遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
遠州弁関連
「おおぼったいのです」と「はれぼったいのです」
と言われたらさてどうする?
レベル 日常茶飯事(ただし一部廃れつつある) 男女共用。
どちらも具合が悪い事を伝えている訳で、症状が重い時などでニュアンスを勘違いしたんじゃ済まされなくなることもあるだけにその違いは素通りできないものかもしれない。
と言っても、必ずしもこうであると決めつける根拠が無いので断言する事は出来ないがこういうものではなかろうかというのを人づて・ネットづてで聞いている。以下はあくまで推察であるので、誰か正解を教えてくれないものだろうか。
「おおぼったい」
むくみがあると言っている。ただし「ぼったい」は「気味」とうことであり「むくみ気味」もしくは「むくんでるっぽい感じ」とかいうものである。
尚、「体がだるい」・「体が重い」という意味で使われる事もあるそうな。これについては「はれぼったい」との関係性がなさそうなので今回は参考までにということで。
「はれぼったい」
腫れている。これも「ぼったい」なので同様に「腫れ気味」・「腫れてるような感じ」というものである。
ちなみに「はれぼったい」は「ぼったい」を取って「腫れてる」という言い方が出来るが
「おおぼったい」は「ぼったい」を取っての「おおてる」・「おおぼる」などという言い方は無く「おお」ってなんだ?と言われてもそれは分からない。
想像を巡らせるならネット辞書で「凡」(おお)の意の中に「ぼんやりしている様・ほのか」というのがあり「ぼんやりとしている」感じを指すのではと勘繰れる。瞼がむくんでぼんやりとしか見えないとか触ってもぼんやりとした感覚でしかないとかを指すのではなかろうかと。ま、あくまでも想像ですので。以前の記事では「負う」(傷を負うとかの負う)じゃないか?と考えたりもしたがどっちもどっちで説得力は薄いわな。他にも「覆う」・「被う」とかの「おおう」で「おおう」+「ぼったい」=「おおぼったい」とか。
想像はともかく「むくみ」と「腫れ」はどう違うのかというのを辞書で調べると
「むくむ」(病気などのために)内部に水分がたまり、からだ(の部分)が一体にはれた感じになる。名詞で「むくみ」。{浮腫むなどと書く}
「はれ」腫れること。
ってこれじゃよく分からない。これだけだと言葉的には「はれ」と「むくみ」に大した違いはないと思えるところ。
ネットで検索してみると、むくみは痛みを伴わない腫れを指すというのがあった。
お医者さんじゃないのでよくは知らないがこの違いは時として原因が違うこともあるらしく、治療するに於いては結構随分な違いらしい。
実際使ってる感覚からこの違い(使い分け)を考えると、いくつかのパターンが考えられる。
1.痛みの有る無しで使い分けてる。
痛み等の異常は感じていないが軽度の腫れ(むくみ)を感じるのが「おおぼったい」、痛みを伴って腫れてるが痛み等我慢できる範囲の様を「はれぼったい」、難儀な状態に至ってる(痛みが気になるなど明らかにおかしい)様を「はれあがる」・「はれてる」と使い分けている。
ただし痛みがなくても赤く腫れ気味な場合には「はれぼったい」を使う事が多いので厳密な使い分けではないのかも。
2、痛み云々とかではなく視認で使い分けてる。
赤く腫れてるような目で見て異常と分かる様を「はれぼったい」、見た目は特に異常は感じられないが腫れてる感覚がある様を「おおぼったい」と使い分けている。
この場合、痛くても見た目普通なら「おおぼったい」を使い、痛くなくても見た目がおかしいのなら「はれぼったい」を使うということもありうる。
つまり程度で軽度が「はれぼったい」でそれよりもなお軽度なものを「おおぼったい」と言うという使い分けてるとも言えそうである。
3、どちらも同じとして使い分けを特にしていない。地域によっては「おおぼったい」は使わず「はれぼったい」のみを使うというところもある。
例えば寝起きのむくんでる顔を見て「えらいおおぼったいじゃん。きんのうがんこ呑んだだらあ。」と言うか「えらいはれぼったいじゃん。きんのうがんこ呑んだだらあ。」と言うか。二日酔いの顔に対して「はれぼったい」を使うようなら3の使い方の人であろうし、「おおぼったい」という人なら1か2の使い手と想像される。
