遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「直ぐに」・「早く」とか言う急かす目的の言葉。特に遠州独特ということもないのだが普段よく使われるので記載。
「ちゃっちゃと」と「ちゃちゃっと」という表現と同類か。多少ニュアンスは変わる。
「ちゃっと買わんと売り切れるにい」(直ぐ買わないと売り切れちゃうよ)
「ちゃちゃっと買わんと売り切れるにい」(他の用は後にしてまず先に買わないと売り切れになっちゃうよ)
「ちゃっちゃと買わんと売り切れるにい」(のんびりしてると売り切れちゃうよ)
幾分誇張気味の訳ではあるがこういった違いがある。
語呂遊びでいえば以前どこかにも書いたが
「ちゃっとちゃちゃっとチャットやってちゃっちゃとチャート作らんとを、あんたちゃあしてちゃちゃいれてる場合じゃないだにい」
(早くパパッとチャットやってとっととチャートを作らないと、のんびりお茶してふざけてる場合じゃないでしょ。)
とか言う風なのが思い浮かぶ。
例文
「これよさそうじゃん。買うかあ。」
(これよさげじゃない?買おうよ。)
「テレビじゃみばとかけっこく写してるだでどうだか分からんて。実物見て買わんと往生こくにい。」
(テレビだと見映えよく写してるんだからなんともいえないな。実物確かめて買わないと後悔するよ。)
「限定だって。ちゃっと申し込みをっつってるにい。買わまい電話するでねえ。」
(限定なんだって。今すぐお申し込みをって言ってるよ。買おうよ電話するからね。)
「人の話し聞いてる?似たようなもん近くの店屋にもあるらあ。」
(人の話しを聞いてる?同じようなもの近くのお店にもあるだろ。)
「あのねえ、買って後悔するのと買わずに後悔するのとどう違うと思う?」
「大して違わんらあ。」
(大した違いなんてないだろ。)
「馬鹿こいちゃかんて。欲しいと思ったもん買って後悔したらやいやいで仕舞いだけど買わずに後悔したらあん時買っときゃあっつって一生ゆうだにい。」
(何言ってるの。欲しいと思ったもの買って後悔したらあ~あで済むけど買わないで後悔したらあの時買っておけばって一生言うことになるんだよ。)
「欲しいじゃなくて必要なもん買えやあ。」
(欲しいものじゃなくて必要なものを買えよな。)
「消費は美徳じゃん。なにいかんよを。」
(消費は美徳でしょどこがいけないの?)
「いつの時代の話ししてるだあ。」
例文音声はこちら
最近は通販に押されて地方のお店が次々と店じまいで
こんな会話成り立たなくなったなと。
「縮れ毛」のこと。頭髪を指すのであれば今なら「天パー」と同義語になるのであろうか。
遠州独特という訳ではないらしい。でもなんだろう、頭髪として言われた方にしてみれば決して気持ちのいいものではないので喜ばしい言い回しではなくそういった配慮からすでに過去(死語)の表現ということで落ち着くのが無難ではあるまいか。私の周りでもこの言葉を発する使い手はいない。小さい頃に耳にして久しく今こう放たれても一瞬何?って思うかもしれない。
他の部分の毛を指すのには問題はないのだが今ではそういうのは「ごわごわな毛」とか素直に「縮れ毛」と言うのでどっちにしてももう使われていないと思われる。珍獣のちんじゅうとかみたいな動物の毛の質の表現としてならなんの差し障りもないんでしょうけど。
漢字でなんと書くのかは分かりません。
そんなこんなであまり深く掘り下げてもあれなのでこれくらいにしときます。
少しくらい・ほんの少し・それくらいとかいった意味。結構意味的には広く使われる。
「ちいと」は少し・ほんのとか言う意味で、「ばか」は、ばかり・ばかし・くらいとか言う意味で「馬鹿」ではない。
例文1
「おい、わし買い物いかすと思うで、ちっとばかここ店番してくれると嬉しいだけどやあ。」
(ねえ、買い物に行きたいから、ちょっとでいいからここの店番しててくれるとありがたいんだけど。)
「ちっとばかっつっていつもど遅いじゃんか。欲しいもんあるならわし行ってこすにい。」
(ちょっとっていつも遅くなるじゃない。買いたいもの言ってくれれば私が行ってくるよ。)
