてるんだ。)
「なんかおめえの未来像が俺にもめえるやあ。」
(なんとなくお前の未来像が俺にも見えてくるなあ。)
「マスオさんってか。」
「だら?」
(だよねえ。)
例文音声はこちら
追加説明
以前初歩として「だら」=「だろ」と説明したが、必ずそうなるものではないということを説明しておこうかと。
例えば
「さっさと行けばいいのになんで行かないんだろ。」
というのを
「さっさと行きゃあいいだになんで行かんだら。」
とはならないということ。(「だら」ではなく「だか」・「だや」・「だね」などと言うのが普通。)
「だら」は推測・憶測とかであって疑問の意を表すものではない。
「なにしてるんだろ」を「なにしてるんだら」とはならない。
「なにかしてるんだろ」を「なんかしてるんだら」とはなる。
じゃあ「だら?」はなんだとなると、これは憶測・推測に対する同意(共感)を求めるものである。
「なんかしてるんだら?」というのは直で訳すと「何かしてるんだろ?」であるがニュアンス的にだと「何かしてるって事だろ?」と訳す方がよりいいことになる。
「だら」=「だろ」というのに於いて、共通語の「だろ」の意味使い凡てを含むものではないということであろうか。
「だもんで」。使い方例を挙げると
「この番組は再放送です。」というテロップを遠州弁に直すと→「この番組再放送だもんで。」
「だもんで」を「なもので」と訳すと尻切れトンボというかこの後になにか言葉が続きそうな感じがするところである。「ご了承ください」とか「ご理解ください」みたいな。
しかしてこの場合の「だもんで」は「なものです」と訳すのが実際使いのニュアンスに近く、これで言い切っていて次に言葉は続かないというものである。
近い表現で「再放送だいね」・「再放送だでね」・「再放送だにい」とかと較べると言い切り度合いは低いものであるが同列の表現であろう。
「再放送だいね」を訳すと「再放送なんだな」
「再放送だでね」は「再放送だからね」と念を押す勢いが増す。
「再放送だにい」は「再放送ですよ」と教えているもしくは注意を喚起してる勢いが湧く。
「再放送だもんで」は「再放送ですので」もしくは「ですから」
とまあこんな感じでの使い分けは存在している。
テレビの再放送で(もう終了してる)プレゼントの応募のシーンとかの際「この番組は再放送です。」とテロップが流れるのであるが、この場合「だいね」だとなにふざけてるんだととられ、「だでね」だと「分かってるわあ!」と小生意気な印象を与え「だにい」だと「なら流すな!」とムッとされかねない。なのでこういう場合に於いては「だもんで」を駆使するのが差し障りがなくて無難なところである。
遠州だけでなく三河や駿河といった中部・東海で広くよく使われるものである。
遠州弁の代名詞とするにはそういった地域に失礼にあたるような気がするのだが。
多少?地域によってニュアンスとかに違いがあるやもしれないが、ここでは遠州弁での使い方を記載してみる。
接続詞みたいな使い方の「だもんで」
①「だ」+「もんで」
「だ」を強めに言うと「な、もので」という意味使いになる。
「も」を強めに言うと「従って」とか「ゆえに」といった意味で使われる。
「だもんで買うだあ。」→「だから買うのかあ。なるほど。」もしくは「だから買うんだよ。分かったか。」
②「だも」+「んで」(あくまで言い方を説明するためのもので「だも」・「んで」という言葉がある訳では無い)
「だ」を強めに言う。
「よって」とか「なので」・「~のせいで」とかいった意味。
「だもんで買うだあ。」→「だから買うんだよ。」・「だから買うんだ」
①は買うんだという事(意思)が重要で②は買う理由が重要ということを表現している。
言い方を代えれば①が起因で②が要因ともいえるかも。
といった感じで、イントネーションや切りどころによって意味合いに変化が生じる。
①②以外にもイントネーションが違う「だもんで」があるがこれ以上列記するとややこしくて頭が爆ぜるので略。
終助詞(?)みたいな使い方の「だもんで」
「だもんで」とほぼ平坦に発する。
「今日は大丈夫だに。晴れだもんで。」
訳さば「今日は大丈夫だよ。晴れてるから。」
まあ「晴れだもんで大丈夫だに。」とすれば終助詞ではなく接続詞だろうがというつっこみにはもっともだと言う他無しであるが。なので、おそらくは終助詞的な使い方をする接続詞ということになるんだろうか。
こういう場合の「だもんで」は「であるからして」と訳せば分かりがいいか。
「さっきからゆってるだもんでえ。」
これを訳すのには骨が折れる。ニュアンス無視して訳さば「さっきから言っているのだもので。」なんのこっちゃいである。
ニュアンス重視で訳さば「さっきから何度も言ってるんだからあ。」といった感じか。散々言ってるのに聞く耳持たない・理解しないといった効果無しという参っちゃうよな物言いである。
とりあえず「だもんで」は「なもので」だけでは無く色んなニュアンスを含むもので訳すにおいてはそれぞれ変化してるということはいえそうである。
