遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「ほんとかよ」と言っている。女性は使わないので男言葉であろうか。
「よ」が「や」になってるというだけで意味的に特別なものが付加されてる訳ではない。
「ほんとかな」というニュアンスで使われることもある。
これが「ほんとかあ?」とかになると信じてない勢いが勝るのであるが「ほんとかや」だと疑いの要素は薄い勢いとなる。薄いだけで鵜呑みにはしてないだろうが。
状況によっては「そうであって欲しくない」という願望が籠もる場合もある。そういう場合にはニュアンス的に「嘘だろう」とした方が近い事もある。が、まあ「うそだらあ」(信じたくない)というそのものな言い回しがあるのであくまでニュアンスの問題であるが。
例文
「明日来るっつてたけど予定変わって今日んなったって。」
(明日来るという予定だったけど今日に変更になったんだってさ。)
「ほんとかや。なあんも準備しちゃいんにい。」
(本当かよ。まだ何も準備してないよ。)
「ちゃっとやるでえの。」
(すぐやるしかないね。)
「ひょんきんじゃん。勘弁してやあ。」
(随分だなあ。勘弁して欲しいよ。)
例文音声はこちら
「放りつける」・「投げつける」といったぞんざいに寄越す様においても使われるがここで述べるのは物にあたるといったような様で使われる「ほかしつける」。ちゃぶ台返しみたいなものか。
共通語に訳すに於いては「叩きつける」とするのが勢いは近い。
似たような表現の「寝かしつける」は共通語だが「ほかしつける」となると方言の部類に入るであろうか。
味噌(共通点)は「つける」であり「ほかしつける」(放かしつける)以外には普段は滅多に言う事は無いであろうか。強引に探せば「沸かしつける」や古くて言う人はいないが「申しつける」とかが浮かんでくる。
「つける」の意味するものはと辞書を引くと
強い勢いでそれをする。「しかりつける」・「なげつける」。
という意味でのものとなるのであろうか。
これに関してはちょっと違和感を感じはするところである。それは例えば「寝かせる」が強い勢いで出来るといったものではなかろうにというところにある。
むしろ「寝る」という穏やかな行為に「つける」を付す事によって「寝させる」という強引性を表わしているのであろうような気がする。「無理やり寝かしつける」とか「急いで寝かしつける」とかいった使い方で「眠そうで可哀相だから寝かしつけた」とかいう使い方はしないものな。蛇足で単なる投げ掛けだが「寝かせつける」と「寝かしつける」はどう違うんだろ。
で「ほかしつける」だとどうか。
「ほかす」は「放る」という意味であり「つける」を付すと辞書での意だと「強い勢いで放る」ということになるのだが、その意だと遠州弁では「ほかしなげる」の方が近い表現である。
「ほかしつける」は強引もしくは無理やり(無茶)に「ほかす」といった勢いのもので必ずしも激しく(強い勢いで)放るといったものに限ったものではない。蛇足だが放ってから押し付けるとかいうことでも当然違う。
こうなると微妙に辞書にある意とニュアンスの違いがある。「申しつける」や「ねかしつける」とかは、似てはいるけど辞書にある「つける」とは別種ということなのであろうか。
なのでここで述べている「つける」は辞書には無いということとして述べることになる。(つまり根拠はない)
ここでの「つける」の意味は強引に・無理やりに・都合によりという意味合いのものであるとする。
そして前につく「かし」という言い方も「かす」(かせる)といった強行的要素の強いものであり「寝かす」・「ほかす」は言い方を代えれば「寝かせる」・「放かせる」というものである。
つまり「~かしつける」というのは無理やり何かをするという事であろう。それはこちらの意図を強引に通すということであって寝かせる行為が顕著なように強い勢いでというものではない。
で、じゃあ「ほかしつける」とはどういう事かと言うと、こちらは大いに不服だという事を態度で表わしていてそれが放るという行為に及んでいるということであろう。
