遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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さむい さんむい さみい さあむい さぶい さんぶい 冷える う~冷える
ちべた つべた つんめた ちゃぶい ちゃっぷい どさぶい どっさぶい くそさぶい
くっちゃぶい ばかさむい がんこ冷える ど冷える さぶっ こおる しぬ
まあこれ以外にも「寒い」と伝える表現はあろうがきりがないのでこのへんで。この中でどれが共通語でどれが遠州独特なのかよく区別がつかないので思いついた限り列挙した。
「ひゃっこい」は寒いというより涼しいという夏場とかで使うニュアンスだと私は思っているので外しましたが、地域によっては「寒い」というニュアンスで使われるところもあるやもしれません。
「冬はぬくとい鍋で夏はひゃっこいそうめんがいいな」とかいった風に。
「ど」を使う場合は「さぶい」で「ばか」と「がんこ」を使う場合には「さむい」という言い方をする人が多勢という気がする。
浜松での寒さは風の寒さで、雪国のようなしんしんとした寒さはまず体感するようなことはない。なので厚着でというより風対策が防寒の基本であろう。
とにかく無音の静寂さの中でかじかみつつも背筋が伸びるような凛とした寒さではなく、やたらと屋根の軋みや窓打つ風の騒々しさの中での落ち着きの無い寒さなのである。そうそうはいないが寒さを「(風が)痛い」という表現をするポンポン乗りもいたりもする。
かじかむ、こごえる、いてつく とか言う表現は書き言葉で普段の会話ではあまり聞かない気がする。しばれる という他地方の方言もおちゃらけで使ったりするひともいるがまず使う地域ではない。
ただし、浜松といっても市町村合併でひたすら面積が広くなり山間部においてはこの限りではない。
暑いに関してはこれほどの言い表し方の量はない。
例文
「やあどっさぶいやあ。」
(うわ~凄く寒いなあ。)
「今年一番だって。」
(今年一番の冷え込みだってさ。)
「明日氷張ってたらわし来れんで休むでねえ。」
(明日の朝道路凍結してたら来れないんでよろしく。)
「ばかいっちゃかん。這ってでも来んとかんにい。」
(なに言ってるんだ。這ってでも来なきゃ駄目だよ。)
「冷たいじゃん。」
「だで一番の冷え込みだってゆってるじゃん。」
「いや、そおじゃなくて。」
以前にも書いたが浜松の平地近辺は朝氷が張ることはあるが雪が積もらない。もし雪が積もったら大抵のところは雪道の準備をしていないのでまあもろもろな事が停止して騒動になるだろうな。
「もういいでしょう」と言っている。
「いいら」で「いいだろ」、「いいらあ」で「いいだろう」と訳すのが自然な感じがする。
例文
「まだ3分たっちゃいんにい。」
(まだ3分経ってないよ。)
「湯ぅちんちんの入れただでちっとばか早くたってはあいいらあ。」
(沸騰気味の熱湯入れたんだから少し早めでももう食べれるだろう。)
多分に感覚的であり想像予想で物を言っている感じである。
これだけで記事が終わるのもなんか味気ないので、これを言い回しを代えて色んなバージョンを列挙してみる。するとこらしょとある。
「はあいいにい」(もういいよ)
「はあいいだあ」(もういいんだ)
「はあいいけえ」(もういいかい?)
「はあいいだけえ」(もういいのかい?)
「はあいいもん」(もういいよ)
「はあいいじゃん」(もういいじゃないか)
「はあいいの」(もういいの?)
「はあいいわ」(今更もういいよ)
「はあいいだか」(もういいのか?)
「はあいいだん」(もういいんだけど)
「はあいいだな」(もういいんだな?)