要は説明するのはややこしいということ。「だもので」とも訳せるし「だものだから」とも訳せる。ただし状況によって必ずしもそういった訳ではうまくはまらない事がある奥の深い言葉である。
追記その1
頭に持ってくれば「だから・なので」という意味合いになる。
「だもんでさっきいからそをゆってるじゃん。」
(だからさっきからそういってるでしょ。)
そうでない場合
「傘持ちなしあわくって出てくだもんでそうなるだよ。」
(傘も持たないで慌てて出かけるもんだからそうなるんだよ。)
この文で「だもんで」を使わないと
「傘持ちなしあわくって出てくでそうなるだよ。」
(傘も持たないで慌てて出かけるからそうなるんだよ。)
「だもんで」を使うと「だから言ったじゃないか」とか「当然そうなるだろう」みたいな説経じみたニュアンスが強めにになることが多い。無意識で「だもんで」を使うとむっとされることがあるので注意が必要ではある。
その逆に言葉の最後に持ってくると
「傘持ちなしあわくって出てくとそうなるだもんでえ。」
(傘を持たないで慌てて出てくからそうなるんだから。)
言い切りではなくて「~なんだから」・「~だと思うけども」という感じの語気を弱める効果がある。次に続く言葉があるのかなと思われたりするキレの悪さがあるが、これで終い(言い終わった)ということが多く口に物を挟んだような言い方とはなる弱点はある。気の短い人だと「だでなんだあ?」(だからなんだよ)と言われたりしかねないくらい柔らかい言い方になる。
「だもんで」の省略形であろう「だで」を使うとそういった歯切れの悪さが解消される効能があり、「だで」を使う人が増えつつあるような気がする。後、必ずしも「だで」は「だもんで」の略とは言えない可能性もある。
追記その2
ちょっと説明しづらい使い方の「だもんで」をば。
「やっちゃただもんで、帰るにい」
大雑把に訳せば「やり終えたから帰るよ」となるのだが正確ではない。細かく言うと、この訳を逆に遠州弁に直した場合
「やっちゃったもんで、帰るにい」
となって正しいものではない。あくまでそんな感じの訳ということ。
では、どう訳すべきかというと
「やり終えたものであるから帰るとするよ」
といった風になろう。
普通「だもんで」は「だもので」・「なもので」となるものだが、ここで挙げてる「だもんで」は「ということなので」・「ということだから」というもので普通の意味使いではないということになる。
追記その3
「だもんで」の意味使いについては上記に書いた記事に補足するものはないのだが改めて(重複して)述べると。
この「だもんで」は遠州の十八番(おはこ)ではなく、三河弁でも繁く使われるものである。
使いどころも同じであり意味合いに於いてもほぼ同じであるようだ。本家は三河かもしれないしそうでないかもしれない。
「だもんでじゃん」という言い方は遠州でもよく使われるものであるが、「じゃん」は三河弁を代表するものであり屁理屈的に分類すると「だもんでじゃん」はモロ三河弁と言えなくもない。
ちなみに「だで」は「だもんで」の略形と考えられなくもないが訳すとなると
「だで」→「だから」・「なので」
「だもんで」→「だもので」・「なもので」・「なのだから」
となって別の言葉と考えられたりもする。しかしながら
「だもんでさっきからそうゆってるらあ。」を訳すと「だからさっきからそう言ってるだろ。」とするのが普通であり、上の別の言葉という屁理屈がどんな時にも通用するものではないということになる。
ちなみに配列を変えてみると
「さっきからそうゆってるだもんで」は「さっきからそう言ってるのだから」
「さっきからそうゆってるだで」は「さっきからそう言ってんだから」
といった違いは確かに生じる。「だで」を使う方が感情が昂ぶってる勢いになる。
逆に言えば「だもんで」はちょっと空気の抜けた印象を与える緩い所もある。
そういう事から考えてくと意味としては「だで」も「だもんで」も同じであるが、感情の違いを表現する際に変化をつける為に使い分けられているものという勘繰りも成り立ちそうでもある。合ってるかどうかは定かではないが。
「~だかいねえ」訳すと「~かしらん」・「~なのかなあ」。
基本女性言葉寄りの男女共用言葉。男だと「だかやあ」を使う方が少なからず多い目か。
「ねえ」とか「やあ」を外して「だか」だけだと「~なのか?」と語調が問い詰める感じが強くなる。
「だ」を外して「かいねえ」とすると「~とかなのかねえ」という訳が近いか。
例文
「これでやれってこんだかいねえ。」
(これでやれっていう事なのかねえ。)
「さあどうだかいねえ。」
(さあどうだろうねえ。)
「ちったあこっちにも気い遣ってくれる気いないだかいねえ。」
(少しはこっちにも気遣ってくれる気とかないのかなあ。)
「ないんじゃない?」
「やりおせんくてもいいだかいやあ。」
(出来なくてもいいのかなあ。)
「そりゃかんらあ。」
(それはだめでしょう。)
「だらあ?じゃどうせすでえ。」
(そうだろ。じゃあどうすりゃいいんだ?)
「ねえ。どうせりゃええだかいねえ。」
(そうだよね。どうしたらいいのかねえ。)
「ホントこれでやれってこんかいねえ。」
(本当にこれでやれってことかなあ。)
例文音声はこちら