遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
遠州弁関連
どちらも「けえ」を使うがこれは同じか別物か
レベル 個人的感想
「出来たけえ」とかであろうか廣島の「けえ」。「出来たから」となるのであろうか。訳す際「けえ」=「から」・「ので」ということになるのであろうか。
遠州弁で「出来たけえ」だと「出来たかい?」。訳すと「けえ」=「かい」・「のか」。
ちなみにウィキの廣島弁にある例を遠州弁にすると
「今度こうたるけえ」→「今度ん時買っちゃるで」
「今から行くけえの」→「今から行くでねえ」
「怒らんけ、ゆうてみい」→「おこりゃへんでゆってみい」
「わしゃ悪じゃけん」→「わし悪だもんで」
といったものになり、「けえ」にはならないとこをみると別物のような気がする。
先にも述べた「から」・「ので」は遠州弁では「だで」もしくは「で」がそれにはまる。よって
「今度こうたるけえ」→「こんだ買ってやるだで」もしくは「買ったるで」
「今から行くけえの」→「今から行くでや」・「今から行くでねえ」
「怒らんけ、ゆうてみい」→「怒らんでゆってみいに」
「わしゃ悪じゃけん」→「わし悪だで」
というのがはまりはする。
だとすると廣島弁の「けえ」は遠州弁に於いては「だで」・「で」に置き換えられる事になる。ホントかよ。嘘くさい論法だ。もうちっとましな屁理屈浮かばないかな。
まあ仁義なき戦いからでしか廣島弁を聞いていないんだから屁理屈こねるにしても知らな過ぎるから無理かあ。
少なくとも遠州弁の「けえ」と広島弁の「けえ」は同じとはいえないようではある。
なので言葉遊びで「Kは軽じゃけえけえ」(Kの奴は「軽(自動車)なので」と言ってるんかい)とか「けえ」の連発が可能ということになる。
遠州弁関連
初めて聞いた言葉
「ちょびい」
そは遠州弁や否や
レベル 奥が深いなあレベル
深夜に「方言彼女」なる番組をたまたま視聴した。全くの偶発なので録画とかしてないのでいつも以上に曖昧な記憶を辿っての記事であるが。
各地方の女性がお国ことばを駆使して模擬デート等を繰り広げたり方言を説明したりする内容の番組だった。で、その中に「静岡」という括りでのお国ことばも提示されいたのであるが。
「ちょびい」。これってなんだ?初めて聞いた言葉だ。「静岡」でも駿河の言葉なんだろうか。番組では「うざい」という意と説明されていた。「ちょびくないら」とかも言ってたよな確か。
遠州弁の傾向からしたら「ちょんびい」という言い回しになりそうと思えるのでやはり駿河弁なんだろうかな。にしては「らあ」連発してたらあ。遠州弁に聞こえなくもなしという勢いだったな「ちょびい」を除いては。でも「うなぎパイ連れてってくれるらあ」って意味分からん。ありゃ喰うもんで連れてくもんじゃありもしん。どこ連れてけっつうよ。とは思った。
遠州弁の理屈で勘繰りを巡らせるとしたら「ちょびい」ではなく「ちょんびい」という形であるなら基の言葉は「ちょび」ということになる。「ちょびちょびする」で「ちょっかいを出す」という意があり、そこから「ちょび」=「うっとおしい」という意で使われると考えられなくもない。ただしこの理屈の弱点は「うっとおしい」と「うざい」ではニュアンスが「煩わしい」と「気に障る」といった感じで同じではないので説得力が薄いところであるが。
「ちょびくない」というのは「ちょびいくない」と言うのが詰まった言い方なんだろうかな。これにしたって聞いた事ないけど。
ちなみに「ちょびい」をネットで検索したら甲州弁で「生意気」と説明があったのだが、それ以外は見つけられなかった。
存在するとしたら若者(最近つくられた)言葉という感じがしないでもないな。訳である「うざい」が最近の言葉というせいなのかもしれないが。それか私が知らないだけという世間知らずのせいなのかもしれないな。
もうひとつの方言講座(共通語を方言に変換する)みたいなものでは「この野郎」を「しゃっつらにきい」という見当もつかない言葉に変換してたなあ。「つら」は「面」と述べてたけど他の「しゃっ」・「にきい」については基の言葉がなんなのか想像もつかないくらいに意味不明である。根拠はないがおそらくは駿河弁なんだろうな。遠州弁なら昔っから「ばかっつら」で済んでるもの。
いつも書いてるが否定はしない。そういう言葉もあるんだろう。だけど少なくともうちらんとこでは使わないし聞いた事も無い言葉であることは確かに言える。奥が深いのぉゑ。
遠州弁的言い回し
言わないというのもまた特色ということで「かしゃん」
「そうだかしゃん」
レベル 参考レベル
使い方間違っていたらごめんなさいだけど
「そうだかしゃん」だとその訳は「そうなのかな」といった感じであろうか。
勘繰りするならば「かしらん」が変形して「かしゃん」となったと勘繰れるところ。従って細かく訳さば「そうなのかしらん」とすることになるのであろうか。
