遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「~みたいにして」と言っている。男女共用の表現。
遠州独特かどうかは疑わしいがよく使う言い回しであることは確かであろう。
例文がすこすこ浮かんでくるのは普段使い慣れてるせいだと思う。
例文1
「どういう頭にせるだ?」
(どういう髪形になされますか?)
「芸能人の○○みたくして。」
(芸能人の○○みたいにして頂戴。)
「はっきしゆうけどあんたじゃ芸能人の髪形みたくしても似ても似つかんにい。」
(失礼ですがあなたでは芸能人の髪形みたいにしてもちっとも近づかないですよ。)
「いらんこんじゃん。越すだでいいだよ。」
(余計なお世話。越えてみせるんだからいいの。)
「おお!がんばっちくりい。」
(そりゃそりゃ頑張ってください。)
「まかしょっ。」
(おう!やるよ!)
例文2
「家ん中パンツいっちょで歩くじゃない!」
「いいじゃんかあ別に家ならあ。オヤジだってそうじゃん。」
「恥知らんだけ?おとうちゃんみたくしてちゃかん。」
(恥を知りなさいよ。お父さんみたいなまねするのはやめて。)
「ちっとばかのこんでひゃあひゃあゆっちゃかん。」
(些細な事で口うるさく言わないでよ。)
「ホント物言いまで親子だで嫌い。」
(全く、言い方まで親子そっくりなんだから嫌になっちゃう。)
例えば「なによを。長野までスキーせえいくう。」
共通語にすると「へえ~長野へスキーをしに行くのかい。」となる。
「そりゃご苦労なことで・大層な」もしくは「呆れたもんだ」というニュアンスを含む感心と「へ~凄いなあ」という驚きを併せ持つ表現。場合によっては「なんだよそれ」という随分といったニュアンスで使われることもある。
別に厭味とか喧嘩売るための表現ではなくごくごく普通に「ふ~ん」とか「へ~」とかいう感情のこもった言い方である。もちろん繋がる言葉によってはいいほうにも悪い方にも取れることにはなるが。
うらやましいという時には(一例)「なによを~まで~せえいくう いいなあや」
皮肉っぽくいう時には(一例)「なによを~まで~せえいくう いいご身分だなあやあ」
男女共用の表現。「~まで」を略す場合もある。「~まで」を略すと「わざわざ」というニュアンスが無くなる。
「せ」と「し」の使い分けは特に無く個人の好き好きか?
する「せえいく」をやる「やりいく」・見る「みいいく」とかに変えても使える。
例文
「なによを。長野までスキーしい行くう このクソ忙しい時にい。」
(嘘だろ。このクソ忙しい時に長野までスキーしに行くのかよ。)
「悪いだ?この日の為に休み貯めただで。いいらあ別にい。」
(なんか問題でも?この日の為に休みを貯めといたんだから問題ないだろ?)
「そりゃサボっていく訳じゃないだであれだけど。にしたって随分だと思わん?こっちゃひいひいだっつうに。」
(そりゃあサボって行く訳じゃないんだから駄目とは言えないけど。それにしたってひどいと思わない?こっちは目が回ってるっていうのに。)
「夏にスキーなんか出来もしんに。」
(夏にスキーなんか出来ないだろ。)
「地球のうらっかあ行きゃやれるらあ。」
(南半球行けばやれるだろ。)
「金ありもしんに。」
(そんな金ないわ。)
「働いて稼ぐだあれ。」
(働いて稼げばいいじゃないか。)
「そんなくれもしんに。」
(大して呉れないじゃないか。)
「作業や仕事を始める・するために場所を取る」・「散らかしてる」といった意味。男女共用。オールドタイプの遠州人が主に使う表現か。
辞書にも載ってるであろうという共通語だが、商売の品物を並べるとかいった商売をする・始めるという使い方に限らず何かを始める・するのにスペースを取っている場合や散らかしてる状況の際にも使われるのが遠州弁っぽいかもと思って一応記載。
「散らかしやがって」という場合には「店広げてまあ(もう・やあ・ほい)」という「店広げて呆れた」的な組み合わせの言い方をすることが多い。
邪魔なんだけど面と向かって言えないので厭味っぽく「店広げてなにやってるよを」とかいう使い方をすることもある。
例文
「あんたさあ。またおもちゃがんこ店広げてもう。はあじきご飯なんだからちゃんとかたしときなさいよを。」
(あのねえ。またおもちゃ出しっぱなしで散らかしてえ。もうじきご飯なんだからちゃんと片付けなさいよ。)
暫くして
「なによを はあ かたしただ?」
(え?もう片付けたの?)
「うん。」
「早かったじゃん。ほんとにけえ。」
(早かったじゃないの。ホント?)
