遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「こぐらかあった」(足がつった)・「こぐらがえり」(足の痙攣)
という使い方をする。
共通語だと辞書で「こむら」(腓)・ふくらはぎの意、老人語と記載されている。
おそらくは「こむら」が「こぐら」に変形したものであろう。だとすると厳密にはふくらはぎの痙攣を指すことになる。しかしながら誤った使い方になるのかどうかはさておき、場合によっては足の指とか腿(もも)辺りがつっても「こぐらかあった」と言う場合もある。
さすがに背中がつったのに「こぐら」を使うことはしない。
「こぐらがえり」足がつったというひとつの言葉として使われていて、ふくらはぎのことを「こぐら」と呼んでる使い方はしていない。
例文
「なにぃ?あいつえらいへこんでるけどなにんあったよお。」
(どうしたんだ?あいつとてもへこんでるけど何かあったの?)
「きんのうあいつ水泳大会でいいとこまでいっただにな。決勝でええとこでこぐらかあってどべんなっただよ。」
(あいつ昨日さあ。水泳大会でいいところまでいってたんだけどね。決勝でここからって時に足がつってそれでビリになったんだ。)
「そりゃまあたついてんねえ。」
(それはまたついてないねえ。)
「大会自体は本番じゃないようなもんだで別にとんじゃかないだけど。彼女にかっこええとこみせすかと意気込んでた分落ち込んでるだよ。」
(大会自体は本番じゃあないようなもんだから特にどうのこうのじゃないんだけど。彼女に格好いいとこ見せようと意気込んでた分落ち込んでるんだ。)
「なんだやぁ、同情して損こいた。」
(なんだよそれ。同情して損した。)
例文音声はこちら
愚息という意味。自分の息子の謙称の表現。娘の場合は「むっすー」ということが多い。
他の言い方では「がき」・「がきんちょ」という男女兼用の言い方がある。
基本自分の子供を指すのだが、他人の子供に対しても使う場合がある。その際の意味は馬鹿にする場合とか、けなす・不満を述べる等いい使い方にはならないので注意が必要である。
例文
「日曜ゴルフ行かん?」
(日曜日ゴルフに行かない?)
「いやあ日曜はうちのこんぞうのサッカーの試合あるもんで送り迎えしんとかんもんで駄目でえ。」
(う~ん。日曜は息子のサッカーの試合があってね。その送迎しなくちゃいけないんで駄目なんだ。)
「うちんとこのむっすーもなんかあるらしいけどわしとんじゃかないにい。」
(うちの娘もなんかあるらしいけど気にした事ないよ。)
「あとでもめんだけえ。」
(後でひと悶着起きないの?)
「うざいでこんでええっつわれてるもんだで。」
(うっとおしいから来ないでって言われてるからね。)
例文音声はこちら
「こえた」(肥えた)。シンプルに「太った」と問う時に使う言葉。
「太った」というより「ふくよか」というニュアンスの方が近いか。
悪い意味で使われるものではない。
「あれえ。あんた暫く見ん間に太った?」と聞くには差し障りがあるような時に
「あれなによを。あんた前より肥えた?」と聞いた方がどんぐりの背比べではあるが柔らかくなる。気がする。「肥えた農地」とか「眼が肥える」・「口が肥える」とかいう豊かになるという好印象が「肥える」にはあるからだろうか。単に「太る」だとあまりいいことではない印象を与えるからでもあろうか。
「非常に太った」というような場合には「馬鹿肥えた」という言い方をすることもある。
辞書ではこの「肥える」を人に対して使うのは関西風味であって共通語としては動物とかに対して使う言葉となっている。なので遠州独特というものではなく関西的表現を遠州でも使っているということであろう。ところで関東ではどう差し障りのない表現をするんだろうか。「恰幅がよくなった」とでも言うのかな。まさか女性には使わないだろうから違うんだろうな。
謙遜ということもあろうか自らのことを「肥えた」とは言わないことが多い。
「太らされた」を「肥やされた」ということは流石にない。肥えることは悪いことではないからであろうか。
「太る」を「肥える」とは言う。「小太り」を「小肥えり」とは言わない。
例文
「お~やっとかぶりじゃんかあ。なにしてたよを。」
(お~久し振り。元気?)
「お~。でもやあ なんか知らんが前より肥えた?」
(お~久し振り。しかしなんだなあ前より太った?)