遠州では「かしらん」といった言い方は「かいやあ」と言うのが普通である。
「行くだかしゃん」なら「行くだかいやあ」といった具合。
「だ」は付く場合と付かない場合があるというのは遠州と同じである。
細かいニュアンスの違いは知らないので遠州弁の「かいやあ」で説明すると
「見るかいやあ」で「見るかなあ」。「見るだかいやあ」で「見るのかなあ」といった違いとなる。もし「かいやあ」=「かしゃん」であるとするならばそのまま「かしゃん」に置き換えてもニュアンスの違いは成立するところとなろう。
ちなみに遠州で「かしゃん」表現されると聞きなれていないので理解するのに一瞬の間を必要とする。つまり一瞬ぽかんとなる事が多い。
「言っちゃかんかしゃん」だと「駄目なんだろな」という勢いで「どうなのかなあ」と悩んでる風には受け取りにくい感覚がある。
ネットで調べてみると「かしゃん」という言い回しは尾張と駿河で使われていて三河と遠州では使われていないと記載してるところがあった。「みゃあ」に続いて飛び地?で使われるという不思議な現象があるらしい。
遠州弁関連
個人的に勉強(参考)になった。
「どかっけえらあ」。「とてもかっこういいでしょう」と訳されてたのをつうぃったあで拝見したが、その訳を逆に遠州弁に直すと「ばかかっこいいと思わん?」の方が近いと思え「どかっけえらあ」のニュアンスを表わしていないように思える。
じゃあどういうニュアンスなんだろうと考えるに
「ど」は「度」であり度を超えて・度が過ぎてといったニュアンス。
「かっけえ」は「かっこいい」であるが「かっけえ」の使いどころは最新のものとか最先端のもの流行のものとかいったものに対して使われる事が多く、ニュアンスとしては憧れ・羨望などが籠もる「いかす」・「いかしてる」という方が近い。
「らあ」は「ろう」。
これを合わせると「度を超えていかしてるろう」。整えると「すげえいかしてるよなあ」。
同意・同調を求めるにしても興奮度や衝撃度の伝え具合が肝であり、なおかつ互いの距離感の近さを訳すのも重要であろう。
口が裂けても目上の人に「どかっけえらあ」なんてことはほざけない。なだけに「とてもかっこういいでしょう」と訳してしまうとそこいら辺の妙が失せてしまう。
「どかっけえらあ」は俗な言い回し(タメ口)である。故に共通語に直す際にも俗な言い回しを充てるというのが結構大切なんだろうかなと改めて勉強になった次第。
もちろんおちゃらけで「いとをかしきや」なんぞと訳しても罰は当たらんだろうが。
遠州弁関連
遠州弁といわれているが多分古い日本語だろう。
個人的意見
「そらつかう」・「そらをつかう」。
意味は「すっとぼける」・「しらんふりしてその場をしのごうとする」とするものであるが、その態度が見え見えとかモロ分かりと映るものを指す。
「そら」はおそらく「空々しい」の「空」だろうなと思われる。
ところでこれは遠州弁か?というお話し。
競馬用語でも使われてるようだし、おそらくは元共通語なんじゃないのかなと踏んでいるが定かではない。もっとも競馬用語での使い方は命令・指示を聞かないとかいったものらしいので意味使いは異なるが。
ところで競馬用語。他にも「こずむ」も存在しており遠州弁の要素が感じられなくもない。想像出来る事は遠州弁の使い手が競馬界に浸透させた・古い日本語が遠州弁と競馬界にのみ生き残った。このふたつが勘繰られるところである。
まあしかし、十中八九遠州弁とかではなく古い日本語の生き残りだろうな。ネットで検索してみるとところどころに共通語という扱いで説明書きされてるところを見つけた。ただし意味は「見て見ぬふりをする」といった具合で若干異なっているが。
つまり「人が倒れてたけどそらつかって通り過ぎた」といった言い方はしないという事。「人が倒れてたそうだけどあんた見なかった?」と訊かれ「見なかったなあ。」とそらを使った。みたいな使い方をするという違いである。
まあ元が共通語であっても遠州以外では使われなくなって遠州だけが使ってるということであれば十分「方言」という範疇には含まれるではあろうが。
例文
A「あ~あ、花瓶倒いちゃってえ。床ん水浸しじゃん。誰よこんなことしたの。」
B「だあれも自分だって手え挙げんねえ。そりゃそうか、どんじかられるに決まってるもんね。」
A「判ってるだでねえ、こん中の誰かがそらつかってるの。」
B「黙ってりゃ済むと思ったら大間違いだにい。後で分かった方が痛い目に遭うだでねえ。」
幼稚園とか小学校の低学年の時分によくこういう類いの先生の金切り音を聞いたな。家でも学校でも怒られるのはしょっちゅうな毎日だったのになんでとぼけれるものはとぼけてしまおうという意識が働いたんだろ。あの頃なら一個や二個叱られるのが増えたって大して変わらないのにね。
まあ毎回この世の終わりがきたと思っていた気分があって刹那的であったことは否めないが。