「はあいいだに」(もういいのに)
「はあいいたあ」(もういいとは)
「はあいいでえ」(もういいので)
「はあいいだら」(もういいんだろう)
「はあいいだもんで」(もういいんだから)
「はあいいだで」(もういいから)
「はあいいっけ」(もういいんだっけ)
「はあいいっけか」(もうよかったんだっけ)
きりがないのでこの辺で。
例文音声はこちら
もちろん全てが最初の例文での「はあいいらあ」に置き換えることは無理があり、それらに対して新たに例文と説明全部つけてたら今度は長大な記事になってしまうな。
間違っている訳ではないがざらつきを感じる言い回しというものがある。
「教室であだけちゃかんて」
「あだける」は「怒りに任せて感情を制御出来ず暴れ捲くる」もしくは「始末に負えないほどごねる」などという事なのでこれだと受けるイメージは教室はさぞかしな荒廃した修羅場である。ちんぷりかあるのバージョンアップしたものが「あだける」であり「騒ぐ」の質が異なる。
もっともその学級がすでに崩壊してての上の「あだける」であるなら相応しい表現ではあるが。だとしたらそんなクラスにはいたかあないところである。
「はしゃがないで静かにしましょう」と言いたいのであれば
「教室でくるってちゃかんにい」・「教室はくるうとこじゃないだにい」
などと言えばよいのではなかろうか。
遠州弁における「くるう」は共通語的な「狂う」とはニュアンスが若干異なり我を忘れて興奮する様を表わすもので「場をわきまえずはしゃぐ」というのに適している。
他には「ちょうける」という言い回しもアリではあるがこれは先生とかが言いそうな高い上から目線な感じがしないでもない。
「おどける」は遠州弁では「驚かす」という意味であるが「おどけてちゃかん」ということであれば「馬鹿な真似はやめなさい」という共通語的な使い方になるのでこれもアリではあるがあまり方言っぽくないので面白くはないところである。
例文音声はこちら
こぞむ・こどむ・こずむ。「こずむ」は辞書にある共通語だし競馬用語にもあるのだが「こぞむ」・「こどむ」は辞書にないので方言か俗語扱いかのどっちかであろう。遠州弁と言い切れる根拠もないのだがネットで調べる限りでは「こぞむ」と「こどむ」は遠州人しか発していないようだ。
「こぞむ」と「こどむ」は境界線が非常に曖昧で同じ言葉が集落によって変化した可能性もあるのといやいややはり別の言葉である可能性もあるというどちらもありえてはっきりしないのだが、あえて違いを捻り出すとしたらば(あくまで私見です)
「こぞむ」は例えるなら粉末ジュースを水に入れただけで掻き回していない状態。本来混ざりあっていてこそのものが分離してる状態で、下に沈殿してる部分を指す。「もっとちゃんとかきまぜない。下んとこにまだこぞんでるじゃん」
「こどむ」は例えるなら沼の水。混沌とした状態。「水がこどんでて底がよを見えん」。空気の循環が良くなくて息苦しいような時に「やあ空気こどんでるで入れ替えまい」などと換気を促したりとかで使う。「こぞむ」が「沈殿」だとしたら「こどむ」は「停滞・蔓延」といった体か。共通語であれば「淀む・澱む」(よどむ)もしくは「濁る」。
「こずむ」は「偏む」と書ける共通語。①心が明朗さを失う。②競走馬の筋炎や筋肉痛で歩行がぎこちない様を指す。③大勢が一か所に集まる。とネットの辞書にある。
地域性があるとすると、例えば異物がこびりついた様。膝をぶつけて血が死んで(内出血して)治るにつれて当初広くあおたん状態になっていたものが消えていく中でなかなか消えない(治らない)という部分を指す。とかを「こずんでる」と表現するとか。「大勢」というワードには当てはまらないが溜まる・おかしいという意味では②か③の意味使いに近いか?①の意は使わないなあ普通は「へこむ」を使うよな。
ちなみに「こづむ」だと古語辞典に①かいこづむ(つまづいてうずくまる・傾く)。②(肩などが)こる。とある。漢字は当てはめられてはいなかったので「こづむ」=「こずむ」(偏む)かどうかは定かではない。
繰り返すが「こぞむ」と「こどむ」の使い分けは非常に曖昧で上記に挙げた例を入れ替えても違和感がないくらいである。特に使い分けをしている訳でもないので同じ言葉が地域によって言い方が変わっているだけという可能性もある。私らんとこでは「こどむ」を多用していたのかもしれない。
「こずむ」については明らかに異なる言葉であり、たまたま音が近いということであろう。
意味的にも違うものであるがそれ以外にも「こぞむ」・「こどむ」は物に対してで「こずむ」・「こづむ」は人や動物に対して使うという相違点が感じられるところである。
例文
「見舞きたにい。どうでえ調子わあ。」
(見舞に来たよ。調子はどう?)
