遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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意味使いが二種類あってひとつは、「いやったい」共通語だと(いやらしい)という意味になる。しかし、「Hな」と言う意味ではなく、不愉快だ・不自然だ・わざとらしい・気持ち悪いという意味である。
もうひとつは厭という手前の感じで、得意じゃないとかどうも苦手の一歩手前とか気乗り(ヤル気)がしないとか渋々とかいった意味。嫌じゃないけどどうもねというような状況で使われる。共通語に直すと適当な言葉が想い浮かばないけれど「嫌っぽい」か?「気が重い」というのもニュアンスが近いには近い。
例文 普段人付き合いに無頓着なKさんと云う人から、思いもよらず戴き物をされていぶかる人達の会話。
「なんか知らんが、いやったいだよ。」
(よく分からないけど、気味悪い。)
「なんでえ。どうしたでえ。」
(どうかした?)
「いや、それがさ、Kさがさあなんか知らんが映画のただ券くれただよ。」
(いやね、Kさんがどういう訳か映画のただ券をくれたんだ。)
「おおそりゃ珍しいこんもあるもんだの。Kさがあ、くれたあ、おめえにぃ。」
(へー、それはまた珍しいねえ。Kさんが君にねえ。)
「だらぁ?そんなこん今までしたこともありもしんに、なんで急にあいそいいだか。ホントいやったいと思わん?」
(だろう?今までこんな事なかったのに、どうして急に愛想よくなって・・・。なんとなく不気味なの分かるでしょ?。)
「思う思う、そりゃ確かにっ。なんか後ろめたいこんでもあるだかねえ。」
(確かにそうだよね。何か後ろめたい事でもあるのかねえ。)
「そう思うらあ?でも思い当たる節んないだよぉこれが。」
(そう思えるでしょ?だけど心当たりがないんだ、これが。)
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初志貫徹。いつもと違うと周囲の人間は気になるものである。しかもどちらかというと人付き合いの基本として悪い方(気をつけないといけない事)をまず先に想定するから、無神経な親切心が仇になることもあるというお話。どうも・結構な・ありがとう等の言葉の裏読みの機敏に長けるには場慣れが必要でしんどい話しである。そういうことに疲れたら陰で悪口言って憂さ晴らしってとこでしょうか。悪口言われない人なんて、この世に一人もいないんでしょうね。
突き詰めると、いやったい話だいね。
「いごく」漢字にすると「動く」
「よし!はまった。これでいごくら。」
(よし!はまった。これで動くだろう。)
「ほんとにぃ?なんか信じれんだけど。」
(本当かよ?なんか信じられないんだけど。)
「ええでスイッチおしてみない。」
(いいからスイッチ押してみなよ。)
「おお!いごくいごく。」
(おお動いた動いた。)
「ほれみっせーちゃんといごくら?」
(どうだあ、ちゃんと動くだろ?)
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「いのく」は当て字として「居退く」と書けば分かり易い。自然と移動するのではなく、なんらかの力が作用して(強制的に)移動するというニュアンスで使われることが多い。
「あれえ?変だやあ。」
(あれ?おかしいなあ。)
「なんでえ。どうしたよー。」
(ん?どうかしたの?)
「それがさあ、このつくええ、なんか知らんがいのいてる気んしん?」
(いやね、この机なんだけど、なんか移動してる気がしない?)
「気のせいだら。いのくんしたって誰んいごかすっつーよ。」
(気のせいじゃない?移動したとしても誰が動かすっていうんだ?)
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「のく」は「退く」立ち退くの「退く」である。
「いごく」ではなく「いのく」を使うと意思を感じるものである。この例文だと机の意思が働いたみたいな感じとなる。
「退く」は共通語だが使い方が、「のけもん」(除け者)の「除け」とごっちゃ混ぜになった感じで使われている。
「はよのけやー」
(早くどけ!)
「なんでのかんとかんだあ。駐禁じゃありもしんに。」
(どうしてどかさなきゃいけないんだ。駐車禁止じゃないだろ。)
「屋台通るだで邪魔くさいだあ。」
(祭りの屋台が通るから邪魔なんだよ。)
「てめえしょろしょろしとるとぶっさぐるぞ。すぐのけ!」
(てめえぐずぐずしてるとぶん殴るぞ!すぐどけ!)
