遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「見てれんでわしんやらすか」
レベル 遠州弁でも古いと映るレベル
「危なっかしくて見てれんで、わしんやらすか。」
これを訳すに「危なっかしくて見てられないので、わしがやろうか。」と「見てれん」を「ら」抜きとして捉えるのは間違いではないが。
流れとしては「危なっかしくて見ておれぬで、わしがやろうか。」と「おれぬ」の変が「れん」と捉える方がなんかしっくりくるような気がする。なのでどちらかというと「お」抜きと考えた方がいいんじゃないかとふと思えた。
ちなみに「見てれん」が「見てれない」という言い方でも違和感は湧かない。「見てれぬ」は流石に普通言わないしざらつきを覚え「お」抜きをしない「見ておれん」となる。
別の言い回しで「見ちゃおれんで」というのがある。こちらは「お」抜きで「見ちゃれんで」という風にはならない。もちろん「見ちゃられん」という言い方もしない。言うとしたら「見ちゃいれん」でこれだと「ら」抜きという感じがする。
「見てれん」と「見ちゃおれん」のニュアンスの違いは見てて苛々するのが「見てれん」で目を覆いたくなるようなのが「見ちゃおれん」といった勢いの違いがあろうか。
で話し飛んで、この文章のもうひとつの遠州弁ポイントは「やらす」。
訳さば「やろう」となり、「す」で意思を表すといった勢いがある。「買おう」で「買わす」。「言おう」で「言わす」。「逃がそう」だと「逃がさす」となる。
「それわし言わすとしただに。なんで先ゆっちゃうよを。」
(それ私が言おうとしたのに。なんで先に言っちゃうんだよ。)
共通語で「やらす」は「やらせる」と使役を意味するところであろうが遠州弁の「やらす」は「やろう」という意思を表わす表現である。
「やらせる」ということであれば「やらさす」となる。
「やろうか」という意味で別の言い回しを探すと「やらっか」というのがあるが、こちらは「やらすか」よりも相手に尋ねている度合いが強い感じとなる。