遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「としいったしゅう」(歳いった衆)
「歳いった衆」。
直訳すれば「歳とった人」ということになるが
ニュアンスで訳さば「ご老人」もしくは「ベテラン」。決して小馬鹿にした言い回しでは無くむしろ敬意の籠もった言い回しである。若干ではあるが。
「衆」ということで特に誰を指すというのではなく一般論としてその世代もしくはそういう人達(該当する連中)を指すものである使い方が主であろう。
年齢的な区切りを指すのか自分より上でさえあれば使うのかという点について。つまり例えば年金を貰う世代以上を指すと限っているものなのか、極端な例であるが例えば小学生が高校生を指して「としいったしゅう」と発するのもありなのかということであるが、多分後者の方であろうかなと思ってる。
「いった」は漢字にすると何になるのであろうか。「とる」と訳しているのであるが「重ねる」という意味での「いった」というのはどれだろうかとネット辞書で「いった」を検索してみたら、結果出てくる「行った」・「入った」・「煎った」・「要った」・「射った」・「炒った」・「鋳った」どれも直接的にそういう意味を表わすものではなかった。
感覚的に無難なとこなら「ねんきのいった」だと「年季の入った」・「年期の入った」と書く(どっちかが正しいのか両方正しいのかはよく分からんが)わけで、それと同じだということになれば「歳入った衆」となる次第だが果たして如何に。
「いく」でなら「幾」が「数量の多い事を示す」とかいう文言があるが。
根拠もない勝手な想像を巡らすと
「としいくしゅう」なら「歳幾衆」となって薄らほのかに意味が成しそうに映るが、「幾」が「いった」になる筈もなくちょっと苦しい。
超強引に「歳幾した衆」が元として「幾した」が詰まって「いった」になっての「としいった衆」となったと出来なくもないが相当無理があるな。
要するになんで「いった」なのか分からんというのが結論であるが
ところで、この「いった」というのは方言なのか?普段当たり前に使っているので当然共通語だと認識しているのだがはたして全国において通じるものなのだろうか。
「ねんきのいった」が共通語なんだからくどうようだが「としいった」も「としのいったしゅう」とすれば共通語に違いないとは思っているが。
例文
「としいったしゅうのゆうこんだで間違いはないらあ。」
「そんなもんかねえ。」
「そんなもんだよを。」
「いいよ、じゃまあそうしまい。」