いずれにせよ「おおぼったい」を使う人は「はれぼったい」と使い分けをする人であることは確かであろう。なんでもかんでも「はれぼったい」と発する人は「おおぼったい」は使わないことも確かであろうか。って言い切るのはまずいな。そういう傾向にあるという事にしとこう。
ちなみに自分らのとこは3のなんしょ「むくみ気味」も「腫れ気味」も「はれぼったい」で通しゃいいだあという傾向であった。なので以前の記事においてはその違いはよく分からんとしたがちょっくら調べてるうちにこういう違いがあるように思えてきたので追記事とした。
遠州弁関連
「旨い」を「うみゃあ」とは
遠州では言わない。
レベル 初級レベル
以前にも書いたと思うが再び。
「旨い・美味しい」を「うみゃあ」と発する。
これは名古屋の言い回しだと普通は思うところであるが、岡部町の雄「中山儀助」氏がテレビで「うみゃあ」を連発している様を視る。岡部町は藤枝市つまり駿河に位置するものでこのことから推察するに名古屋と駿河で発せられる言い回しであるようだ。(もっとも旧志太郡とか旧榛原郡とかは方言的には駿河と遠州の中間的な別エリアと考えられなくもないが)
三河で言うかは定かではないが少なくとも遠州では言わないものである。
何故遠州を飛ばして東西で言うのか、というかなんで遠州では言わないのかというのが不思議である。そしてその謎は解明されていない。
もっともうちらも言いたいという訳では無く、感覚的に「うみゃあ」なんて言うのにはとても抵抗感を覚えるものである。
遠州弁で「旨い・美味しい」と言う場合は
「どんまい」・「どうまい」というのが普通である。「うみゃあ」に近い言い方としては「うまいやあ」となろうか。
「ばかうまい」は褒め表現であるよりも感覚表現であり人に伝えるものが微妙に異なる。まあニュアンス的には「どうまい」じゃなく「ばかうまい」の方が「うみゃあ」は近いのかもしれないが。
いずれにしても例えば勧める際の「これ、旨いから食べてごらんよ。」というのを
「これうみゃあで喰ってみい。」とは遠州では言わない
「これ喰ってみい、ばかうまいで。」・「これ喰ってみいに、どんまいでえ。」とかになる。
「これ喰ってみいうみゃあで。」と遠州弁らしい並びに置き換えたとしても言う事はない。
次に感想を発するという際の「これは美味しいや。」というのを
「こいつぁうみゃあ。」とは言わない。
「やあどうまいにい。」とか「こればかうまやあ。」などと発するな。
遠州弁関連
完全な個人的意見。
「こてこてな遠州弁」という言い方。
「こてこての大阪弁」と言うにおいては違和感ないが
「こてこての遠州弁」と言われると違和感これしきり。
自分が言うとしたら「だあだあの遠州弁」。
普通なら「ぐでぐでの遠州弁」とか「どぎつい遠州弁」とかかな。
でもやっぱ「遠州弁丸出し」って方が一番らしいよな。
「こてこて」って関西特有の表現かというとさにあらずのようで
辞書とか引いても地域性を感じられるものではない共通語みたいである。
にも拘らず「こてこての東北弁」とか「こてこての遠州弁」とかいうのは違和感があるのは何故だ。
別に「こてこて」というのは遠州においても厚塗りとか濃い目かという意味合いで使われている決して使わないという言葉ではない。ただ「~弁」については「こてこて」は大阪弁・関西弁しか相応しくないと感じる次第。
方言の度数の強さを表現するのに「こてこて」を使うのは誰かのアイデアによるものでそれは関西の人が考案したアイデアなんだろうかなとも思える。江戸の「ちゃきちゃき」もそれに近い感じがする。
したがって関西弁以外の方言で「こてこて」を使うのは某国の新幹線のようなパクリということになるやもしれぬ。と個人的意見。
よってオリジナル性を出す為に「こてこての関西弁」に対抗するには「だあだあの遠州弁」というフレーズとしてみるのはどうだろうか。というのも個人的意見。
話し変わるが「きつい遠州弁」もしくは「遠州弁がきつい」という言い方。
実は遠州人と他国の人では受け取る意が違うのではと思えてしかたない。
「きつい」というのが味噌で、共通語というか辞書では、①相手に弱いところをみせない様子(つまり強気ということなんだろう)。②相手を容赦するところが無い様子(多分横柄ということなんだろうな)。③窮屈でゆとりがない。
