遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
共通語「痛くないの?」
遠州弁「痛かないの?」
関西方面「いたないの?」
といった違い。
共通語だと「痛くないの?」。
関西の方では「いたないの?」。
遠州弁は関西の影響も受けてる方言であるが、この言い方に関しては遠州弁では思いもつかないはしょり方である。
遠州弁だと「痛かないの?」となる。「痛くはないの?」の「くは」が「か」に化けたと勘繰れるものである。(ただしこの勘繰りの弱点は「かあ」(例・痛かあないのけ?)としても「かあ」→「くは」の変でないとおかしくなって、そうなると「か」と「かあ」の違いが説明できなくなるという点。)
関西系で「痛くはないの?」だと「いたあないの?」となるのかな?
これは「痛く」が「いとう」であって「いとうはないの?」での「とうは」が「たあ」に化けたと勝手に邪推するところであるが、遠州弁では「いとう」という言い方はしないところである。
「痛くしないでよ。」というのを
遠州弁では「痛かせんでよ」か「痛くしんでよ」のどちらか。「痛くうしんで」だと「痛くにしないで」の「に」→「う」・「ない」→「ん」の変かと妄想される。
関西的だと「いとうせんといて」とかになるのかな?(詳しくないので間違ってたらごめんなんしょ)
この言い方に関しては遠州弁は関東寄りの言い回しになるといえそうに思えるところ。
もう少しほじくると、「とう」という言い回し。
「やりたくない」を「やりとうない」という言い方。
遠州弁だと「やりたあない」・「やりたかない」という風になる。「やりたあ」は関西でも使いそうな感じがする。そこいら辺は関西に寄ってるといえなくもなく、なんでもかんでも関東寄りという訳ではなさそうだ。ちなみに「やりたない」という言い方は遠州弁ではしない。
とりあえず、「とう」を「たあ」とする傾向だけは定番化してる風には思える。
例文
「先生その注射太かないけえ。」
「気のせい気のせい。」
「なんしょあれでえ、痛くせんでよ。」
「これっぱか痛かないよ。」
遠州弁関連
長い事遠州人やってるが聞いた事無い言葉
「くったれる」
レベル 遠州は広いと思えるレベル
とある方のブログにあった遠州弁「くったれる」。
使い方例としては、体調が悪そうにしてる人の様子を見にいった人に向かって
「あの人どうよ、くったれていんかったけえ。」
というのだそうな。
実用例からですら「くったれる」の意味が分からない。いつも独善的に陥らぬようにと色んな遠州弁紹介サイトで照合・確認をしているのだが、それらのどこにも載っていない。ということは知らぬは自分ばかりなりという事でもなさそうだ。
だからといってこれを否定するものではなく、こういう遠州弁もあるんだあと感心してる次第で。
でも「くったびれて」の聞き違いなんじゃないのか?とつい考えたくもなりはする。
「くたびれる」を「くったあ」(男言葉である)と言ったりもしたりはするが。「やあ、今日の仕事ばがくったあやあ。」(あ~あ今日の仕事はえらいくたびれるぞう。)みたいな。
ちなみに例文の意味が「あの人体調どうだった?調子悪そうだった?」というのであれば、程度の違いによって異なるけど自分なら
駄目そう(リタイアしそう)だったら
「どうよ。死んでたけえ。」もしくは「駄目っぽい?」
調子悪いなりに頑張ってるけどやっぱ普段と違うということなら
「あの人どうよう。ばかえらそうだったけえ。」
普段通りには近いが調子がなんとなく悪そうというのなら
「あの人どうだったよう。しんどそうだったけえ。」
などと自分なら言うな。
「くったれる」ってどういう程度を指すんだろう。そこんとこがよく分からない。
否定はもちろんしないが得心がしにくいところである。まあ、とにかく遠州弁は奥が深いや。知らない言葉がうじゃうじゃあらあね。
遠州弁関連
「くりょう」
例「そうしてくりょう」
レベル 普通レベル
「くりょう」をネタにするのであるが
例として「そうしてくりょう」
古語っぽくすると「さふしてくりやふ」。もちろん冗談である。
遠州弁というほどのものではないが確かに遠州では使われているので記載。
「くりょうやあ」とすると遠州弁らしくはなる。普通は男言葉で女性が発するのは稀と思われる。ちなみに女性の場合は例の場合「そうしてやあ。」と言うのが普通。
ニュアンス的に訳すと「そうしてくれたまえ」といった上から目線の要素が含まれる。ただし偉そうな勢いは希薄であり依頼(下手に出てる)という勢いが勝る。
