遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「やらまいか」を論より証拠的なまず行動という前向きなニュアンスで「(とにかく)やってみようじゃないか」と訳すのは遠州人からすると違和感を感じる。実はそんな大層な言い回しではないぞよと。
まあ、最早浜松精神のシンボルに祭り上げられているからそれを否定してもせんないことではありますしそんな意思もないところでありますが。とりあえずは実用としての「やらまいか」を説明しておこうかと。
「やってみようじゃないか」は「やってみまい」・「やるかあ」であろう。
以前にも記事にしたが「やらまいか」は「やろうよ」であって、全国に広がっているごちゃごちゃ抜かさずとにかく動こうという叱咤激励ではなくて俺もやるから君もやろうという勧誘の表現である。つまり「やらまいか」と言っておきながら「じゃあ行ってらっしゃい頑張ってね」とかいうあんた頑張る私応援とかいう事になると「嘘つき」と呼ばれる事になる。
「雨もあがっただでそろそろ続きやらまいか」という使い方であって
「ごちゃごちゃこいても始まりゃせんだでなんしょやらまいか」というよりも
「ごちゃごちゃこいても始まりゃせんだでなんしょやってみまいや」という方が自然である。
ちなみにやって「やろうじゃないか」という言い方は他にもいくつかあって
「やってみすか」
この場合のニュアンスは「試しにやってみようじゃないか」というものである。
「やったるにい」
この場合は「代わりにやってあげようじゃないか」というニュアンス。
「やったらあ」
の場合は「俺がやるからいいよ」というのと、言った手前後には引けぬ状態での「いいよ俺がやるよやりゃいいんだろ」という宣言っぽい二通りが考えられる。
ちなみに以前にも説明したが「やらまいか」と「やらまい」の違いは
「まいか」が勧誘で「まい」が軽い強制である。
普通は「じゃあ」の表記で一本化されてるところであろうが
「ぢゃあ」と「じゃあ」は存在していてそれぞれ使い分けがなされているのではないかとふと思ったので記載。これが遠州弁独特なものなのかは定かにあらず。つうか共通語だろうかなやっぱ。でもせっかく書いたので記載。
「ぢゃ」と発音するには口を広げなければならず表情としては笑顔で口角が上がるのに近いものになる。
そういう事に因果関係があるのかは定かではないが
「ぢゃあさあこうしまい」だと「それならこうしようよ」と新規の提案という勢いと感じられたりする。
「じゃあさあこうしまい」でも「それならこうしようよ」と訳は同じであるが折衷案というか妥協案というか落としどころを考えてのという勢いに感じられる。
他には「ぢゃあね」。別れの際の言葉であるが「じゃあね」よりもこちらの方が合ってるような気がしないでもない。
ネットで「遠州弁」をキーワードで検索してたら以下の説明がなされているとこにヒットした。
「形容詞 形容動詞の形容詞化」一部の形容動詞の末尾に、形容詞を形成する接尾辞「い」を 付加することによって、形容詞化する用法がある。例:「横着い」(=「横着な」)、「 上手(じょうず)い」(=「上手な」)、「丈夫い」(=「丈夫な」)。
以上。確かにっと思う部分も有り、いやさ待ちやいという部分も是れ有り。
「横着い」は聞いたことも使ったこともないのでここではパスしていくつかの例文を訳してみると
「ほれみい丈夫い服だらあ」(ほらご覧なさい丈夫な服でしょう)
「あれあんた上手いじゃん」(おやあなたうまいじゃない)
「丈夫いで着てみない」(丈夫だから着てみなよ)
「あの人上手いでやってもらいない」(あの人上手だからやってもらいなよ)
と訳するのが違和感がないところである。
こういう風に並べていくと「い」=「な」と説明するのは「?」があるかや。
多分「デブい」とか「今い」・「ナウい」の遠州弁版ということを説明されてるんだろうけど実際の使い方に当てはめようとするとあまりの無法地帯であるがために無理がどうしても感じられるんだよな。
上記の例文は
「丈夫な服だらあ」
「上手な人じゃん」
「丈夫な服だで」
「上手な人だで」
といった風に実際に使ってる感覚的でいうと「上手な人」とか「丈夫な物」とかで「~なもの・ひと」と言うべきところを「い」を使った場合「人・物」は省略して言うことになるとかいう条件を付けておくなどでないと「い」=「な」を説明するには厳しいものがありそうだ。
でないと「丈夫いで着てみない」の訳は「丈夫なで着てみなよ」となって「?」ってことになりかねない。
もしくは「な」ではなく「なの」とすべきか。