別の視点でいくと例えば「沸かしつけとく」だと「沸かせておく」という意味であり「申しつける」等と同じな同じ厳命といった勢いのものであろう。これも辞書に有るような「しかりつける」の強い勢いで言うとはどことなく異なる気がする。
立場的に分けると、上の者が下に指示命令など下す際に「~つける」で厳命を表わすことになり、下の者が上に対し反抗のような様・態度(つまりなまいきな態度)を示すのを上の者が見てその態度を「つける」と表現する。
「ほかしつける」の場合上の者が「ほかしつけ」れば投げて寄越すという尊大なものとなり下の者が「ほかしつけ」たら不服を示す反発の行動ということになろう。
この解釈だと「叱りつける」も「申しつける」も「寝かしつける」も上から目線からという共通点が出てくるし「ほかしつける」は下から上へのぞんざいな反抗の態度を表わす(反逆)という理屈も無理がなさそうだ。
ちなみに古語辞典での「つく」{他動詞}の説明の中で、言いつける・命令する。というものがあり、これがニュアンスとしては近いような。
ただし遠州弁の「ほかしつける」は目下も取る行動なので古語辞典との矛盾点は生じるところ。
尚、当然だが「ほかしつけ」られた人は「なんてことしやがる」と腹立たしく思っている。もしくは「呆れている」か。
従ってくどいようだが「つける」の意味は立場によって申しつける・命令する。というものと反抗するというふたつの意味があるという形になると妄想されるところである。合ってるという確証はないが。
例文
「むっすうどこいっただあ。」
「帰ってきて用事頼んだだに気に入らんだかカバンほかしつけて出てっちゃった。」
「反抗期かあ?」
「知らんだあ。」
「変なこと頼ますとしただらあ。」
「そんなことないよを。部屋んどんぎたなかったもんで片いたで出てきたゴミうっちゃってきてやあっつっただけだにい。」
「微妙だなあ。」
「なにがあ。」
「本人にとっちゃゴミじゃないだらあ多分。」
例文音声はこちら
辞書にも「ほっぽる」・「ほっぽ投げる」は載っているので決して方言というものではない。
使い方として思いつくのは遠州弁に於いては
「ほっぽかす」・「ほっぽ投げる」・「ほっぽる」・「ほっぽっとく」
とかが思いつくところ。
「ほっぽ投げる」の「ほっぽ」は「ほっぽり」の「り」抜けと考えられるところ。
しかして「ほっぽかす」の場合「ほっぽりかす」ではなく「ほっぽらかす」の「ら」抜きという勘繰りが成り立つ。
ということは「ら」行の活用なるものが存在していそうな気配である。
「投げろ」というのであれば「ほっぽれ」
「投げる」であらば「ほっぽる」
「投げれば」だと「ほっぽらしゃあ」
「投げらせば」なら「ほっぽさしゃあ」(多分「ほっぽらさしゃあ」の「ら」抜き)
ちなみに「投げる」は「試合で投げる」という意の他に「試合を投げる」みたいな「投げる」の意も含むものである。
「ほっぽかす」とかいう使い方は屁理屈上に於いては「ほっぽらかす」であって「ら」抜き表現ということになるのであろうか。
「ほっぽっとく」(放置しておく)というのは「ほっぽりておく」とかになるのか?「ほっぽらせておく」の変とも勘繰れるかな。
いずれにしても「ほっぽ」という言葉はなくて、あくまで「ほっぽる」のラ行変格のはしょった言い方が「ほっぽ」という風に思えてくる。
ちなみに「ほっぽる」に似た表現の「うっちゃる」との違いは、放り投げるという事では一緒だが例えば仕事や作業をと言う場合、再開しそうにもない(放棄する)のが「うっちゃる」で再開するかもな(放置もしくは中断する)というのが「ほっぽる」という違いが感じられる。
例文
A「あいつぁ仕事ほっぽらかいてどこ行っただあ。」
B「腹痛いっつって便所行ったにい。大分前だけど。」
C「違うって。行ったの便所じゃなくて病院だにい。」
B「そうけえ。知らなんだやあ。」
A「ひとことゆってけっつうだよなあ。」
C「いいじゃんやたらくしゃ救急車呼ぶよりか。」
B「まあ確かに救急車じゃ大事(おおごと)んなるもんな。」
例文音声はこちら
「あちこち・色んなとこ」という意味。「方方」と書くそうな。
