遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「違う」を「ちゃう」と言うのは遠州では使う人も稀にいるが遠州弁としては使われない言葉である。
「ちゃうがな」・「ちゃいまんねん」とくれば関西の言葉と判断してしまう。
「ちゃうわあ」となると東海辺りでも言いそうな気がしてくる。
「ちゃうにい」となるとどうだろう。「にい」は遠州弁っぽいのだが「ちゃう」は遠州では使わない筈なんだけど。ミックスという表現なんだろうかなと思える。
モロ遠州弁ではどういかというと「ちがうよを」(語尾が上がるよを)であろうか。
「ちゃう」にあまり違和感を感じなくなったのは関西漫才をテレビでよく視たというのとテレビかなにかで「チャウチャウ犬」と関西弁の「ちゃうちゃう」を掛けてなんかギャグにしてたのが遠州にも知れ渡り浸透したとも勘繰られるところである。
ちなみに遠州で「ほうでっか、ちゃいまっか、えろうすんません」とかな具合だと意味は理解できるが「そうですか、違いますか、大変失礼しました」というニュアンスではなく「ああそうですか、違うのですか、悪かったですねえ」といった勢いに聞こえ感覚の行き違いが生じる事が多々あろうかと。
このそう聞こえるのと同じニュアンスでの遠州弁だと「そうけえ、違うだけえ、悪かったやあ」といった感じであろうか。
「悪かったやあ」より謝ってる度合いが強いのは「ごめんね」・「ごめんな」であろうか。尚、「悪かったやあ」と「悪いやあ」ではニュアンスの違いがあるのだがそれはまた別の記事で。って「申し訳なかった」と「申し訳ない」という違いみたいなものだが。
共通語での謝るのニュアンスに近くするには「え~?ほんとにい、いやあほんとごめんね、申し訳なかったやあ」とかになろうか。ってこっちも大して頭下げてる感じには受け取られないだろうがとにかくこのように他の地域の人に誤解を与えやすいというのが方言なのであるから致し方ない。普段はこういう場合方言を排除した言い方にしているものである。遠州弁は謝るとかの言い方が存在しない不遜な方言なのではなく誤解を避ける為使わないということであろう。ただし使わなければ廃れていき受け継がれなくなって遠い将来遠州弁にきちんと謝る表現が存在しなくなるという可能性はあろう。というか既になくなってるのかも。
「まい」と「まいか」を取り上げるのがこれで何度目かというのを数える気すら湧かないくらい記事にしているところだが、何故かまだ述べ足りないというか言い方を変えての説明をすることが出来る。それほど奥が深いというか一筋縄ではいかないというか。
「まい」を「いこう」。「まいか」を「いこうか」として訳す(置き換える)ことができる。
「濡れていこう」→「濡れてかまい」
「濡れていこうか」→「濡れてかまいか」
といった風に。さらに共通語の方を略して
「濡れてこう」・「濡れてこうか」としたほうがより「まい」と「まいか」の言い方に近くなる。
ただしこのように変換できるというのであって上の例文での共通語と遠州弁とのニュアンスが同じものかというとそうではないとこがややこしい話しではある。実際共通語でのニュアンスを遠州弁にすると
「濡れていこう」→「濡れてきまい」・「濡れていこうか」→「濡れてきまいや」・「まいね」・「濡れてくかあ」
「濡れてこう」→「濡れてっか」・「濡れてこうか」→「濡れてかっか」・「濡れてきまいに」
とする方が自然であり「まい」・「まいか」を使うと改まってなんだよという感じになる。つまり
「濡れてかまい」→「濡れていくことにしよう」
「濡れてかまいか」→「濡れていくことにしようじゃないか」
と訳すとしっくりくるのではなかろうか。よそよそしいとまではいかないが距離をおいた言い回しに聞こえるところである。
他の地域の人からみたら「まい」・「まいか」は変に馴れなれしく聴こえるものらしいが、どっこい当の本人達からしたらどちらかといったら改まった言い方と聴こえる。
それが「まい」と「まいか」である。という一面もあるのである。
この番組を視たという人でなければ分からないかもである書き方をするが、とにかくなんしょ竜洋の衆らが映っていた。はっきしゆってみんな「ひょんきん」な衆ばっか。でもモロ遠州人。これぞって感じがしてくるだいね。まあとにかく笑えた。
ゆってる言葉(単語)はそんな方言こいてる訳じゃないけど絶対共通語じゃない。このビミョーさが遠州弁なんだよな。
語尾に付く「だ」・文中に大抵挿まれる「もんで」・「だもんで」とかいった遠州弁独特の表現はあったけどそれ以上にイントネーションと言い回しだよな。そうそう「やらしい」も出たな。
「だ」。番組内では「いや(自分は)生で食べた事ないだ。」と使われいた。この「食べた事ないだ」というのは「食べた事ありません」(食べた事ないです)というニュアンスよりも「食べる事はないです」(食べる事はしない)といったニュアンス。ちなみに「食べた事ありません」というニュアンスは遠州弁では「食べたこたあないわ」・「食べるこたあしんわ」とかであろうか。「食べたことないだ?」と語尾を上げて疑問の形にすると「食べた事ないんですか?」といった風になる。他にもイントネーションの説明が難しいので説明はパスするが言い方によっては「ふ~んあんた食べたことないだ」で「へ~食べた事がないんだあ」ともなる。「だ」だけでもかようにバリエーションがあるもので多分これ以外にもあるだろうな。
