遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「や」を「やー」としたり「あ」を「あー」と音を伸ばす事を「長音化」というらしい。
言葉であれば「すいません」を「すいませーん」・「すごい」を「すごーい」みたいな。
個人的には呼び方を「伸音化」として貰った方が分かりがいいのだが。いずれにせよあまりな講釈こくほど知恵もないのでこういう話しは本来は避けて通りたいところであるが。
まあとにかく「長音化」。その効能はなに?ということが記されてるところがネットで検索しても見当たらない。多分探し方が悪いせいなんだろうけど。
いまのところ思ってるのは方言に関しては何でもかんでも音が連なると長音化だとする傾向に思えてくるけどそういうのは危険だよなあと。特に遠州弁にはその傾向が強い感じがするだけに。
例えば「買いい」(買いなさいよ)。厳密な遠州弁かどうかは定かではないがこれは「買い+い」でないと説明がつかない。(「い」については別記事で説明しているのでそちらをご参照願えればありがたし。)
「買いない」とすればより判り易いだろうか。長音化ということであれば「買いなー」(かいなあ)であり「い」とはならない。「買いない」を訳すと「買いなよ」で「買い+な+い」ということであろう。
こういった辺の整備をしとかないとせっかくの古語の生き残りを使ってる遠州弁が色褪せてしまうような気がする。
遠州弁とかでなくとも「ほら」と「ほらあ」ではそのニュアンスが明らかに違うのだからして。
穏便に済まそうとかいう「おんびん」ではなく音便の方の「おんびん」。知恵も無いのに屁理屈ひけらかしても浅知恵がすぐにばれようというものではあるが。極力引用でそれがばれないように化けの皮を厚着しつつ先に進める。
辞書によると「音便」とは
国語の単語・文節の一部に起こった発音の変化。い音便・う音便・撥(ハツ)音便・促(ソク)音便の四種が有る。
と書かれてある。
細かい説明を求めて検索してみたら「音便」というところが出たのでご参照あれ。
難しい話で理解している訳ではないが、音便というものは平安の時代に紡がれたものらしい。
例を辞書で探ると
い音便は「き・ぎ」が「い」に変わるもので、「咲きて」→「咲いて」・「脱ぎて」→「脱いで」・「白き花」→「白い花」
う音便だと「ふ」・「ひ」・「く」が「う」になるらしく、「赤く」→「あこう」・「扇」(あふぎ)→「おうぎ」とかがそうであるらしい。
撥音便では「び・に・み」が「ん」に変化するもので、「呼びて」→「呼んで」・「死にて」→「死んで」・「読みて」→「読んで」
促音便は「っ」が入るような変化、「「持ちて」→「持って」・「みとうもない」→「みっともない」・「やはり」→「やっぱり」・「とと」→「とっと」
以上のほぼ丸写しの事から推察すると遠州弁は「促音便」を非常に多用し「い音便」・「撥音便」もよく使う種族であるという妄想が成り立つ。脱線するが名古屋は「う音便」が多用されるらしい。「なってまう」とか
ところで一例として遠州弁の「ん」を代表とする発音の変化は遠州弁として流暢に言い易くするために変化したものだと思うのだが、遠州弁での変化を音便っていうのかしらんというお話し。
撥音便「び・み・に」が「ん」にというのであれば
「やけに重い」→「やけん重い」とかがそうであろうが
「どんもい」は「度に重い」とかいう風に解釈せよということなのか。
なら「あいつのところ」を「あいつんとこ」というのはどうなんだろ。
「ひょうきん」を「ひょんきん」というのはどうなんだろ。
「~というので」を「~つうんで」というのは?
とまあ、挙げたらキリがないくらい「ん」に化けるのである遠州弁は。なんか理屈と合致しない気がする。そうするとやっぱ「音便」とは違うのかな「訛る」というのは。それぞれの変化は今後別記事で羅列状態で挙げてみる。
「そうじゃ」・「そうじゃけえ」・「そういうもんじゃ」
といった使い方の「じゃ」。廣島方面の言葉としても有名だけどおじいさの言い回しでも一般的であろうか。
辞書では「じゃ」(助動詞) である。だ。
しかしながら遠州ではじいさまでさえほとんど「じゃ」を使うことはしない。それは「だ」を使うからである。というのも「だ」というのは
「だら・だに・だもんで・だあ・だん・だけ・だけえ・だけえが・だで・だ」などといった遠州弁としての根幹を成す「だ」だからであるだ。
遠州で使われる「じゃ」は別種の「じゃ」で辞書にある
接続詞 (それ)では。「じゃまた明日」 接続助詞 では。「あるじゃないか」
という使い方の方だけであろうか。
「ほいじゃなによを」といった「なら」という意味合いのものである。
脱線するが、「ほいたらなによを」という言い方も同じなのでニュアンスの違いはあるけれど「じゃ」=「たら」=「なら」=「では」ということもいえるかもしれない。ちょっと飛躍しすぎたかな?