追記
これはどこぞのホームページにあったけものだけどウィキペディアの遠州弁の項目の中に全く同じ文章があったのを後で知った。やっぱ転載は明記しとかないと自分(HPの管理人)が講釈垂れてるように思われかねないので出自は書かないといけないよな。
でもそうすっとあれか?この記事ってウィキに異論唱えてるって事になるのか?まあウィキは理屈で自分は現実というフィールドが違うということで決して楯突いてるつもりはござんせん。と言い訳こいとこ。
なんしょ現実はだあだあだもんでねえ。理屈で縛れんことあるだよを。
つらつら考えるに「だで」は「だもんで」の略形などではなく全く別の似た言葉なのではなかろうかと。
共通語に訳さば
「だで」は「だから」。「だもんで」は「なもので」。とするのが違和感がない。
しかしながら
「だからいけないんだろ」という言い方はあるが「なものでいけないんだろ」という言い方は不自然であるのだが
「だでかんだら」・「だもんでかんだら」共に遠州弁では違和感は感じないし意味的にも違いがある訳ではないという現実。
こうなると「だもんで」の訳が「なもので」では的を得ていないということになってしまう。
実際「だでかんだら」・「だもんでかんだら」どちらも「だから駄目なんだろ」という意味合いで遠州人は使っておりその違いはちゃんぽんであり曖昧である。
使いどころとしてどういう時に「だで」で「だもんで」と使い分けているのかと問われると
「だでだら」(だからだろ)と「だもんでだら」(だものだからだろ)どちらを使うかといったら「だもんでだら」でその訳は「だからだろ」という事になってる。かように一部使い分けは存在するが混在してる使い方の方が随分と多い。
つまり別物とする根拠が見つからない。となると別物という考えは愚案ということになるのだが、なんか違う気がするんだよなあ。
例文
「なあんか上手くいかんと思ったら部品一個はめ忘れてたやあ。」
「だでゆったじゃん。ちゃんと確認しときなって。」
「だもんでゆったじゃん。ちゃんと確認しときなって。」
感覚としての違いは後の祭りというか「だもんで」の方が随分前に言ったという印象が湧く。それに対して「だで」はさっき言ったみたいなホカホカな印象が湧くところである。別の違いを考えると
「あれほどゆっただにだでそうなるじゃん。」
(あれほど言ったのにしないからそうなるんだよ。)
「あれほどゆっただにだもんでそうなるじゃん。」
(あれほど言ったのにしないもんだからそうなっちゃうんだよ。)
訳は直訳ではなく大分飛躍したものであるが、「だで」を使うと明確に失敗な結果だと断じているような勢いになり「だもんで」を使うともっと結果を分析してるかのようなゆるやかなたしなめといった勢いになると感じられる。つまり強く言う場合は「だで」それより弱めに言う場合は「だもんで」という違いがあるように思える。くらいか。
「だで」と「だもんで」は別物か?の記事でコメントを戴きまして(ありがとうございます)
「だで」は結果に重点が置かれ「だもんで」は原因に重きがいっているという違いがある。というのはまさにその通りでありまして
「そんなんだでかんじゃん」
(そんなだから駄目なんじゃない)
「そんなんだもんでかんじゃん」
(そんな有り様だから駄目なんだろう)
という違いは明らかにありますな。ご提案感謝いたします。
他にこういう説明の方がいいのかなと気づいた事としては
「だで」は言い放ちの指摘できつく聞こえ「「だもんで」は~なんじゃないのか?という風な同意を求める和らげた言い方という違い。
「だでかんだら」(だから駄目なんだろ)
「だもんでかんだら」(だから駄目なんじゃないのか)
という違いを感じる点もあろうかな。
まあ、実際のところは違いを意識して使い分けてる事は少なくほぼその人の性格(言い切りたい人とぼやかしたい人)とかに沿ったどちらかの言い方を選択してるところであるように思えるところです。言い方によっても結構強弱はつけられますし。
それに「だでかんだら」という言い方をよくする使い手が普段通りに言い切るにはどうもというような際には「だでかんだら。そう思うよを」と付け加えるとかで対処するようなことをして強弱を調整している事も多いと思われるところです。
それと「かん」につきましてはちょっと地域特性を感じましたので、そのうちまた新たな記事として起こします。(興すと書くにはおこがましいので)
原住民でいる限り当たり前すぎて地域性に気づかない点もたくさんあります故、外にいるからこそ気づくみたいな点がございましたら今後もお教えくだされば幸いです。