「ちょっとまっちくりー、ほいたらそん前んこれのけんとかんで。」
(ちょっと待ってね、それならその前にこれをどかさないといけないもので。)
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浜松祭りの時期は凧と屋台が一番偉い。なので理不尽な言いがかりであっても凧と屋台の邪魔になると判断されたら例え正論であっても却下される。他所から観光で来た人に対してもそうなので注意が必要である。お客の前でエエとこ見せようなんて気はさらさらないので観光客を集めるためのイベントでは決して無い。
あくまで想像であるが遠州弁における「いごく」は「いのく」(居退く)と「うごく」(動く)がごっちゃ混ぜになってしまった表現なのではなかろうか。
十把一からげ・なにもかも一緒にしてしまう・混ぜこぜにするといった意味。
「いっしょくたあにせるじゃないにぃ。後んなって困るだでえ。」
(ごちゃ混ぜにするんじゃないよ。後で困る事になるんだから。)
これの凄い様を表わすのに「ど」とか「馬鹿」は使われない。「がんこ」・「えらい」が使われる。
「やたらくしゃいっしょくたあ」・「なんしょいっしょくたあ」辺りの方がより雑加減が増す表現になろうか。
遠州弁固有の言い回しかというとそうでもなさそうで、「一色単」(たくさんの色を混ぜ合わせて一色にする)という説明があれば、それは間違いで「一緒くた」が正しいと謳ってるところもあり諸説紛々といったところか。
個人的には色んな色混ぜたら鮮やかな色には絶対ならないものだからして、決して混ぜる事はいいことではないという「よからぬ事」というイメージが「いっしょくた」と被るのでこれに納得するところである。
「一緒くた」の方だと「くた」って何?ってのがある。でもネットの辞書には「一緒くた」とされてあった。なのでこちらの方が正しいのかもだろうけどだったら「くた」とはなんぞやという説明もしてもらわないと納得いかない部分がありますわな。
例文
「子供らのお土産なににする?」
「全部おんなしでええらあ。」
(全部一緒で善いだろう。)
「いっしょくたあにすると上んすねるにぃ。」
(どうせ子供だからって同じに扱うと上の子がすねちゃうよ。)
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居残り・居残ると言う意味で使われる。
「いざりにされた」となると、「居残り(もしくは置き去り)にされた」と言う意味になる。
「いざる」は自ら居残りをするというもの。
辞書によると、「もと、居去るの名詞形で足が悪くなって歩行できなくなった人」という意味らしい。遠州弁ではそういう意味で使うことはまずない。実用においては別の言葉である。差別的意味使いは無い。
それかまったくの別ものと考えて字も「居残る」と書いて「いざる」と読むといった方がすっきりするのであるが明確な根拠がないのであくまでも推論。
例文
「あ~あ今日も終われんわぁ。またいざりだやあ。」
(あ~あ今日も終われない。また残業だよー。)
「おめえ何日残業すりゃあ気い済むだあ。まっと要領よーでけんだか。」
(お前何日残業すれば気が済むんだ?もっと要領よく出来ないのか?)
「でけすかやあ。はあわしん能力超えてるわあ。やめたる!はあやめたる。」
(出来ん!もう自分の能力超えてる。辞めてやるもう辞めてやる。)
「はいはい、がんばってくりょー。」
辞める辞めると言う奴ほど辞めないものである。
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共通語のいじめるとかいった意味ではない。共通語にするとしたら「いる」(炒る・煎る)であろうか。
「豆を炒る」を「豆いびる」、「野菜をいびる。」(野菜を炒める)というような火を通すという意味である。そういう意味では焼く・あぶるというものも含まれる。煮る・揚げるが「いびる」に含まれるかは微妙。
古語辞典にはあぶる・あぶり焼くと言う意味が載っているので方言というより古い日本語が残っているのではないかと思われる。古語辞典ではひらがなで漢字では載っていないので古語の生き残りであるとするならば「炒」という文字は当てはまらないことになるのだろうか。
例文
「あんたねえ、いくら腹減ってるっつったって、○○生で食う馬鹿どこにおるよお。野菜でもなんでもちっとでもいびっとかんと腹おやすにい。」
(あなたねえ、いくら腹が減ったとはいえ、○○生で食べる人がありますか。野菜でもなんでも少しは火を通しておかないとお腹を壊すよ。)
どういう食材が適切か分からなかったので○○としました。
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