冒頭に挙げた例を遠州弁として訳すと
「そうじゃ」(それなら)「そうじゃ知らんよを」(それなら知らないわぁ)・「そうじゃけえ」(そうならけえ)・「そういうもんじゃ」(そういうもんなら)「そうゆうもんじゃかんだらあ」(そういうものじゃ駄目だろう)
などとなる。ただし「そうならけえ」なんて言葉は存在しない。ので、例文はない。
話しを戻すが、とにかくそんなこんなで「じゃ」という言い方は遠州ではせず、「だ」を使うのである。ヒアリングの方は「じゃ」を発せられても理解は出来る。ただし大抵は「やあおじいさぁ」(おいお前はおじいさんか?)と突っ込まれることは確かであろう。
例文
「むかしっからやあ、そういう風に決まってるだあ。」
(昔からのう、そういう風に決まってるもんじゃ。)
「知いらんやあ。初めて聞いたにいそんなこと。いつからよを。」
(聞いた事ないよ。そんな事言われたの初めてだよ。いつからそう決まってるの?)
「わしん小さい頃にい大人衆そうゆってだだあれ。」
(自分が小さい頃には大人の人達がそう言っていたのじゃよ。)
「変なの。」
「変じゃあらすか。なんしょそおゆうもんだでそうしにゃかんだあれ。」
(変じゃないっ。とにかくそういうものなんだからそうしないといかんのじゃよ。)
ちん (副詞)-と 落ち着いてすましている様子。「-とすわる」
とある言葉を捜していたら見つけたという昭和に発行された辞書に載っていた言葉。
「ちんとすわる」なんて聞いた事もない。
ネットの辞書にもない言葉。ネットで検索すると方言としてヒットする言葉。
でもしつこくネットで探して見たら「ちんと」でネットの辞書に載っているよと。で、「ちんと」で調べるとあった。意味も「ちん」と同じであった。
もしこれが全国的に使われている言葉で遠州だけが使っていないとしたらある意味「逆方言」といえなくもないところであろうな。表現が変だけど。
じゃあこういう様子を遠州弁ではなんと言うかというと、どういう状況で落ち着いているというのかが「ちん」なのか良く理解できないところであるが「ちんと座る」をよからぬ方向なら「知いらん顔して座る」・「いけしゃあしゃあと座る」とかで、いい方だと「普通にして座る」・「気にもしんと座る」・「ででんと座る」とかか?あまり適切なのが思い浮かばないな。
とにかく遠州でこう言われても全くもって「ピン」とこない言い回しである。「きちんと」・「ちゃんと」とかの言い間違えじゃないのかとさえ思うかもしれない。これほど全く聞いたことも無い言葉というのも珍しいよなあ。
でも「ちんぷりかある」(すねる)の「ちん」と同じだとしたら全くない訳じゃあないか。全然意味は繋がらないけど。
「やってまう」・「やってもうた」・「やってまった」
これらはいずれも遠州弁では使わない言い回しである。(「やってまった」はごく稀に使い手はいるが)遠州だと
「やっちゃう」・「やらかいた」・「やっちまった」などになる。
つまり遠州では「う音便」を駆使しないという一面があるのかもしれない。
以上、特に膨らむ話しではないのだがそういうことなのである。しかしこれだけでは寂しいので他の言葉と比較してみる。
共通語
「そのようになってしまうので如何ともし難い。」
名古屋弁(違ってたらごめんなんしょ)
「そうなってまうだでどうにもかんわあ。」
遠州弁
「そうなっちゃうだで はあ ぱっぱらぱあ でえ。」
「そうなっちゃうだもんで もぉ どぉしょぉも ありもしん」