「やっとかぶりに遭ってそれかい。」
(久し振りに遭ってそれかよ。)
「しょんないじゃん。そうめえるだで。気になるだよ。」
(しょうがないだろ。眼に映って気になるんだから。)
「ちいとな。ほんのちいっと太った。」
(ちょっとね。ほんのちょっと太った。)
「ほんとにけぇ?ちっとばかにめえんにい。」
(ホント?少しには見えんけどなあ。)
「悪かったの。がんこだよがんこ。」
(悪かったね。随分太ったよ。)
「だらなあ。なにすりゃそんだけ肥えるよを。」
(だよねえ。どうすればそれだけ太るんだ。)
「おっかさの料理旨いもんでね。」
「そりゃごっつを様なこって。」
(そりゃご馳走様。)
例文音声はこちら
共通語でも使われる「小粋・小奇麗・小生意気」とかの「こ」
「小馬鹿にする」とか「こきたない」(以前記事にもした)とか遠州でもよく使われる表現。
ただ、粋が小粋に綺麗が小奇麗という言い方に変わると、「さりげなく」とか「なにげなく」とかいった印象が加味される共通語の使い方であるが。辞書をひくとたいした程度ではない意を表すとある。つまり「ささいな」みたいなものであろうか。
これが遠州弁での「こきたない」とかだとささいな汚なさというニュアンスになるかというとそういう気にならない。私の個人的感覚で受けるイメージでいうと
汚い<こぎたない<こきたない<どぎたない<どんぎたない=ばかきたない
という感じ。この感覚が正当なのかどうかは自信はないがとにかくこういう感覚で自分は使っている。(こぎたないとこきたないはどっこいどっこいではあるが)
この中間の表現で「ばかこぎたない」という言い方はあるが「どこぎたない」というのは聞いたことがない。
余談だが「気味がいい」に「こ」をつけて「小気味がいい」になると意味合いが全く替わるのはなんでだろう。
「こじんまり」はあるが「じんまり」はあるのか。
色々と奥の深い「こ」という表現である。
例文
「やだやあ。馬鹿こっぱづかしいだで人にゆっちゃかんに。」
(なんだかなあ。恥ずかしいから人に言わないでよ。)
「いいじゃん別に。どうせどっかで知れるだで。噂でなるよかええらあ。」
(いいじゃないか別に。どうせいつか知れるんだから。噂から伝わるよりはいいだろうに。)
「ほんなら、こむつかしい言い様かなんかでけむんまいといてよ。」
(それなら訳の分からないこと言って煙に巻いといてよ。)
「そんなのどうゆやあけむんまけるでえ。」
(そんなのどう言えば煙に巻けるんだ?)
「だもんで野良猫かなんか勝手に入ってきて粗相とかしくさってしょんないとかさあ。」
(だからさあ。野良猫かなんかが勝手に上がってきて粗相したりして仕方ないとかさあ。)
「おめえがこきたなくしてるもんでだらあ。畳ん腐ったなんて聞いたこんないだにい。人のせいにしちゃかんて。」
(あんたが物凄く汚くしてるからだろうが。畳が腐ったなんて聞いたことないんだからね。人のせいにするんじゃないよ。)
「いんや。猫だで人じゃないだよ。」
(いや。猫だから人じゃないよ。)
「馬鹿かあ。そういう問題じゃありもしんに。」
(何言ってるんだそういう問題じゃないだろが。)
例文音声はこちら
ここはと言っている。
「ちっとは」(少しは)が「ちったあ」に変わるようなもんか。
例文
「え?いぜくってええだ?」
(え?弄っていいの?)
「いい訳ないじゃんなにゆってるよもを。あんたねえ、ちったあ気い使うっつうこんしんとかんだにい子供じゃないだで。」
(いい訳ないでしょう。あのねえ子供じゃないんだから少しは気を使うことしないと駄目でしょう。)
「なによをそれ。それじゃまるで遠慮知らんみたいじゃん。」
(なんだよそれは。それじゃあまるで遠慮知らずみたいじゃないか。)
「そうだよを。自分ちじゃないだでねえこかあ。」
(その通り。ここは自分の家じゃないんだからね。)
「あほかあ。自分ちんならえぜるじゃなくてなぶってるわあ。」
(違うよ自分の家のものなら弄るんじゃなくて弄繰り回してるわ。)
「そうじゃなくてえ。誰ん持ちもんとかじゃあなくてえ場所わきまえよっつってんの。」
(そうじゃなくて誰の持ち物とか言う意味じゃなくて場所をわきまえろっていってるの。)
「こかあかんなら便所とか持ってって隠れていぜるならいいのけ?」
(ここがいけないんだったら便所とかに持っていって隠れて弄るのならいいのか?)
「はあ知らん。」
(つきあいきれんわ。)
例文音声はこちら