「あれ信用ないだねえ。」
(え~信用ないんだ。)
「どれえ。嘘だったらぶっさぐるにい。」
(どれ。嘘だったらぶつからね。)
見回して
「ばかっつら。机の下に押し込んだだけじゃん。なにやってるよもう。」
(なんなの。机の下に押し込んだだけじゃないの。まったくう。)
「ちゃんとどかしたじゃん。」
(ちゃんとどかしたじゃないの。)
「かたしなっつったらあ。誰んどかしなっつったよを。」
(片付けろって言ったでしょ?どかせなんて言ってないでしょう。)
「ミスしただろ」と言っている。男女共用の表現。
「ちょんぼ」という言葉は別に方言でもなんでもない全国的に通用する言葉であるが、「ちょんぼ」を「こく」という表現が遠州弁っぽいかと。
共通語なら「ちょんぼした」というのが普通であろうか。軽い遠州弁だと「ちょんぼしたらあ」になるのでこれなら多少なりとも共通語に近くなる。
「したらあ」だと囃す感じ(したでしょ)になることが多いが「こいたら」だと後ろ指指すような指摘(しただろ)という感じになることが多い。
「こく」は漢字で書くと「放く」と書くそうでネットの辞書では「言う・するなどを卑しめていう語」と説明されている。
遠州弁使いとしては「卑しめて」なぞ全くしていない濡れ衣のような説明であるがそれ故に遠州弁は汚いとか言われてしまうのだろうか。そりゃあまあ褒める時に使うことはあまりないけれど親愛の情という親しみを込めた言い方という扱いもあるといのが遠州弁の「こく」であろう。
本当に追求・糾弾するような場合には「おめえなにやってくれただあ」・「なにしてくれるだあ」とかいった言い方になる。
例文
「おっかしいなあ いごきゃへんじゃん。」
(おかしいなあ動かないぞこれ。)
「いごかんわきゃねえらあ。きんのうはちゃんといごいてただで。」
(動かない訳ないだろうよ。昨日はちゃんと動いてたんだから。)
「おめえなんかちょんぼこいたじゃねえらなあ。」
(お前なんかミスしたんじゃないだろうなあ。)
「なんでわし疑うよを。随分じゃん。」
(ひどいなあなんで俺を疑うんだよ。)
「だってきんのう最後いぜってたのおめえだら。」
(昨日最後にこの機械操作したのお前だろ?)
「いぜくっちゃいんて。掃除当番だもんで拭いたりとかしてけっこくしただけだもん。」
(操作なんかしてないって。掃除当番だから拭いたりなんかして掃除しただけなの。)
「いちおお聞くけどもとのコンセントわあ。」
(一応聞くけどもとのコンセントはどうした?)
「抜いたよを危ないで外さんとかんじゃん。」
(そりゃ勿論抜いたさあ。でないと危ないじゃないか。)
「で、もどいただ?」
(それでちゃんと戻したか?)
「・・・・・いんやあ。」
(そういや差してないな。)
「やあばかっつら。やっぱてめえちょんぼこいてけつかるじゃねえかあ。」
(おい。やっぱお前の間抜けのせいじゃねえか。)
自分が使うわけではないのだがそう言う使い手がいて、なんか新鮮だったので。方言という範疇ではないだろうけど地方性があるかなと思って記載。
この言い回しが広まっているのかどうかは定かではないが女性の方がそうのたまわっていて面白かった。「冗談ポイ」なら全国的かもしれないが「にい」がつくとこれは遠州の表現しかあるまいて。「にい」がつくと柔らかい感じになってまろやかになる。まあつまり角が立ちにくくなるということであるが。
意味が、「冗談っぽいよそれ」というのと「冗談はポイ(棄てる)だよ」というのとどちらとも解釈出来る。
「ポイ」という言い方は幼児に向けて発する言葉なので育児の真っ最中であることもあってついいつも家で言ってる言葉が出たのかなとも思える。
厳密に言えば「冗談ポイだにい」が理屈に合う遠州弁であるが子供に対しては「ちゃいしなさいちゃい」とか「おんぶ」・「おんり」とか繰り返したりはしょって言うことが的確に伝わる第一歩なので間違いではないと思われる。
同じような言葉で「ちゃい」があるが「ポイ」との違いは「ちゃい」が「棄てなさい」で「ポイ」が「棄てようね」といったニュアンスの違いがある。
「冗談ちゃいにい」とかいう言い方は「ちゃい」(命令)と「にい」のニュアンスとが合わないのでおそらく存在しないであろう。
もうひとつの「冗談っぽい」という方は、「んっぽい」をきちんと発音しにくいので言い易くするために「っ」がはしょられて「冗談ポイ」となるというもの。こういういうのは自分だけじゃなかったということかも。意識してないけどもしかしたら自分も無意識でそう言ってる(聞こえてる)のかなあという気にもなってくる。
例文
「今日残業してってやあ。」
「冗談ポイにい。ちゃっと帰りたいだで勘弁してやあ。」
「ほんじゃあ明日は。」
「明日も無理だやあ。」
「じゃ いつならいいだあ。」
「きんのうなら。」