イントネーションについてはこればかりは文字では表現できない。
言い回しについてはなんとか写し取っていきたいものだ。
例えば番組でうなぎの幼魚獲ってた人の言い回しなんかホント遠州弁らしいものだったなあ。「獲れるかなあ・・・無理だな。」といったパターンは「そう思わん?・・・思うらあ?」といった遠州弁でよく使われる反語(もしくはもどき)の形態である。
自問自答でなくとも
「買い行かんだ?行くかあ。」
「いや止めとく。」
「なんでよをいいじゃん行くかあ。」(なんで行かんよを行くかあ)
とかも反語もどきの範疇に巻き込んでしまえばの話しであるが、こういう言い回しが遠州弁らしくなるポイントであろう。
言葉の並びも独特なものがあろうな。番組では顕著なのはなかったけど例えば
「今買い物に行ってきたところ」というのを遠州弁だと
「今行ってきただ、買いもんしにい」とかいう風になる。
こうしたものをきちんと拾っていけたらいいな。当たり前すぎて気にも留めてないから気付くのは多分無理だろうけど努力はしよう。
なんしょわたしんやれるこん。(今、わたしにできること。)
使ってんののコンセント抜いときまい。(使っていない電化製品のコンセントは抜いておこう。)
しょうもない電話とかメールとかは控えるかあ。(無駄な通話やメールはひかえよう。)
デマに踊らされるなんてあんた馬鹿のするこんだにい。(デマに惑わされないようにしよう。)
必要な衆んとこに行くようにしにゃかんらあ・やたらくしゃ直ぐいりもしんの買うなあよしなよを。(必要がないのに買うのはやめよう。)
あれだにい皆でやりゃあがんこになるにい。(みんなでやれば大きな力に)
当初フリップの表示だけだったものが有名人さんがフリップを持って口頭でも訴えるというのが追加された。
種類を増やす策ということで各地域の方言バージョンとかあればもっとバリエーションが豊富になるんじゃないかとふと思えた。
そこで私なりにいたって真面目に遠州弁バージョンを考えて見た。いかんせん遠州弁は舐めた物言いと聞こえるかもしれないが努々おふざけしたる意図に非ぬ由。
「泣きよう」。なんかいいよね。ほっこりしてくる。細かいニュアンス分からんけど。
テレビの情報番組で、福岡から上京する人と見送りに来た人の会話の模様が映しだされていてのその会話の中の一フレーズ。
共通語に直すとなんだろね、あの雰囲気から推察するに「泣くの?」・「泣いちゃうの?」・「泣くのかい」・「泣いてるの?」・「泣くんだ」・「泣いてる」とかが思い浮かぶ。
つまりよを分からんその細かいニュアンスが。「泣きよう」の連呼で言い合いになってたけど多分それぞれニュアンスが違ってるんだろうな。
状況をもう少し細かく説明すると、バス停にてもうすぐお別れでしんみりした雰囲気になりかけた頃に旅立つ人が見送りに来た人を見て「泣きよう」と発す。そしたら違う違うという素振りを見せながら今度は逆に見送りに来た人が旅立つ人に「泣きよう」と発す。そしてどちらも「泣きよう。」・「泣きよう」と指さしあいながら言い合うことによってしんみりを吹き飛ばすという様であった。
もっと具体的に書けば2011・4・4のめざましテレビでの「新人女優・大野いと15歳の旅立ち」という中での一シーン。丸写しすると
A「泣きよう?」
B「・・・・・?」
A「泣きよう?」
B「泣いてないから。」
A「泣きよう、泣きよう・・・」
B「泣きよう、泣きよう・・・」
この状況を遠州弁に置き換えてみるとどうなるんだろ。(注、少しいじらないと伝わらないので上と同じになってはいない。)
A「あ~泣くだ?」
(泣いてるの?)
B「なにゆってるよを、ちがうよを。」
(そんな訳ないでしょう。違うよ。)
A「泣くだ?」
(泣くの?)
B「そっちこそ泣くだ?」
(そっちこそ泣きそうでしょ。)
A「泣いてるらあ。泣いてる泣いてる。」
(泣いてるでしょう。絶対泣いてる。)
B「そっちこそ泣いてる泣いてる泣いてるにい。」
(そういうあなたこそ泣いてるでしょうに。)
とかになろうかな。たとえ同じ15歳の若さで発しても博多弁?ほどには可愛げが出ないな。まあおっさんが考えるには限界もあろうけど。
とにかくこう解釈いたしました。博多弁の使い手さんとかからそんなニュアンスじゃないぞというのであればごめんなさいです。
それにつけても博多弁?畏れ入る。「泣きよう」ひとつでこれだけバリエーション豊かに表現出来るとは。
いずれにしても方言はやっぱいいな。同郷故の心緩やかさが解放されてるようで。
違うお国同士での、例えば片や博多弁こなた遠州弁で話すとかだと会話が成立しないから共通語の存在は重要だけど。
英語やらなんやらに力入れるのもいいけど二か国語を話すとなれば外国語と日本語というよりも自分のところの方言と共通語とをマスターした方が心にはいいような気はするな。