辞書にもあるくらいだから当然な共通語であるが何故か方言性を感じてしまう。「しゃあしゃあ・だあだあ・ぶんぶん」とかと同じでイントネーションといい繰り返しといい遠州弁の要件を満たしているからであろうか。
発音は耳を澄ますと「ほおぼお」と言ってる気がする。
例文
「あんたほうぼう行くだねえ。」
「なんで知ってるよを。」
「あれえ、あんた見たっつう人一杯いるもん。それもこらしょと。」
「そりゃ外回りだもんほうぼう行くさあ(れ)。」
「パチンコ屋にきっちゃ店。ネットカフェに河川敷。あんたそんなとこで何の仕事するよを。」
「うそっなんで知ってるよを。人の後ついて回ってるだけえ?いやらしい。」
「あんた悪いじゃん自業自得だにい。耳に入ってくるだよ色々と。あんた行くとこ行くとこで悶着起こすもんで目立つだよ。客だでっつってえらそうこいてると自分に返ってくるだにい。つうか仕事中だにほうぼうで客してるっつう方がずっとか悪いかあ。」
例文音声はこちら
追記
ま、遠州弁での「ほうぼう」のニュアンスといっても、いつも以上にあくまで自分の感覚で物言ってるので正確性は無いのであしからず。
「ほうぼう」は「あちこち」とか「色んなとこ」とかいう意味で使われるものであるが
「ほうぼう見て回った」と「たくさん見て回った」だと
目的のものを求めて色んなお店を回ったという勢いなのが「ほうぼう」で、一杯回って多くの種類を見たというのが「たくさん」といった風に聞こえる。
「ほうぼう手を尽くした」と「色々手を尽くした」では
色んな人や方面にというのが「ほうぼう」で、あの手この手と策を練った・手立てを講じたといった勢いなのが「色々」。
「ほうぼうに声掛けた」と「そこらじゅうに声掛けた」だと
「ほうぼう」は知り合いとかいった思い当たる親密度が高めなところとか効果や可能性がありそう(結果が出そう)なところに声掛けをしたみたいな多少選んでいる(頭使ってる)勢いを感じる。
「そこらじゅう」だと手当たり次第といった勢いで数撃ちゃ当たる的な勢いを感じる。
「ほうぼう」の方がまだ選んでる分余裕がありそうにも聞こえる。
「ほうぼう」は「方面」というニュアンスが濃い目で「あちこち」という色合いが強い。なので一か所を重点的にとか綿密にという感じはあまり受けない。「ほうぼう」には「片っ端から」というニュアンスは薄味な感じがする。
「ほうぼう探したのか?」と「ちゃんと探したのか?」では探し方が違うと感じる。
「ほかっとく」。漢字で表わすと「放っとく」であろうか。感じで表わすと「手を付けない」といったものであろうか。「そのままにしておく」・「なにもしない」などという意味合いでも使われるなど結構幅広く明確に共通語に置き換えるのは難しい。
まあ、「放置」という勢いで「放棄」ではない。
勢いとしては意識というか注意を払ってる感じがあり、忘れての放置とかになった場合は「ほっぽってた」、放棄とかには「うっちゃる」が主に使われる(「うっちゃる」は「うち捨てる」ということなんだろうかな)。
これが「ほかる」となると「投げる」という意味になる。漢字にすると「放る」と書くのだろうなおそらく。
「嫌んなってほかる。」(嫌になって投げる。)
文字通りに行為として投げるという場合にも使われるが手を止めるという使い方の方が多いような気がする。行為として投げるとかでは「うっちゃる」・「ほっぽる」とかを使い事が多いのでは。
「ほかす」で「止め」となる。「ほかした」で「止めた」。漢字にしたら「放す」・「放した」になるんだろうかな。
「嫌んなってほかいた。」(嫌になって止めた。)これは断念したという風に聞こえる。
「嫌んなってほかった。」こちらも嫌になって止めたというものであるが、手を休めたという意味の止めたという勢いのもので中断か断念かはこの言い方の場合定かではない。
そのままにしておくという意味では「ほかっとく」の他に「ほかしっぱなし」とかいう言い方があるが「ほかっとく」はある程度その状態にしてあるという意識(注意)があるのに対し「ほかしっぱなし」はすでに意識(注意)にないという感じを受ける。