遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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どれも程度の差はあれ「来なさい」と言っている。方言というより古い日本語を使ってるという事かと思われる。
例文
「あっちゃん車来たでこっちこ。」
(あっちゃん車が来たからこっち来なさい。)
「奥さんも目え離せれんで大変だねえ。」
(お母さんも目が離せなくて大変ねえ。)
「まあねえ。ほらあ早くしな。こっちこんと知らんにい。聞いてるの?」
(まあねえ。ほら!早くしなさい。こっちに来なさいって言ってるでしょ。聞こえてるんでしょ。)
「四六時中かまわんとかん時期だでえらいらあ。」
(四六時中手が掛かる時期だからしんどいでしょうに。)
「上の子で馴れたではあそうでもないけどね。ほらあっちゃん車に轢かれるにい。もっとくろに寄らんとを。」
(上の子で馴れたからもうそれほどとは感じてないんだけどね。ほらあっちゃん車に轢かれちゃうよ。もっとはじっこに寄りなさいよ。)
「来」の命令形。
辞書からの丸写しでカ行変格とかいうのでの
「こ・き・く・くる・くれ・こ」の「こ」
それを口にするにあたって言いやすくするために「こお」となってるのかなと妄想される。命令形には「こよ」という形もあるので「こよ」が「こお」に訛ったとも妄想できる。
「こ」と「こお」はかく妄想が成り立つところであるが「きい」が説明できない。
とまあ知識もないのにこういう理屈から話しを進めていくと破綻するので、いつもの感覚だけでの説明に戻るが
「こっちこ」・「こっちこお」・「こっちきい」はいづれも「こっち来な」ということである。
ただし「きい」は「来なさいよ」とかいった命令口調としては弱い表現であるし「こお」も「こ」よりも命令・指示とかでも穏やかな物言いに聞こえるので訳すと同じでもそのニュアンスはそれぞれ異なる。
強引にその差を訳せば「こ」(来い)・「こお」(来なさい)・「きい」(おいで)という感じか。もちろん言い方ひとつでそのニュアンスは強引な訳の通りではなくなる。
これらとは違って「ごう」という言い方、例えば「見てごう」(見てご覧)みたいな言い方が駿河の方ではあるらしいが、遠州というかうちの近辺では「ごう」はあまり聞いたことがないし訳も命令調ではないようなので全くの別種の言い方と思われる。ちなみに「見てご覧」を遠州弁で言うと「見てみい」・「見てみっせえ」とかになる。
「見てこお」訳すと「見て来いよ・来なよ」みたいになる。
この「こお」という表現が味噌な訳であるが、遠方の地域によっては同じ意味使いで「ごお」と言う所もあるそうなので、方言というよりか昔の日本語が形を変えて今も残っているということなのかもしれない。したがって遠州弁ということではないのであろうがまあ一応記載。
「見て」にしか使われない表現ではないがなんにでも使われるという訳ではない。
「買ってこお」・「行ってこお」・「貰ってこお」などなど
「見て来い」という命令口調な訳にはならない諭す系の表現と思われる。
例文
孫「あそこはやあだ。行儀よくしんとかんとこなんかいきたあないもん。」
爺「じいじそこんとこ寄ってく用事あるでそをゆう訳にゃいかんでえ。ほいじゃあちいとあそこんさあの公園で待ってるか。」
孫「はいね。」
爺「知らん衆に声掛けられてもほいほいついてっちゃかんにい。」
孫「まかしょを。」
爺「・・・なんか心配だやあ。・・まあやっぱ一緒に連れてっか。でもぐずっちゃかんにいすぐ済むでえ。」
孫「大丈夫だに心配せんでも。砂場で遊んどるでえ。」
爺「そうゆう訳にゃあいかんだよ。ひとりじゃかんで他に誰か友達いんかちょっと行って見てこお。」
孫「いたらいいだか?」
例文音声はこちら
「なにょうこく」→「何を言う」
「調子こく」→「調子に乗る」
「往生こく」→「難儀する」
「ええ歳こいて」→「いい歳して」
「やっきりこく」→「頭にくる」
「屁えこく」→「屁を放つ」(ネットの辞書だと「放く」と書く「こく」がこれにあたるそうな)
他にも色々ありますがキリがないのでこの辺でという「こく」。
辞書によると、俗語・やたらにすべきことでないことを、はばかりも無く人前でする。とある。ひらがな表記で漢字は当てられていない。相当に遠州弁の使い方とは違うものである。