例文2
「そんなちっとばかひっころんだくらいでひゃあひゃあゆっちゃかん。」
(そんなほんのちょっと転んだだけでわあわあ言っては駄目。)
「ちっとばかじゃありもしんにい。見てみい!皮ん剥けてるし血い死んでるらあ。」
(ちょっとじゃないよ。見てよ。皮が剥けて内出血だってしてるだろ。)
「それっぱかじゃ死にゃせんて。つばつけときゃ直るって。」
「う~どひどいことゆーやあ。ばい菌入ったらどうしてくれる?」
(この薄情者。ばい菌が入ったらどうしてくれるんだ。)
「大丈夫そこんさあ消臭除菌剤撒いてるで。」
「しゃれんならんぞ。」
例文音声はこちら
追記
「ちっとばかいいじゃん。貸してやあ。」
直訳すると「少しくらいいいじゃないか。貸してくれよ。」
この場合の「ばか」は「くらい」・「程」とかいうことになる。つまりここでの「ばか」は「馬鹿」ではなく「ばかし」の略したものであるという事。
「ほんのちっとばか分けてくれんかねえ。」
直訳すると「ほんの少しばかり分けてくれないかねえ。」
この場合の「ばか」は「ばかり」。
「ばかり」(許り){副助詞}で「ばかし」は「ばかり」の俗語と辞書にある。
従って同じ言葉という事になる訳だが上記の例文を
「ちっとばかりいいじゃん。」・「少しばかし分けて」とかにするのは違和感を感じる。
使いどころとしては頼みにくい・言いにくいことを頼む際に発せられることが多い。他所の人からしてみれば「ちっとばか」と聞いた印象はぞんざい・横柄というものであるが頼むごとをする際に下手に出ている事を表現している言い回しなのである。
もちろん「ちっとばかのこんでひゃあひゃあゆうじゃない」といった「些細な」といった意味で使われる事もあり、大したことじゃないだろうという量の多い少ないという意味に限らない使い方をするものである。
「ちっとのこんでひゃあひゃあゆうじゃない」と
「ちっとばかのこんでひゃあひゃあゆうじゃない」とでは
「ちっとのこんで」は些細な出来事でと言ってるのに対し、「ちっとばかのこんで」は器量(了見)が狭いという言ってるというニュアンスの違いが感じられる。
全国的に使われてるであろう言葉であっても辞書などには載っていない言葉。
したがって各地域によってもしかしたら意味合いが異なるやもしれぬということで記載。(まあそんなことはないだろうが。)共通語だと「散らかす」になるのかしらむ。「散らかる」だと少し離れる気がする。「ちらけっぱなし」はそうなると「ちらかしっぱなし」になるのかな。
意識をもって散らかしていることを表現する言い方。つまり片づける気がない、もしくは片づけられないというニュアンスが籠もる感じである。
「風ん舞って散らかった。」風を擬人化すれば「風んちらけた。」と表現できなくもないが自然とそうなった場合とかには使わない言葉である。つまり散らかす犯人が存在するということ。誰が悪い(原因)とかじゃない場合には「ちらかる」という言い方をしている。
例文
「なんだやあ。えらいちらけたなあやあ。」
「そうじゃないだよ。○○があだけてちらけてっただよ。」
「え?なにせいきたよお。」
「わからんだよ。なんしょ来て直ぐだもん。」
「で、どうなったよお。」
「知らん。警備ん衆来て連れてった。」
「じゃまた来るだかいやあ。決着つかんとどうしようもないじゃん。」
「そんなこんよりかとりあえずちらけっぱなしじゃかんでかたしまい。てんだってやあ。」
(そんなことよりとりあえず散らかりっぱなしじゃあダメだから片付けようよ。手伝って。)
「はいね。」
(あいよ。)
例文音声はこちら
追記
「ちらける」という言い方が遠州弁だとは思えないのだが方言っぽいという声を聞いたので共通語じゃないと仮定して話しを進める。少なくとも「ちりける」・「ちらけりな」とかいう古語っぽいものではない事は確かだろう。
「ちらける」・「ちらけた」だと共通語では「散らかる」・「散らかった」であろうが若干ニュアンスが異なる。「散らかす」・「散らかした」の方がむしろ近いか。
「ちらけす」では「散らす」。「散らかす」じゃないのかと思われるやもだがニュアンスが微妙に異なる。