「いやあ大分よくなっただけえが、まだ足とかこずんでてはっきしせんだよ。」
(それがさあ、大分よくなっては来ているんだけどまだ足の辺りに違和感があってすっきりしてないんだ。)
「なんもしんと寝えってばっかでいるもんでだらあ。なんか部屋の空気がこどんでる気がするだで、それも良くないじゃないのけ?薬わあ。」
(なにもしないで寝てるだけだから治りが遅いんじゃないの?それとなんかこの部屋空気が良くない気がするからそれも原因なんじゃないの?薬は飲んでるの?)
「医者くれるもんで飲んでるよ。でもこれがさあ水に溶いて飲む奴なんだけどうまく溶けんですぐこぞんでこれが飲みにくいだっ。」
「口ん入れて後で水飲みゃいいじゃん。」
「それやるとすんげえ粉っぽくてむせるだよ。」
「まあなんしょ早くよくなってね。」
「うんありがとね。」
例文音声はこちら
「しよまい」より「しまい」。
「しようよ」と言ってる訳であるが、さてどちらがより遠州弁らしいかというお話し。
どちらも平素使われる言い回しであるが、傾向としては「しよまい」には名古屋・三河からの流れを感じるところであり「しまい」・「せまい」の方が独自性が強いように感じられるところである。
少し脱線するが、「まい」そのものが名古屋と共通してる感があり「まいか」とした方がより遠州弁らしくなるのではあるが。
「な。するかあ。そうしまい。」と言うのと
「な。そうしまいか。するらあ。」とでは勧誘の度合いが異なる。
遠州人にとって「まいか」と言われると拒否しづらく「まい」なら断りたい場合には躊躇はなしで拒否できる。
それと「しよまいか」という言い方は無い。
この2点から「まい」は「まいか」の略したものではなく別物という勘繰りが成り立つ。
で、話しを戻して「しよまい」と「しまい」。
ニュアンス的に訳すと
「しよまい」(しようよ)
「しまい」(するかあ)
「よ」が付く事によってニュアンスがどう違ってくるのか。あまり変わらない気がする。
じゃあ「よ」って何?助動詞の「よう」なんだろうな。
辞書引くと、①主体の意思を表す。「もう寝よう」。②相手に対する勧誘を表わす。「さあ、食べよう」。③婉曲な命令や希望を表わす。辺りの意味使いであろうか。
「まい」にもそういった意味合いが含まれてる勢いがあるのであえて「よ」は重複だから省いてもというか省いた方がくどくなくてさっぱりする感じがするけどそう考えるのは遠州人だけなんだろか。
「する」でなく「行く」とすると
「いこまい」
「いかまい」
という違いになるのであろう。こうするときっちし違いが出てくる。「いこまい」は遠州では滅多に使わない言い回しである。
「まい」ではなく駿河の「ざあ」に置き換えてみると
「いこざあ」という言い方は存在しない
「いかざあ」は存在する。
おそらくはやはり「しよまい」は遠州弁的にいうと外来種(名古屋辺りからの)で「しまい」がもともと遠州にあったものなんだろうかなと。意味的に違いはないし使い分けのルールがある訳でもないので共に並び立つという感じで存在してるということなんだろうか。