それがネットの辞書では「放く」(こく)と漢字が当てられていて、言う・する・出す・たれる・ひるなどを卑しめて言う表現だそうな。多少なりとも昭和の辞書よりかは近いものであるが、遠州弁での「こく」の使い方の全てが辞書の「放く」の説明の枠に収まっているのかというとそうでもなさそうである。
確かにぞんざいな物言いではあるが決して横柄な意図はなく、どちらかといえば人同士が接していく上で頭(理屈)によるものでない素(人間臭さ)な動作に対して使う言葉であるような気がする。遠州弁の「こく」はそういう使い方をしているのではないか。遠州では男女共用で使われる。
「こく」・「こいた」という言い方自体は全国的に広がるものであるがその使い方に関しては地域性があって、それは遠州人の感覚とは大分異なるもののようであり外に出た時には封印した方がよさそうな事は確かであるが、逆に他所の人が遠州に来た際には「お下品」とか「卑しめ」のニュアンスはさらさら無い事を理解しておかないと誤解を招くことであろう。
例文
「あんたええ歳こいてなに調子こいてるよを。」
「なにょうこくだあ。まだ若いわあ。その言い方やっきりこくなあやあ。」
「気持ちだけ若いつもりでいても体は正直だにい。張り切り過ぎて腰おやいたりして後で往生こいても知らんにい。」
例文2
「こないだあ、街歩ってたらさあ、馬鹿久し振りにAに出っくわしちゃってビックリしたわ。」
(この間、街を歩いていたら凄く久し振りにAにばったり会って驚いたよ。)
「こないだって、いつん話しだ。」
(この間って、いつごろの話?)
「先週かな?」
「冗談こいてちゃかんて、空似だら。」
(冗談を言わないでよ。他人の空似でしょう。)
「ふんだだこたあないって!あれ絶対Aだったって。」
(そんなことはないよ。あれは絶対にAだったよ。)
「嘘こけ、じゃ声卦けてみただか?」
(嘘をつくなよ、それじゃあ声を掛けてみたのか)
「おお、声掛けたよお。ほいたら、なんだこいつって顔していっちまい
やがったけどやあ。でも間違いないって。」
(うん、声掛けたよ。そうしたらなんだこいつって顔していってしまった
けど、でも間違いないって。)
「そんな筈ぁあるわけないって、見間違いだって。」
「なにょうこくだ。見間違うわけないじゃん。」
(なにをいうか、見間違える訳がないって。)
「だって、はあ去年死んどるだにい事故でえ。知らんだか?」
(だって、もう去年事故で亡くなってるんだよ。知らないのか?)
例文音声はこちら
普通は「来すけえ来る訳ないじゃん」という言い方をすることが多く「こすけえ」だけだとそのはしょり系という風に考えられる。
意味は「来ないよ」でニュアンスとしては言い切っている感が強い。訳としては正しくはないけど「絶対来ないね」とした方がいいのか。
つまり「来ないよ来る訳がないだろう」という事になる。
遠州弁での「来ない」という言い方は他には
「来んやあ」(来ないなあ)・「来んて」(来ないって)「来んにい」(来ないよ)・「来んだら」(来ないんだろ)・「来んよを」(来ないさ)・「来んら」(来ないだろ)・「こすかや」・「きすかや」・「こすかあ」・「きすかあ」・「こやせん」・「きやせん」・「こやへん」・「きやしん」
などなどあるがそれらの中でも一番言い切ってる言い方が「こすかや・きすかや」でその次くらいが「こすけえ・きすけえ」か「こすかあ・きすかあ」である。
ちなみに「こすかや」での「来すけえ来る訳ないじゃん」と同じ言い方は「こすかや来る訳あらすかあ」・「こすけや来る訳ねえら?」などとなる。
「こすかや」だと確信を持って絶対来ないという勢いで。
「こすけえ」だと絶対来ないという勢いではあるが確信の持ちようが「こすかや」よりかは薄いといった度合いの違いであろうか。
これに言い方を変えて「こやへんて」とか「きやせん」とか「来る気ない」とかいったバリエーションを増やしてくときりが無いので取り上げないが色々と言い方は存在するのである。
「来る」だけでなく「やる」でも「見る」でも「取る」でも他にも諸々このパターンで使われる。
例文
「今日は○○来ちゃいんみたいだん。どうしただよ。知ってる?」
(今日は○○の奴来てないみたいだけどどうしてなのか知ってる?)