「ちらける」と「ちらかる」はどう違う。というかどういう使い分けをしているかというと。
「風が舞って書類が」ということであれば「ちらかった」。まあ普通は「散らばった」だろうけど。
「子供がはしゃいで机の上の書類を」となれば「ちらけた」。共通語だと「散らかした」であろうか。
つまり、わざとというか故意というか人為的要因によって散らかる場合に「ちらける」が使われる。もちろん擬人化すれば「風がちらけた」とかいう言い方もできるところであるが。
分散するとか撒くといった意味でも「ちらける」を使ったりする。これについても意思を感じるところである。共通語では「散らす」という言い方になろうか。より強い意思(させる)を含ませる場合は「ちらけさす」と言う。
「種蒔くとかいい塩梅でちらけて蒔いてよ」
となる訳であるがなんでもかんでもこうなるのではなく
「ちらし寿司」を「ちらけ寿司」と言う事は無い。
ややこしいところでは「どっちらけ」。
共通語だと「大層白ける」となる訳であるが遠州弁だと「大いに散らす」と読めなくもない。
「やあ、こんなどっちらけて後かたいてくれるだやなあ。」
(おいこんなにも散らかして、後で片づけてくれるんだろうなあ。)
まあ普通は「どっちらかしゃあがって」となるのでややこしくはならないが。
例文
「おぉいぃ。どうすりゃこんなちらけれるでえ。」
「しらんよを。ちらかいた人に訊いて。」
「おめえじゃないのか?」
「あんただらあ。」
「じゃ、誰んやったでえ。」
「まさか泥棒入ったじゃないらねえ。」
「取られるようなもんなんかありもしん。」
「無いもんでやっきりこいてあだけてったじゃないの?」
「かもなあ。」
「もう。すぐそうやってちんぷりかあるだでホント嫌。そんなんじゃかんだにい。」
訳すと、何かあるとすぐにむくれるところが嫌なんだよね。そんなことじゃダメだよ、となる。
「ちんぷりかある・ちんぷりかえる」の意味としては、すねる・ふくれっつらになる・むっとする・反抗する・我を通そうとするなどなど色々とある。
語源はなにかと問われても正解は知らないのであるが、推測として「ぷり」は「振り」、「かえる」は返るだとすると「ちん」という振りが裏返るということになる。ただ「ちん」がなんなのかが分からない。「知らん」が「ちん」に一番近い感じではあるので合体させると、「知らん振りが裏返る」と読めなくもない。つまり露骨に態度に表れている様であると言う状態と解釈することも可能ではある。不満とかを隠すことなく態度で示しているということで意味としては遠くはない。が、この解釈があってるという確証はない。
他にも、「死ぬ」を「おっちぬ」と言うが、これが「ちん」に変化して死んだ振りが翻ってというこじつけにも考えられる。繰り返すがこれも推測である。
それとも「陳腐る」が返るで「陳腐りかえる」陳腐な顔になる(戻る)つまり本性が現われるということか。さすがにここまでだと妄想力の賜物になるが。
ニュアンス的には決定的な反目敵対ということではなく、共同歩調をとる上での(生活上とか)摩擦的な擦れ合いにおいて使われる言葉であろう。面と向かって反論できないが影に隠れてではなく直接的に不同意の感情が抑えきれないという状況。怒りの状態ほどではない。
なので特に深刻な状況において使われることはないが、それでも積もり積もれば悪い方向に流れていくのは当然なので早めの対処は必要ではあろう。ほっときゃ治る傷ももちろん多いけど。
例文
「あそこんさあの家。親子で仲悪いだって。なんでか知ってる?」
(あそこの家。親子仲が悪いらしいって聞いたけど理由知ってる?)
「それがさあ。なんかしょんないこんで息子ちんぷりかあってあだけただって。それん親爺さん許せんくて以来口きかんくなっただって。」
(それがね。なんか些細な事を息子が気に食わなくて騒いだんだって。その時のことを親爺さんが許さなくてそれ以来口きかなくなったんだって。)
「なにんちんぷりかあっただかいねえ。」
(何に対して気に食わなかったのかねえ。)
「さあ、さすがにそこまでは知らんだよ。」
例文音声はこちら