遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
中まで使いなさいという使い方もあるが、普通は仲間で使いなさい。つまりみんなして一緒に共用しなさいと言う意味。(当然だが「中まで」と「仲間で」のイントネーションは違う)
もっと簡単に表現すれば「使いまわししなよ」と言ってる。
「仲間」を「共有」という使い方をするのは全国的だと勝手に思っていたのだがどうも違うらしい。どうもと云うのは方言だと思ってはいないからであって半信半疑の遠州弁としての記載。
例文
「皿んないよう。」
「仲間でつかいない。」
「えー、やだよう。ばばっちいじゃんかあ。」
「どこが汚いよう。手で掴んで食うじゃないだで汚くなんかありもしんに。」
「仲間して」という表現については「みんなで」・「共謀で」とかいう意味の使い方もある。同じようなものでは「みんなして」という表現もある。
例文
「なにようなかましてわしん悪さするだか?」
(なんだよー。みんなで私をいぢめるのか?)
「おんめえ人づかい荒いなぁやぁ」・「人んこきつかいやがってえ」・「おんめえわしんなにやらすだあ」などなど
要はいずれも人使いが荒いと文句たれてる表現である。この中でタイトルとした「おんめえ人づかい荒いなぁやぁ」のイントネーションが最も独特である。
「なぁやぁ」を会得すれば遠州人っぽくなれるともいえる。なんかわかんなくても「づら・だら」つけときゃなんとかなる世界ではない。上級編の部類に入る表現である。
ニュアンス的には「なあそう思うだろ。」という同意を求める雰囲気がある。愚痴っぽくも言わないといけない。「おい!聞いてる?」という場合にも使われる。ちなみに「なぁやぁ」は野郎言葉で女性言葉だと「ねえほい(おい・さあ)」。
近い言葉だと、「(そうだ)なや」・「のえ・のう」とかがある。
例文
「洗濯もん寄せといたにい。」
(せんたくもの取り込んどいたよ。)
「ありがとねえ。次玄関にある奴かたいといて。」
(ありがとう。じゃ次玄関にある物片付けといて。)
「おんめえ人使い荒いなあやぁ。何様だっつうの。」
(お前なあ。人使いが荒いなあおい。何様のつもりだい。)
「立ってるもんは親でも使う。鉄則だらあ。」
(立ってるものは親でも使え。鉄則だろ?)
「なぁやぁ。一度聞いとこーかたあ思っとっただけえが、わしおめえの何?」
(あのねえ。一度きちんと聞いとこうと思うんだけど、俺お前の何?)
「いいじゃんかそんなカタいこと言わすとお。」
(いいじゃないのそんな堅い事言わなくても。)
「遊びにきた奴つかまえてこらしょと働かすおめえのその性根が信じれん。」
(遊びに来た友達捉まえてここぞとばかりに用事頼む了見が分からない。)
単純に「なあやぁ。」だと意味が変わる場合がある。
「おい聞いてるのか」・「意味理解してるのか」・「おいどうなんだ」
といったおどしの一歩手前みたいな威嚇的な表現となる。
例文
「・・・・・・・」
「おめえちゃんと聞いてるだか?なあやぁ。・・・ヤル気あんならなんとか言えよ。」
「・・・・・・・」
「てんめえ黙ってりゃ過ぎるなんて思っちゃいんらなあ。」
例文音声はこちら
都合が悪くなると黙りこくる人がいる。貝になる状態はまさにATフィールド全開状態を具現化しているかのようでもある。第三者としてこういう時に「まあまあ」と助け舟をだして火中の栗を拾うか傍観者に徹するべきか悩むところではある。
貴方は何者?どこの回し者だ・誰の味方・この裏切り者があ、だとかいう意味。
*貴方は何者?
言葉が違っていたり、手段・習慣や作法・流儀とかが異質であったりとかした場合に発せられることが多い。もちろん冗談として使われる場合もあり、左程深刻に問い詰めてる訳ではない。
例文
「あんた変わった言い方すんねえ。どこの人よう。」
「東京からですけど、どこが?」
「いちごの『い』を強くゆうじゃん。」
「普通そうですよ。」
「じゃなによを、いちごミルクってのも『い』を強くして言うだか?」
「いや、そんなことはないですけど。」
*どこの回し者だ・誰の味方だ
自分と異質ということでは同じだが、こちらは立場立ち位置を確認する意味で使われる場合が多い。「昨日の友は今日の敵」とまではいかずとも同志だと思っていたのがはずれたような感覚の際に発せられる事が多い。多少裏切り者と云うニュアンスを含む。「どこ」以外にも「どっち」という言い方をすることも多い。
例文
「もう。さっきとゆうこと違うじゃん。あんたどこの人よう。」
「しょんないじゃん。わし世話んなってるだで悪口なんかいえんだもん。」
例文音声はこちら
お先に失礼させていただきますと言う意味。遠州と言うより東海地域全般で使われる表現であろうか。
単純に「ご無礼」だと「失礼・ちょっとすいません」といった意味になる。
「ごぶれい」の場合の使い方例としては、混雑してるとこを縫うように移動せざるを得ない場合とかに、共通語では「すいません」というものを「ご無礼(します)。」と言う感覚である。年長者が年下に対して「失礼」と言うところを多少丁寧にしていう感覚になる。逆に丁寧じゃない場合は「ごめんよ・ごめんな」と江戸っ子風になる時もある。「邪魔をするご無礼をお許しあれ」と言った意味の短縮形みたいな「先謝っとくね」的なものであろうか。
で、本題の「ごぶれいするで」は今の使い方は「悪いけどお先に」ということでほぼ定着している。死語の「ここらでドロンする」みたいなものだが、一応丁寧な謝意の物言いなので「ドロン」のような幾分おちゃらけた表現ではない。「先行く不幸をお許し下さい」ということ。なんちって。
例文
「盛り上がってるとこ悪いけどここらでご無礼さしてもらうでねえ。」
「はあかえるだか?まあちっとええらあ。」
(もう帰るの?もう少しいいだろう。)
「悪いやあ。どうしても行かにゃかんとこあるもんで。」
「怒らないで頂戴よ」という意味。多少悪かった反省してる的ニュアンスを含む。場合によっては多少の苦笑いをたたえた表情となる時がある。
近い言葉では、「怒らんだっていいじゃん」があるが、これは怒らなくてもいいでしょと言う意味である。怒るほどのことじゃないでしょという自分は悪くない的ニュアンスが含まれる。
「怒らんでもやあ」となると「怒らなくてもさあ」という「怒らんでもいいじゃん」に近いニュアンスになる。怒ってる理由とかを納得してる(それじゃあ怒ってもしょうがない)状態で使われる。
ちなみにマジで怒ってる人に「ちんぷりかあらんでも」(ふてくされなくでも)を使うと収拾がつかなくなるので使わないことが肝要と思われる。
例文
「そんな怒らんでやあ。おいてった訳じゃないだで。」
「そんな怒らんだっていいじゃん。誰も置いてくなんていっちゃいんだで。」
「そんな怒らんでもやあ。置いてく訳じゃないだで。」
例文音声はこちら