遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
頼まれた・頼んでくれた・頼まされた・頼まれなさったとか言う意味。
「頼ました」(頼んだ・頼ませた)という言い方もあり方言と言うより古い言葉使いかもしれない。あくまでもしかしたらで根拠はないが。
滅多にいないが「たのもさった」という言い方をする人もいる。ここまでくると「頼み申しなされた」っぽい時代性を感じる。
例文
B「なんか業者の人来たにい。」
A「誰ん頼まさったよお。」
(誰が頼んでくれたんだ。)又は(誰に頼まれたの?)この文は前者の意味で
B「なんで?」
A「誰もやってくれなんて頼んじゃいもせんにい。」
C「しげちゃあが頼まんさったみたいだにい。」
(しげさんが頼んでくれたみたいだよ。)
A「もお余分なことばっかしてえ。わしらじゃでけんと思って馬鹿にしてるだかいやあ。」
(余計なことを。私達じゃ出来ないと思って馬鹿にしてるのかなあ。)
C「いいじゃん別にい。楽でけるだもんでえ。」
(いいんじゃないの別に。楽が出来るんだから。)
B「やりい来てくれた人どうすんよお、玄関に待たせっぱなしだにい。帰ってもらうだ?」
(やりに来てくれた人はどうするの。玄関で待ってて貰ってるけど。帰っていただくの?)
C「しげちゃあの顔潰すのもあれだでいいじゃんてんだってもらうかあ。」
(しげさんの顔潰すのもどうかと思うからいいじゃないか手伝って貰えば。)
A「後でしたり顔されるの好きくないだけど、まあいいかあ。」
B「ほいじゃ上がって貰うでえねえ。」
例文音声はこちら
「ここがどこだか知らんだか。」
「あるだかないだか知らんだか。」
「知らんだか」の場合は(知らないのか)という訳になる。
「あるだかないだか」の場合二通りの解釈が出来る。両方とも共通語であって遠州弁特有ではないのだが
「あるやらないやら」と、「あるのかないのか」
「あるやらないやら」だと(不確かで分からない)という意味になる。
「あるのかないのか」だと(あるなしどっち)という意味になる。
例文が「あるやらないやら」だとすると文の訳は(あるのかないのかよくわかんないけどあなたは知らないのか)となる。
「あるのかないのか」ならば(あるのかないのか知らないのか)となる。こちらの方が遠州弁っぽい感じはする。
まあ、「だか」というのは(~なのか)ということである。「買っただか」(買ったのか)・「売っただか」(売ったのか)という使い方である。
追記
「だか」以外にも「だけ」・「のけ」とか関西風に「んか」を使うことも多い。
共通語だと「買うだか買わんだか」という「~するらやしないやら」みたいな使い方が一般的であるが
遠州弁の場合「~するのか?」という問い詰める使い方がある。省略系になるのかはしらないが「だ?」という表現もある。東に寄れば「だけ?・だけえ」とかいう言い方もある。
以前「だか」と言う記事書いたが例文書き忘れたので改めて説明の追加と例文を。
例文
「あんたねえ。いつまでいりゃ気い済むよお。はあ行くにい。」
(もう~いつまで居れば気が済むの?もう行くよ。)
「そんなこといわすとお。どうせすか悩んでるだでえ。」
(そんなこと言わないでちょっと待ってよ。どうしようか迷ってるんだから。)
「どうせるよお。買うだか?」
(どうするの買うの?)
「買うにゃ買うだん、どっちにせすかと思っててえ。」
(買うのは買うんだけれど、どちらにしようかなと。)
「ふんなもんどっち選んだってわしん言わせりゃ用ないだで。無駄だでやめない。」
(そんなもの私に言わせればどっち選んでも不要なんだから。買わなくてもいいでしょう。)
「随分なこと言ってくれるじゃん。すけない自分の小遣いから出すだで文句言われる筋合いわねーわ。」
(ひどいこと言うなあ。少ない自分の小遣いから出すんだから文句言わないで。)
「なら勝手にしない。わしはあ先行くでねえ。小遣い足らんくなってせびっても絶対やらんでねえ。」
(あっそう。じゃ勝手にしなさい。もう置いてくよ。今月お小遣い無くなってせがんでも絶対あげないからね。)
「またすぐそーゆーこという。そんな怒らんだっていいじゃん。」
(もう勘弁してよ。怒らなくてもいいじゃない。)
例文音声はこちら
たくさんと言う意味。普段使いという印象は無いが、聞き取りは出来るので誰かが使ってたのは間違いないであろう。
私は使わなかったし女子も使ってた記憶がなく、やんちゃなこんぞう(小僧)が使ってたような記憶がある子供が使う言葉のような気がしないでもない。
無論、地域によっての差があるので決め付けることはないが、うちらの集落では「たっくさん」・「たっくさあ」・「たんと」・「ようけ」・「がんこ」・「えらい」・「ばか」とかの方が年代に関わらず使われている印象が強い。
例文については私は使わないのでアイデアが浮かばない。
以前にも書いたが「だもんで」(だから)の略形として遠州では使われる。
これが三河の方だと「焼き物焼いとるだで。」(焼き物を焼いているんだ。)とかいった言い切りの使い方になるらしいが遠州では「焼き物を焼いているもんだから・・・」とかいった後に結論がくっつく言い方になる。
したがって三河と遠州では同じ言葉でも意味合いが異なると言うややこしい話しであるということ。全然言葉が通じなければ共通語にして会話しようと思うのだが何気に近いとそんな気が起こらず返って意思の疎通が難しいということになる。
お互いがお互いの言葉を汚いとか荒いとかいってけなしあうのもこういう口実があるのやもしれない。
ちなみに三河の「だで」は遠州では「だよ」という表現になると思われる。もしくは「だて」・「だに」・「だわ」。
「そういうこんはいわないもんだで」(そういうことは言わないものなの)という使い方もあるがこれは「だから言うな」という表現が省略されてる皆まで言わせるな察しろという使い方であろう。
例文
「だでさあ。」
(だからさあ。)
「だでなにい。」
(だからなんだよ。)
「・・・いやなんでもない。」
「そうやってきちんと物言わんもんだでやっきりこくだよな。」
(そうやってちゃんと言わないからイライラするんだよな。)
「そんなこたあねえよ。ゆうときゃゆうだで。」
(そんなことはないよ言うときは言うんだから。)
「だでなによお。」
(だから何?)
と言った風に「だで」で終わると遠州では次があると思うのである。
例文音声はこちら
物凄く頭にきたという意味。
「ド頭にきた」が変形してこうなったと思われる。
非常に感情が先走っている状態を表わしてるといえる。
「ど怒れた」との違いは「ど怒れた」ムカッと来たニュアンスであるのに対し「だあたあきた」はやってられないといったニュアンスが強めになる感じである。むかついたことに変わりはないけれど。まあ微妙な差でしょうか。
例文
「くっそーまあた門前払い喰らっちまってえ。いっつもだでホント今日という今日はだあたあきた。くそ怒れる。」
この場合言う前はやってられない状態だったのだが、自分の発言で火がついてムカッときてしまったために「だあたあきた」と「くそ怒れる」が並んだ格好になっている。