遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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それじゃあねえ、とか言う意味。
「そんじゃさあ」や「ふんじゃさあ」・「ほんじゃさあ」が省略されたもの。まあ、方言かどうかは怪しい普段使いの言葉。
「さあ」の他にも「ねえ」・「やあ」・「よを」などでも使われる。
例文
「腹減らん?」
(お腹が減ったよね。)
「んじゃさあなんかとるけえ?」
(それじゃあさあ。なんか出前とる?)
「そうしまい。ほんでなに食わす?」
(そうしよう。それで何食べる?)
「ピザでもとらまい。ちゃっと来るで楽だでやぁ。」
(ピザにでもしようか。直ぐ来るから便利だもんね。)
「ほんた米喰いたいだん。まあ早い方がいいかあ。」
(本当はご飯食べたい気分なんだけど。まあ早い方がいいか。)
「じゃ、とるにい。」
(それじゃあ注文するよ。)
例文音声はこちら
「自分」のこと。遠州では基本は「わし」である。よそいきやかっこつけたいお年頃は使わないが。男女問わず「わし」である。
ただ最近あまり使わなくなりつつはきているが基本は「わし」である。
かくいう自分も「わし」を使うにはまだ恥じらいを感じるお年頃なので実生活において「わし」と言うことは決してないのであるが。
「わい」は遠州弁では使わない。「おら」・「おいら」も殆ど聞かない。
当ブログにおいては基本形であるということで「わし」を多用することとしている。
例文
「やあ、ちいとわしんちよってきない。茶あぐらいは出すで。」
(なあ、ちょっと私の家に寄ってきなよ。歓迎するからさあ。)
「いんやあ邪魔しちゃ悪いら。おっかさ気い遣わしちゃ悪いで帰るわあ。」
(いやあお邪魔したら悪いだろう。奥さんに気を遣わせても申し訳ないから。)
「気いなんて使っちゃかんて。うちのもそんな気いつく奴じゃないだでええって。」
(君が気を遣う必要なんかないって。うちのはそんな気が利く方じゃないから気にしないでいいよ。)
「ほうけえ。そいじゃちいとよらさしてもらわすかねえ。悪いのっ。」
(そうかあ。それじゃあちょっと寄らして貰いますわ。すいません。)
注、「悪いのっ」は手間や迷惑をかけて申し訳ないという意味である。
例文音声はこちら
その1
「に」(格助詞)を訛らすと「ん」に遠州ではなる。場合がある。やたらくしゃ(なんでもかんでも)ということではない。どういう場合が「ん」に変わるかという法則を知ってればいいのだろうがアホがばれるのでそういう屁理屈は追わないのが私の主旨。
「やけに重い」は「やけん重い」
「がんこに重い」は「がんこんおんもい」
「京都に行こう」は「京都ん行かまい」
「そこにある金槌とって」は「そこんさあん金槌くりょ」
「に」だけでなく「は」(副助詞)も「ん」になることもある。
「今日は晴れるだろう」は「今日ん晴れるらあ」
「聞くは一時の恥」は「聞くん一時ばかん恥」
「の」(格助詞)も「ん」になる時がある。
「あの子の家に行く」は「あの子ん家ん行く」
「が」(格助詞)も「ん」になる時がある。
「台風がもうすぐやってくる」は「台風んはあちっとしたら来るに」
「今日が締め切り」は「今日ん締め切り」
まあ挙げたらキリがないのでこのへんで。因みに発音的にいうと「ん」というよりも「ぅん」と言うほうが近い。こんだけ色んな格助詞を「ん」にしてしまうので聞き取りは素人には難しいものがあるやもしれぬ。
その2
「ん」。「ない」の代わりに使用する。その1で「に」として使うと説明したがそれとは違う使い方を補足追加。
出来なくする→できんくする
しないで帰る→しんで帰る
脱線するが、「せずに帰る」という「ず」の場合には「なし」を使い「せなし帰る」という風になる。
「買わないで帰る」なら「買わんで帰る」
「買わずに帰る」なら「買いなし帰る」
と変えるのがスムーズである。
では、「に」と「ない」が「ん」になるというのなら
「買わないに越したことはない」を
「買わんん越したこたない」と言うかというとそれはない。
例文(遠州弁では「ん」の連発が小気味良いという感覚がある。)
「うちんゆうこんとんちんかんかもしれんだん なんしょあんたんとこんのだけはホントちゃんとしんとかんて。」
(私の言う事がとんちんかんかもしれないけどとにかくあなたのところのだけはちゃんとしないといけないんだよ。)
「なんでうちんのだけちゃんとしんとかんよを。」
(どうしてうちのだけちゃんとしないといけないの?)