③の意は外すとして、とにかく「きつい」というのは強気で横柄という解釈で他国の人にとられるんだろうな。
しかして遠州人においての「きつい」は「訛りがきつい」とかいう意味合いの「きつい」であって喧嘩売ってるかのようだという意味ではないのである。
そういう誤解が生じかねないだけに極力「きつい遠州弁」という言い方は地元民としては避けるように努めたいところではある。
遠州弁関連
広い地域で使われていそうで遠州弁とは思えないが
遠州ではこういう使い方をしているというのを記載。
「うんもすんもない」とは問答無用といった意味のものである。議論・反論・選択の余地なしでもおかしくは無い。(辞書には「うんもすうも無く)と書かれてあったが遠州では「うんもすんも」である。)
「うんともすんとも」は反応がない様を表わしたものである。
ということでこのふたつは似て非ざる言葉である。
だから「うんともすんとも言わない」という言い方は有っても「うんもすんも言わない」という言い方は無い。「うんもすんも言えない」なら「なんにも言えない(言い返せない)」ということで有るであろう。
普通は「うんもすんもない」だが「ない」を抜いて「うんもすんも」という言い方をするかというと「うんもすんも言わせん」とかいう使い方が考えられるので有るといえようか。
似たような言い回しとしては使いどころは違うが「否も応もない」・「どうもこうもない」というのが考えられる。「どうにうもこうにも」となるとちょっと違ってくる気がする。
例文
「なんでこんなことしんとかんよう。あほくさい。」
「上がやれっつっただでうんもすんもありもしんに。」
「上がゆやあなんでもハイハイやるだか?」
「だでゆってるじゃん、うんもすんもないって。」
遠州弁関連
「ひょうきん」と「ひょんきん」は異なる(使い分けされてる)ものである。
レベル 日常レベル
「ひょうきん」と「ひょんきん」は元は同じであろうが使い方と意味するものが異なる別の言葉として遠州では存在している。
「ばかひょうきんやあ」。ニュアンスで訳さば「信じられないことするよな。びっくりしたよ。」といった感じであろうか。
「ひょうきん」は道化っぽいおちゃらけた印象を与える突飛さを表わしている。
「ばかひょんきんやあ」。ニュアンスで訳さば「あんなことありえないだろう。おかしいぞ。」といった感じであろうか。
「ひょんきん」には意外・驚き・呆れた・理解しがたいといったニュアンスが含まれるものでおふざけといった勢いは薄い。
「ひょうきん」は洒落になるが「ひょんきん」は時として軽蔑になる。
辞書には
「ひょうきん」(剽軽)気軽で、こっけいな事ばかり言ったりする様子(の人)。とある。
遠州弁に於いては言動のみならず行動などに対しても「ひょうきん」を使う。
「ひょんきん」に於いては言動というよりも態度(物言い)・行動を主に指す事が多い。
常識から外れた事をするといった事に対して「ひょんきんだ」と言うものでありその殆どは和を乱す結果になる事が多い。従って「ひょんきん」と評した事には非同意というか批判的なニュアンスが多分に含まれるものである。
そういう意味では許容範囲内の事なら「ひょうきん」で笑って済ませれるが範囲外の事なら「ひょんきん」で笑って済ませられないと暗に言ってるともいえようか。
「ひょうきんな奴」なら面白い奴であるが「ひょんきんな奴」だとおかしな奴もしくは変な奴という違いが出る。
音声はこちら
余談だが、以前の記事で「超自己中」を「きちがい」と言いそこまでのものではない「自己中」・「異様」を「ひょんきん」と言うこともあると述べたのだが、その当ブログの記事を参考記事として「きちがい」の語の説明をされてるところがあった。そこでは「ひょんきん」であるべきところが「ひょうきん」に替わってて、それだと間違い(現実に即していない)となる。「ひょんきん」でなければならないのだが他国の方には「ひょんきん」は「ひょうきん」とは違うのだというのが理解出来ないようで、改めて方言を説明するのは難しいと思える次第。
大いに強引ではあるが突飛の度合いでいけば「きちがい」>「ひょんきん」>「ばかじゃん」>「ひょうきん」といった感じになるということである。「きちがい」と「ひょんきん」の違いとしては二度と関わりあいたくないのが「きちがい」で「ひょんきん」までなら関わりを避けたいという程ではないという意識の違いがある。