遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
本家とか正統とかいうことではなくて、一番遠州弁がらしいのはどこなんだろうというのを勘繰ってみる。
遠州弁を使う範囲は大雑把にいえば静岡県の西部地域といわれている。
しかして西部地域と言っても西と東とでは同じ遠州弁でもけっこうな違いがあるものである。北(山)と南(海沿い)とでもしかり。
西は三河。東は駿河からの影響が強かろうというのがその一因と思われる。よって地理的には磐田辺りが真ん中に位置し東西の影響を受けにくい処と考えられなくもない。
他所からの影響が少ないのではということであれば磐田ということになろうか。
別な考え方として、数は力だというのであれば人口比率からすれば浜松ということになる。一番多く使われてる遠州弁こそ基準だという理屈であるなら浜松ということになろうか。
自分は浜松の衆なので浜松で使われる遠州弁がと思いたいところであるが。
浜松と磐田がおんなじような遠州弁こいてるとか言うのなら別に問題ないのであろうが、如何せん浜松の人間からすると磐田の遠州弁はおっとりした感じで浜松のそれとはどこかしら違うと感じるものである。大きくは違わないが微妙に異なる気がしないでもない。
湖西は三河の影響が色濃い(「りん」とか)。
掛川は「だけえ」・「けえが」とか浜松からすると独特と映る。
そう考えていくと、磐田・袋井辺りが一番「らしい」遠州弁ということになるんであろうか。
遠州弁関連
あくまで言葉遊びです。
実際はこんなことにはなりません。というかこんな古風な名前今時付けないか。
例えばネコの名前を
「みい」と付けると
遠州弁では「見ろ」と押し付けられてる意味になる。
なので外で「みい、みい」とネコを呼んでいる様を知らない人がそれを聞いたら「誰に向かって『見ろ・見ろ。』っていってるんだろう。」と危ない人と思われかねない。
「みけ」と付けると
遠州弁では「みけ」で「『み』か?」・「みけえ」で「みかい」(「み」なのかい?)という意味となる。
なので外で「みけ、みけえ」とネコを呼んでいる様を知らない人がそれを聞いたら、「いや違うな。『む』が正解だろう。」とか心の中で呟かれて(ボケられて)いるかもしれない。
「みお」もしくは「みよ」と付けると
遠州弁では「見なさい」と命じられてる意味となる。
なので外で「みよ、みよ」とネコを呼んでいる様を知らない人がそれを聞いたら「どこを見ろって言ってるんだ?」と訝しく思われかねない。
「くろ」と付けると
遠州弁では「端」(はし・はじ)という意味となる。
なので外で「くろ、くろ~」と広々としたようなところでネコを呼んでる様を知らない人が見たら「はじっこ」と言うならもっと隅っこ行けよと思われかねない。
「とら」と付けると
ってこれは遠州弁でも「とら」にしか聞こえない。
遠州弁関連
「老人語」といふものについて
なんでもかんでも「老人語」と分類するのはどうなんだろうという疑問。
プラス、方言は年寄りの言葉かどうか。
個人的意見。
読んで字の如しであれば、年寄りしか使わない言葉もしくは言い回し、というものであろうか。
しかしてその経緯には
年相応というか、そういう事が言える使えるようになる(ガキでは説得力が無い)といった類いのものと
昔は年齢に関わらず誰しもが使っていたものが時代の変化によって往時を知っていた者だけが使える(使ってる)ことにより月日の経過と共に必然的に高年齢化していっているというものとがあろう。
これらが共通語における「老人語」と呼ばれる経緯であろうが、方言に於いてはこの二つ以外に理由が見いだせようか。
それは、カッコつけ・色気づくお年頃になると方言は「ダサい」と感じ意識的に伏せるもしくは隠すことにより方言を心置きなく話せるのは老人だけがという流れではないかと。
個人的には方言に「老人語」というものは存在しないような気がする。他所の人からは「田舎臭い」と言われ、若い世代の地元民からは「年寄り臭い」と言われるが、世代に関係なく使えるというものが殆どであろう。
問題は歳を重ねて回帰するか否かというものであるが、自分も若い時分には方言は眼中になかったが今はなんの気兼ねも無く使うようになっていることから鑑みれば多くの人は回帰していくんではなかろうかと推察するものである。
なにしろ遠方に住まう人にとっては方言と故郷はセットで郷愁を誘うものであり
地元で骨を埋める人にとっては、仲間の証しであると共に親密を表わすものとして大切なものである。
話しがずれたが、言いたい事は方言は「老人語」ではないし老人用の言葉でもなくどの世代が使ってもおかしくはないものだと思う。
つまりやたらくしゃ高齢者しか使わないから老人語とするというのには疑問と感じるものであり、それは共通語(辞書等の分類)に於いてもそう思えるものである。
なんでもかんでも「老人語」とするのでなく勝手な造語だが「時代語」とかいう枠を作って別に分類した方が良い様な気がするのだが。細区分するのであれば「昭和語」とか「明治語」とか主に使われてた年号を付すみたいな。
遠州弁関連
文字にすると同じでも、イントネーションも違えばニュアンスも違うという地域差が生じる言い回しを勘繰ってみる。
今回のお題は「面白いでえ」。
関西の方だと「おもろいでえ」(語尾が上がる)で「おもしろいよ」といった意味合いになるのであろうか。
遠州弁だと「おもしろいでえ」(語尾が下がる)で「面白いから」もしくは「面白いので」と言っている。
関西の使い方だと文の最後(結論に付く)と思われるが遠州弁の場合では「~だから」・「~なので」ということで次に結論がありそうと受け取れる。が、続かない(はしょられる)ことが多々あるのが遠州弁である。
共通語で「面白いから見てみなよ。」をその語句の並びのまま「面白いでえ見てみない。」とすればいいのであるが遠州弁はそうはならず
「見てみない。面白いでえ。」という並びに遠州弁はなるのである。
無論イントネーションも関西とは異なる。
人によって異なるかもしれないが「おもしろい」の「し」を強く言い「でえ」は「で」を強めに言う。