「なんでって他んの見りゃ分かるじゃん。しょんないのばっかだら?」
(どうしてって他のを見れば分かるでしょ。使い物にならないのばかりでしょうに。)
その3
「ん」は「ない」の変形としても使われると言い表してきた。
「ない」→「無い」→「無」→「む」→「ん」みたいな?・・・冗談です。例としては
「来れない」→「来れん」・「やらない」→「やらん」・「そうしないと」→「そうしんと」
といった具合に。まあ遠州弁に限ったことではなくごく普通か。でも徹底してる度合いが強いというのが特徴ではあろう。
例文音声はこちら
では「な」という形もあるか?
「おいでなさる」→「おいでんさる」・「やりなさい」→「やりんさい」・「そうしなきゃだめ」→「そうしんきゃかん」・「そうしなさい」→「そうしんさい」
遠州弁としてはあまりピンとこない言い回しである。でも確証はないが名古屋辺りとか関西方面なら言いそうな気はする。遠州ではまったく言わないと断言はしないが頻度は少ない感じがする。ちなみに遠州弁だと
「おいでなさる」→「こらっしゃる」・「やりなさい」→「やりい」・「そうしなきゃだめ」→「そうしんとかん」・「そうしなさい」→「そうせよを」
とかになることが多い。
つまり遠州弁では「ん」は「な」としての意味使いはしないということなのか。
「ゐゑ~。何やってるだあ。ざけんなよな。」
ニュアンスで訳すと「お~いなんだよ。何してんだよ。いい加減にしろよな。」。
音でいけば「YEAH」と書く方が分かりがいい言葉である。
発音が難しいのであるがとにかく決して「いぇえ~」という発音ではない。つまり「わいゆえよ」ではなく「やゐゆゑよ」の発音である。「wa wi yu we yo」といった「ゐ」=「wi」・「ゑ」=「we」ではなく「ya yi yu ye yo」での「ゐ」=「yi」・「ゑ」=「ye」であろう。
例文を「お~いなんだよ」と訳したが感情としては「もう嫌になる」という勢いで「泣けてくる」・「もううんざりだ」というような感じである。効能としては凄く嫌そうもしくは悲観的という印象を与えるところである。
文章の頭に持ってくるとこういう意味合いになる。
しかしてこれが文末に付くと別のニュアンスの言葉になる。
「そうだのうゐゑ~」となるとその意味は
「そうなんだよねえ」と訳すところで具体的に「ゐゑ~」をどう訳すかは難しいところである。「おっしゃるとおり」というニュアンスであるが強いてごり押ししての訳ならば「なんだよねえ」・「だよね」とかであろうか。
こちらには嫌そうなといった感じはなく「同調」・「得心がいく」といった「全く以てその通り」といった印象を強めに与える効能がある。
前でも後でもどちらも男言葉であろう。女性の場合は前に付く場合は「おい」・「お~い」後にという場合は特に思い浮かぶ表現はなく普通に「ねえ」であろうか。
似たような言葉の「やあ」との違いは、「やあ」には怒りの要素の方が強く反発してる勢いであり「ゐゑ~」は辟易の要素が強いという違いである。
「やあ勘弁してくれやあ」だと「勘弁しろよな」
「ゐゑ~勘弁してやあ」だと「勘弁してくれよ」
といった勢いの違いが生じる。
例文
「ゐゑ~、なにやってるだあ。」
(お~いなんだよ、なにやってんだよ。)
「みりゃ分かるじゃん。」
(見て分かんないのかい。)
「んな余分なこんなんかするじゃない。どうせ最後はとっぱらうだで。」