これを今少しパワーアップさせると「そうしてくんりょ」。命令具合が増す勢いとなる。なおかつちょっとつっけんどんな感じが付加される。
変化させて「そうしてくりや」。こちらはちっとふざけた言い回しと受け取られる。舐めた感じと受け取られやすい。
改造して「そうしちくりい」。こうなると言葉足らずの子供に化けたようなあざとさが見受けられる。
話し戻して「くりょう」。
共通語に直さば「くれよう」という事になろうか。それか「くれるよう」なのか。
「ら」抜きなのか「「ら」入れなのか定かではないが「くらりょう」という言い方。
「如何にしてくれようぞ」みたいな言い回しで「如何にしてくらりょうか」とかいう言い方するかというと、こういう場合は「どうしてくれすか」となるのが普通なので「くらりょう」は有っても不思議じゃないけど使ってはいないであろう。
「くりょう」と同じニュアンスの表現としては「くんない」が有る。こちらの方が普段使いとして多用されている。違いとしては「くんない」の方が依頼という勢いが強くなるところ。「おくんない」とすると「おくれでないかい?」みたいな時代劇に出てきそうな感じがしたりもするが「くんない」は繰り返しになるが普通に使われている。
「くんない」の丁寧が「くんなまし」なのかどうかは定かではない。それと滅多に使われるものではない。
「くりょ」と「う」のない言い方もあるが「くりょう」との違いはまた改めて考えてみる。
例文
「ここんさあにあるの邪魔だでうっちゃっちゃっていい?」
「なによを、うっちゃるって、まさかまるさら捨てる気じゃないらなあ。」
「捨てるだよを。うっちゃっちゃかんもんあるなら今見てやあ。」
「今けえ。う~、めんどっちいでまあいいよ。うっちゃってくりょう。」
「もう。ホントズボラでしょんないだでえ。」
遠州弁関連
「られる」と「れる」
例えば「見られる」
先輩が答えを見られた
自分が答えを見られた
自分は答えを見られた
遠州人にはどれも「丁寧に言ってる」のか「盗み見された」のか「見る事が出来た」なのか判別しづらいところである。
遠州弁だと
先輩が答え見んさった。(丁寧に言ってる)
自分が答え見られた。(盗み見された)
自分は答え見れた(もしくは見れれた)。(見ることが出来た)
となって区別がはっきりしていて迷うことは無い。
ところで、なんでもかんでもこういうパターンになるかというと
「煽る」(あおる)で
「煽られる」を「煽れる」とするかというと、そうことは無い。
「扇ぐ」(あおぐ)で
「扇げれる」というのは有り。
「使う」で
「使えられる」を「使えれる」とは言う。
「死ぬ」
「死ねられる」ではなく「死ねる」だろうがこれを「死ねれる」という。これについては「ら」抜きでは無く「れ」足すということになろうか。
「着る」
「着られる」を「着れる」と言う。
「狩る」・「刈る」
「かられる」という言い方を共通語がするのかはあれだが「かれる」と言う(まあ普通は「かれれる」だけど)。「今日から解禁日だから狩れるぞ。」というのは共通語でも使う言い回しであろう。
まあだらだらと長くなるのでそんなこんなでなんでもかんでも「られる」は「れる」になるという事ではなさそうである。というか「ら」抜き言葉ではなく「れ」足す言葉という考え方も無きにしも非ずや。
「れ」の意味するものは「~することが出来る」・「可能だ」とかいう意味合いのものである。
遠州弁関連
個人的意見
「だら」は遠州弁。なぞと言い切るのはどうかと思うよな。
三河だって使うし駿河でも使う。地域は限られるが信濃(飯田とか)だって使ってるらしい。
「ら」にすれば上記以外にも甲斐とかでも使われるとな。
それに自分の体験からすると、小さい時分(ガキの頃)のじじばば世代は「づら」の使い手で「だら」を使い始めたのは親の世代(昭和生まれ)ではないかと感じるところであり、そういう点からしても「だら」は遠州弁と言い切るのはやっぱどうかと思うけどな。
なんで「だら」に切り替わったのか知る由もないが。
あくまで遠州でも使われるとするのが無難だと思うけどな。くくりとしては「東海」ではなく「中部」とすべきだろうて。
語尾に「だら」・「だに」付ければ遠州弁の出来上がりとかいうのは的を外しているのだろう。それに「ら」・「らあ」・「に」・「にい」・「じゃん」など「だら」・「だに」しかパターンがない訳ではない。
「だら」は「中部」の方言ということでいいんじゃないのかと思う。