遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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がんこ強引ではありますがテレビドラマのタイトルを遠州弁に変換してみまいや。ドラマのタイトルって意外と方言にするには往生こくものが多く今まで出来なかったのですがこのクールでは結構変換出来たのでうれしいやあ。(以前のも書きますけど。)で、今後も変換できるのがあれば随時書き足していきます。
*タイトル直訳
「泣かないと決めた日」→「泣きゃあせんってした日」・「はあ泣かんだもんにした日」
「まっすぐな男」→「まっつぐな奴」
「特上カバチ」→「ど凄いヲタこき」もっと露骨だと「どひどいキ○ガイ」
「曲げられない女」→「曲げれえせん女」・「曲げれれん女」
「キミ犯人じゃないよね?」→「あんた犯人じゃないらねえ」
「冗談じゃない」→「馬鹿こいちゃかんて」
「暴れん坊ママ」→「なんしょ どたける おっかさ」
「大奥」→「馬鹿ひっこまったとこ」
*内容からイメージして
「1ℓの涙」→「だあだあの涙」
「働きマン」→「仕事好きな衆」(しごとずきではなくしごと、すき)
「斉藤さん」→「どがてえおっかさ」
「正義の味方」→「なんちゅうねえさ」・「ひょんきんなねえさ」
「あんどーなつ」→「いいとこまんじゅう」 これは強引過ぎるか。
「ちゃっきり節」というお唄がある。あれは駿河のお唄で歌詞の意味が遠州人には分からない部分が結構ある。それこそ肝心な「ちゃっきり」って何?ってな具合で。
そこで遠州の話しにすり替えてみた。ただし意味は繋がらないし字あまりなのであしからず。(本当は歌詞何十番もあるらしいがここは二番までで)
唄はちょっきり節 男は明善
華は凧揚げ 夜のお菓子は うなぎパイ
ちょっきり こっきり やっきりやあ
かえるぅ啼いたで 雨降るら
三ケ日蜜柑どころ 畑は緑どころ
あんねえ行かまい なんしょ行かすか 蜜柑もぎい
ちょっきり こっきり やっきりやあ
かえるぅ啼くだで 雨降るにい
ウィキペディアの「遠州弁」の記事でちょっとお遊びを。決して茶々入れるとかじゃなく単に遊んでるだけですのでお間違いなく。なんかね、自分の使う遠州弁と違うんでそれと比較してみようかなということですわ。遠州弁にも色々あらあなということですかね。
とあるウィキの例文
「はあ、いつまでもいらんこんしとらんでちゃっちゃとうっちゃりなや」
その訳は(もう、いつまでも余計な事をしていなくていいから、さっさと捨てなよ)
私としてはなんかざらつきを感じる。ざらつく所は「はあ」・「いらんこんしとらんで」・「なや」。
訳の文を逆に遠州弁に変換するとしたら私だったら
「やあたらたらしょうもないこんしとらんとを。はあええでちゃっちゃとうっちゃっちゃいな」
とするかな。んで、例文の遠州弁を共通語に訳すとしたら
「もういつまでも余計な真似していないでとっとと捨ててしまいなあ」
あたりかな。そんな大きな違いはないのだが、でも実際ウィキの例文にはざらつきを感じるんだよなあ私。
というのも必ずこうなるというものもないのであるが「いらんこん」(余計な事)「しとらんで」(してないで)と言ってるが大抵は「いらんこん」は「すんな」(するな)という制止である。
そこのところを例文では「しとらんで」を使い尚且つ「いつまでも」という言葉までついているのだからそろそろ止めろというニュアンスで暫し否定も制止もせず黙認してたことになっているところがね。まあ「いらんこん」に対して「やめよや」(止めろ)と締めず「やめなや」(止めなよ)と言うのもあれ?なんだけど、きっとおそらくこの人は物凄く懐の大きい人なんだろうなあ。
つまり「いらんこん」は「要らぬ事」であって「余計なお世話」とか「余計な真似」という意味で普通は使われてる気がする。余分とか無駄とか意味も無い事というのではなく明らかに迷惑・邪魔という事。だから他の要因とかがない限り普通は即制止するものであろうと。他の要因とはたとえば何らかの理由で我慢をして許容していたけどやはり(これ以上)言わずにおれず堪忍袋の緒が切れたみたいなとか席を外していて注意ができず戻ってきたらやっていたからとか。
なのでこの雰囲気では「いらんこん」は使わないように思えるので私だったら素直に「くだらん・しょんない・つまらん」・「無意味な・あほな・馬鹿な」などという言い方を使うかな。それで
「あんたねえ、うだうだしょんないこんしとらんで早くうっちゃっちゃいな」
とするかな。どうしても「いらんこん」を使うのだとしたら