「そりゃそうだら。あんだけ啖呵きりゃそりゃこすけえ来れる訳ないじゃん。」
(そりゃそうさ。あれだけ啖呵切ればそりゃあ来ないよ来れる訳ないだろ。)
「啖呵ってなにゆったよを。わしきんのういんかったで知らんやあ。」
(何?啖呵って。俺昨日居なかったから知らないよ。)
「はあやってれんっつって大声だいてあだけまくってどたけってただよ。」
(もうやってられないって大声張り上げてブチ切れて暴れてたんだ。)
「誰にい。」
(誰にだよ。)
「お得意さんにい。」
「直接けえ。そりゃ死んだな。」
(直接にかい。そりゃ終わったな。)
「だらあ?来れんらあ?」
(だろ?来れないだろ?)
「わしも言ってみたいけど。にしたって根性あるなあやあ。」
(俺も言ってみたいよ。それにしてもいい根性してるよなあ。)
「おれは止めんにい。」
「冷たいじゃん。つうかゆえすかやゆえる訳ありもしん。」
(薄情だなあ。っていうか絶対言える訳ないだろ。)
例文音声はこちら
「恐い」とかいう意味ではなく「固い・硬い・堅い」という意味の方の「こわい」。むつかしいという「難い」は含まれない。
漢字で書くと「強面」(こわもて)と同じように「強い」と書いて「こわい」だろうかな。別に方言とかじゃなく調べたら辞書にも載っていた。
「こわい」形容詞{強い}反発する力が強くて、自分の思うようにならない。こわ飯・シーツののりが強い。とある。
「強飯」(こわいい)も辞書に載っていて、こわめしの雅語的表現。とある。
こわ飯とは普通はもち米にアズキを交ぜて炊かれるお赤飯のことを指す。
遠州では「お赤飯」のことを「おこわ」と言うのだが共通語では「おこわめし・こわいい」と言うのであろうか。「おこわ」だろうなやっぱ全国何処でも。
とまあ、「こわい」は方言でもなんでもない共通語なのであるが、全国的には古い日本語で廃れつつある言い回しなところを遠州では廃れることなく使っているということであろうか。本来の状態よりも「かたく」なっている状態を指す事が多い。イントネーションは「強い」も「恐い」も同じであるので「強い」という使い方を知らない人からしてみれば
「ご飯こわい」
と聞いて「ご飯が怖い?なんじゃそりゃ」という事になるのかな。「ご飯が硬い」と文句言ってるんだけど。そんな訳で落語の「饅頭こわい」を聞いても「ああ固いから嫌なんだな」くらいにしか思わないのが遠州人である。男女共用。
ちなみになんでもかんでも「固い」を「こわい」と言う訳ではない。つまり「頭が固い」を「頭んこわい」とは言わないということである。
例文
「ここの旅館の浴衣スゲエなあやあ。」
「何が?」
「着てみい。カッチカチでばかこわいにい。」
(着てみなよ。カチンカチンで凄い固いから。)
「ほんとだ。糊んがんこ効いてるねえ。でも大抵の日本旅館はこんなもんじゃない?」
「にしたってこんだけこわくしててもこれん朝んなるとめくれてはだけてるっつうだでひょんきんだなあやあ。」
(それにしてもこれだけ固くしてあってもこれが朝になるとめくれてはだけてるっていうんだから凄いよな。)
「あんたん寝相の方がひょんきんなだけだら。」
(浴衣の糊がじゃなくて、あんたの寝相がそれだけひどいってことでしょ。)
まあ大抵は風呂入って夕餉食した辺りには柔らかくなってるもんですけどね。
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「五合」の事。
「ご飯を五合炊く」だと「ごはんごんごおたく」と言う。
50ccの原付バイクを「ごんじゅう」と言うのと同じ変化。
ただし「山の五合目」とかを「ごんごうめ」とか「サンダーバード5号」を「さんだあばあどごんごお」とは言わないようになんでもかんでもこう変化する訳ではない。基本はご飯での「五合」を指す。
発音は「ごん」の「ご」は普通に濁り「ごお」の「ご」は鼻濁音となる。
例文
「あれ、はあ飯無いじゃん。何合炊いたでえ。」
(え~!もうご飯が無いじゃないか。一体何合炊いたんだ?)
「今日は ごんごお 炊いた。」
(今日は五合炊いた。)
「いつもの通りじゃん。じゃなんでおひつ空んなるよを。」
(いつもの通りだね。それでどうして足りなくなるんだ?)
「炊いたつもりだっただけえがスイッチ入れるの忘れたもんできんのうの残りのおひやで足らんかなって思っただけど。やっぱ足らんかったかやあ。」
(炊いたつもりだったんだけどね。スイッチ入れるの忘れて炊けてなくて。でもまあ昨日の残りのお冷やご飯で足りるかなって思ったんだけど。やっぱり足らんかったみたいだね。)
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