(そんな余分なことするんじゃないよ。どうせ最後には取り払うんだから。)
「そうゆわれりゃあそうだのえ。」
(そういわれればそうだなあ。)
「他にもやらにゃかんこん、こらしょとあるだで、頼むにい。」
(他にもやる事一杯あるんだから余分なことしないでくれよ。)
「そうだのうゐゑー。」
(確かにその通りだな。)
例文音声はこちら
「申し訳ない」と言っている。共通語だと「お手数かけます」・「ご親切にどうも」とかになるであろうや。
遠州弁においての主な用途は謝意であるが感謝という意味合いで使う事もある。つまり「ありがとう」の代わりに使う事もあるという事。
遠慮するというような場合には「わるいらあ」・「わるいでえ」とかが使われる。あくまで遠慮であってお断りではない。
お断りの場合には「わるいで」・「わるいに」・「わるいって」などがあり。
拒否の場合は「いいって」・「いいに」・「いらん」など。
例文
「荷物一杯で大変だらあ。ちっと持ってやるでよこしゃあ。」
(荷物一杯で大変だろう。少し持ってあげるからよこしなよ。)
「わるいやあ。頼めるかいねえ。」
「いいよをそれくらいぃ。大したこんじゃないだで。」
「いやあホントあんたありがとね。助かるやあ。」
例文音声はこちら
「ありがとう」とは当然異なるのだが使いどころは同じであることが多い。
例えば物を落とす。拾うのを手伝ってくれた人に対して
「わるいやあ」というのと「ありがとね」というのとではそのニュアンスが異なる。
どちらが腰が低く受け取られるかというと「わるいやあ」の方であろう。
較べた場合「ありがとね」の方が腰が高く感じられる。
脱線するが、以前なんかで、コンビニの店員がお客に「ありがとう」と言われてキレたというのを読んだのであるが、その理由は腰高という印象を受けての「何様だ?」という感情が湧いたということなのであろうか。
「わるいね」とすれば「ありがとう」と同じように上から目線になりえるのでそういう感覚に陥りそうな相手に対しては注意が必要ではあろうか。
もっともコンビニのレジで「わるいやあ」なんて一万円出して恐縮する時以外に発することはないから「ありがとう」に置き換えて「わるいやあ」を使えば丸く収まる訳ではないが。そうなると返す言葉に適当なものが思い浮かばないな。「どうも」くらいか。無言が無難なのかな。
いずれにせよ、「謝意」と「感謝」の違いが「わるいやあ」と「ありがとう」の違いということであろうが今は「ありがとう」の分が悪い世の中のようだ。
なにかあると「土下座しろ」みたいな屈服に近い「謝意」を要求する社会において「感謝」では充足しない受け入れられない溜飲が下がらないというのはなんだかなあではある。
遠州弁では「ホントあんたありがとね」とかのように他の言葉をまぶしてそういった腰高感を和らげて使われている。共通語だと「ありがとうございます」とか言わなくちゃいけないのかな。不便だしそもそもなんでそんな丁寧にしなくちゃいけないんだという疑問が湧くわな。
まあそんな大それた事はこれくらいにして「わるいやあ」。基本若造世代は使わない社会人以上の部類の世代言葉に属する。
「わるいやあ」を連発すると「卑屈」とも受け取られかねないところで連呼は芳しくはないのだが「わるいのっ」とか「わるいね」だと本気で悪いと思ってないだろと思われたりもする儀礼的な印象を受ける場合もあり「わるいやあ」が使い勝手はいい。