「やあ見てんと思ってなにょうさっきいからいらんこんしてけつかるだあ。はあうっちゃれやあ」
「黙って見てりゃあいらんこんしてんじゃねえよ。へらへらしょうもないこんで遊んでんでちゃっちゃとうっちゃれやあ」
とかにすれば堪忍袋の緒が切れたみたいなニュアンスになってざらつきはなくなるかな。とにかく「いらんこん」を使う場合最後は命令調で締めないとどうも不自然な勢いと感じてしまう。でもそれだと例文「しとらんで」の説明の意味がなくなってしうか。
まあそもそもの例を「ぼ~っとしとらんで はしはしいごけんだか」とかにしとけばいいのにと思うのであるが。
他にも「はあ」と「なや」の使い方にもざらつきを感じてるんだけどそれで遊ぶと随分と記事が長くなるので結論だけでやんぴにしときます。
「なや」ではなく「なあやあ」か「なあや」の方がうちの衆らの感覚だとよく使われる。
「はあ」は「はあこんな生活厭!」という「もう」(最早)なのか「はあ三年経ったのか」という「もう」(すでに)なのかどっちなのかこの文ではよく分からぬ。
予めお断り申しあげおきますが、完全なるお遊びであって息抜き以外のなにものでもない記事であります。
最近テレビドラマで土佐弁をよく耳にする。土佐弁は個人的に好きである。遠州弁とどう違うのか妄想してみた。テレビからの土佐弁なので正しいのかどうかは自信はないし土佐弁のニュアンスが共通語と同じなのかも自信なし。
共通語→土佐弁→遠州弁の順で記載。
「どうして」→「どおいて」→「なんで」
遠州は「どうして」よりも「なんで」を好む種族だと思う。
「ちょっと」→「ちっくと」→「ちっと」・「ちょっくら」
「見てるから」→「見ちょるきに」→「見てるでえ」・「見てるで」
「やるぞ」→「やるぜよ」→「やるにい」・「やるでえ」
「何がだよ」→「何がじゃ」→「何がだあ」・「何やあ」
遠州弁だと男女に分かれ男なら「何がだあ」で女なら「何がよを」とかになる。男女共用だと「何があ」とかであろうか。
「そうだから」→「ほうじゃきに」→「そうだで」・「ほうだで」
「きに」という言葉は色々な意味使いで使われるのかしらん。「きい」という言葉も別種であるのかな。
「おぬし」→「おんし」→「おんしゃ」・「おんし」
「おんしなにゆうとるがじゃ」だと「おんしゃあなにょこいてるだあ」とかになるかな。「おんし」は遠州でも使うので違和感がない。
「あんた」→「おまん」→「おめえ・おんめえ」・「あんた・あんたあ」
「おめえ」は男「あんたあ」は女性がよく使う言い回し。「おまん」と言うのは遠州では言わないけど岐阜の郡上辺りでは使っていたなあ。これが名古屋辺りだと「おまあ・おみゃあ」になるんだろうかな。遠州ではとにかく言わない。
「~できない」→「ようせん」→「ようしん」・「よをやらん」
「ようせん」という使い手は遠州にもいるので親近感が湧く。
「何をいうのだ」→「何を言いゆう」→「何ゆうだあ」・「なにょこくだあ」
女性言葉なら「何ゆうよを」辺りだろうか。土佐弁は男女同じみたいだけど遠州弁は男女で異なる。
「するのかい」→「するがかえ」→「するだか?」・「するだあ?」
根拠がある訳ではないけれど印象としては土佐弁は「が」が多く使われる気がする。遠州は「だ」だけどそこんとこが違いと言えば違いなんだろうかな。
まああくまで言葉遊びなんですけどね。特に意味はございません。
*「きらしゃあせんようすごっくざくっとなんか」
多少強引ではあるが遠州弁である。これを訳すと
「綺羅シャア専用ズコック ザクと南下」
となる事は決してなく
「切らせはしないよ凄くザクっとなんか。」
という訳が正しい。
*「ですらあですらあいすかんだりせんですらあ」
ここまでくると遠州弁でもなんでもないどこの言葉なんだかであるが。これを訳すと
「デスラーデスラーイスカンダル星デスラー」
となる事は決してなく
「デスラーでさえ椅子噛んだりはしないでしょうなあ」
という訳が正しい。
*おまけで、次はぐでぐでの遠州弁を。ここまでくると他所の人では理解不能かなという文。男性言葉。
「あのばかっつうのせえで はあぱっぱらぱあんなって、そんで なんしょ だあだあに きぜわしくなってらんごかねえくて やっきりこいたもんで ほんとおこれてしょんない。 あったあきたで帰らすかな。」
(あの野郎のせいでもうしっちゃかめっちゃかになっちゃって、それでとにかく収拾つかない程の忙しさに追いまくられて雑然となっちゃったせいで気分が悪くて全くもって怒りすら湧いてくるよ。頭に来たから帰っちゃおうかな。)
「まあそをゆわすとを。時間までやらまいや。」
(まあそんな事言わないで。時間まではやろうよ。)
例文音声はこちら